第91話 平和に迫る軍靴の足音:枯れかけのオリーブ

 まぶしい朝日が窓から差し込む。


「ん……んん……」


 ベッドで寝ている雪は温かい光に思わず身じろぎし、何度か寝返りをうったかと思うと、枕元をまさぐる。


「…………むぅ? ないぞ……」


 普段そこにあるはずの愛用の目覚まし時計に手が当たらない。これはどういうことだろうと思って目をゆっくりと開く。


「…………ない。…………ってあれ」


 目覚まし時計がないことで異変に気が付いて、あたりを見回す。そこで、ここが普段生活している自分の部屋ではないことに気が付く。

 どうしていつもの部屋にいないんだろう? 寝ぼけた頭で考え始める。


「えっと……伯父さんと話して、サキモリ杯見て、学祭が終わって……それから? それからどうしたっけ……。

 それから、昨日スノウのところへ来て、そのまま……」


 そこまで考えて、昨晩のことを全部思い出した。そして、ボッと火が付いたように顔が赤くなる。


「あ、あわああわわわわ。そ、そうだ、スノウとせせせせ……うきゃああああ~!」


 淑女からかけ離れた奇声をあげて枕へ顔をうずめる。穴があったら入りたい、そういう心境だ。


「あああああああああああ!!! ついに、ついにやったあああ~!」


 枕をサプレッサーとして使って叫ぶが、その甲斐あってか少しずつ現実が見えてきて、落ち着き始める。

 そして、数分経ってから冷静な声で言う。


「…………スノウの匂いがする」

「叫び声が聞こえたと思ったら、起きたんだね」

「うひゃあ!」


 廊下の方から姿を現したスノウに、本日二度目の奇声をあげて雪は枕を放り投げた。



「「ごちそうさまでした」」


 スノウが用意したバターロールと目玉焼きとサラダという朝食をふたりで食べ終える。

 食器を片付けるスノウに雪は言う。


「ごめんね、わざわざ朝ごはんまで。それに服も借りちゃっているし……」

「気にしないでいいよ。

 服が乾くまではゆっくりしてて」

「は~い。

 ………………」


 雪はシーツがはがされたベッドの上に転がる。嬉しそうに頬を緩ませたり、かと思えば真剣な顔をしたり、百面相を見せる。

 食器を洗い終えてその姿を見たスノウは首をかしげる。


「どうしたの」

「んー? なんか同棲しているカップルみたいだなぁって」

「…………そうかもね。お話の中でしか知らないけど」

「あ、あたしだってホントのところは知らないよ!」

「そっか」


 スノウは普段使いの椅子に腰を下ろす。


「それで、洗濯が終わったらどうする。部屋に戻る? それともどこか出かける?」

「うーん、夕方くらいまで一緒にいたいけど……お花の手入れもしないといけないからなぁ」

「だったらそれまではゆっくりしていきなよ。何もない部屋でいいならね」

「うん、ゆっくりさせて」


 それからしばらく、スノウは読書を、雪はベッドで文字通りゆっくりしていたが、本当に何もない部屋なのでそのうち退屈になる。


「スノウ、ひまー」

「………………」

「お話ししようよー」

「…………了解」


 パタンと本を閉じてテーブルの上に置く。そして、口を開く。


「何について話すの。雪ちゃんとは色々なこと話してきたけど……」

「そうだねぇ……。昨晩話したのと似てるけど、将来どうなりたいかってのはどう?」

「…………将来、か」


 『将来』。スノウにとってこれほど言い慣れていない言葉はない。

 施設にいたころは将来を考える余裕はなく今生きていくことがすべてだったし、高校進学だって望んだわけではない。唯一自分の意志で選んだこのサンクトルムへの入学は、エグザイムの操縦しか知らない自分が生きていくにはサンクトルムを卒業してエグザイム関係の職に就くしかないだろうという、言ってしまえば消極的理由だ。

 だから、将来についてスノウが考えたことなんてほとんどなかった。これはあまりにも話しづらい話題だ。


「………………」

「あたしはね、素敵な旦那さんと子供と一緒に素敵なおうちに住んで、お花について研究していたいなぁ」


 夢見る乙女のような……いや、夢見る乙女そのものの夢を聞いてスノウは言う。


「…………返事の催促?」

「ち、違うよ! でも……返事は早いと嬉しいけど」

「…………努力はする」

「そんなことより! スノウはどうなの?」

「そうだね……。……………………軍人?」

「なんで疑問形なのさ」


 世界にはもっと色々な未来があることは知っている。雪が言うようなこうありたいという理想、どういう職についてどんな仕事をしたいかという夢、こうなっているはずだという希望。しかし、真面目に考えてみても、スノウには自分が軍人以外になっている姿が想像できなかった。


「軍人以外に何になろうとか、考えたことないから」

「職業じゃなくたっていいんだよ。こういう風に生きたいなぁなんてことでもいいんだよ」

「………………」

「…………そっちも考えたことない?」

「そうだね」


 戦いのために生み出され戦いのために育てられたスノウの人生に向けた憐憫の情は雪の決意をたぎらせるものだった。

 雪は努めて明るく言う。


「じゃあさ、あたしがサンクトルムに帰って来る時までに考えておいてよ」

「…………。今、いるじゃないか」

「あれ、言ってなかったっけ? あたし休み明けから休学するんだよ」


 その情報はスノウにとって寝耳に水だった。

 休学? なぜ? その理由をすぐに考える。防人王我の保護下にあるため経済的理由はまずありえない。そもそもサンクトルムは学費がほとんどかからない。学業不振によるものでもないだろう。彼女は成績そのものは優秀なはずだ。

 声には出さずひたすら思考を巡らせていると、雪が笑う。


「もー、そんな深刻な顔しないで。学校が嫌になったわけじゃないし、病気や怪我でもないから」

「ならどうして」

「家庭の事情だよ。ほら、あたし結構家庭がフクザツじゃない」


 それは知っているのでスノウは素直にうなずく。


「早ければ1か月くらいで戻ってこられるけど、もっとかかる可能性もあるから休学ということにしているだけで、大げさな話じゃないの。

 でも、スノウと会えないのは寂しいなって思って……」

「それで昨晩は……」

「そ、そう。ちゃんとした思い出が欲しかったから……」


 雪はうつむきながらはにかむ。自分の想いを伝えたといっても、やっぱりまだ恥ずかしい。

 雪の話を聞いて、スノウはひとつ疑問に感じたことがあった。


「僕との思い出は昨日のことで良いとしても、他の人たちはいいの。特にナンナや谷井さんとは仲が良いから、ふたりとも何かしないの」

「優しいね、スノウは。でも大丈夫、ふたりとはスノウの知らないところで結構遊んでるからね!」

「…………それはそうか」


 ナンナと佳那がいくら共通の友人と言っても、スノウはしょせん男で、雪は女性なわけだから、女性たちの中だけのコミュニティでのやり取りがある。スノウが知らなくても当たり前のことであった。


「それに今生の別れってわけじゃないんだから、また帰ってきてからたくさん遊べばいいの。エルちゃんやシーちゃん、もちろん秋人くんやアベールくんもそうだし、それと……」

「………………」

「スノウもさ、戻ってきたらまたデートしようよ。冬休みになったら今度はスノウの実家行きたいなー。その、スノウのお義父さん? にも挨拶したいし」

「…………忙しい人だから、いないかもしれないけどね」

「そっちの心配だけするってことはスノウの家に行くのはいいんだ?」

「…………僕は困らないよ」

「わーい、楽しみだなぁ」


 無邪気に笑い、スノウのベッドの上で跳ねる雪。しかし、スノウは雪が一瞬悲しそうな顔をしたことを見逃さなかった。

 また、休学する前に思い出が欲しかったという言葉と、休学が終わってからまた遊べばいいという言葉が矛盾しているように感じられた。


(僕との思い出作りも休学が終わってからでよかったんじゃないか。いくら僕を恋愛対象として見ているからと言って……。

 …………他の人に取られることを危惧したのかな。ミラさんのこともあるし)


 自分の中でそう整理したはいいものの、先の悲しい瞳と矛盾が引っかかったまま、雪が埃を舞わせている様を見て続けていた。




 それから3日間の休みの間は、暇さえ見つければ雪は何かと理由をつけてスノウと一緒にいた。スノウはそれを受け入れて、一緒に食事をしたり、遊びに出かけたり、雪のお気に召すまま付き合ってあげた。

 そして、休みが明けた日の早朝、スノウのスマートフォンが鳴る。すでに目が覚めていて、部屋の中で軽くストレッチをしていたスノウは画面を見る。


『無事船には乗れました。部屋にある花の世話をお願いします』


 雪から送られてきたメッセージは、たったそれだけだった。

 雪としては、本当はもっと長いメッセージを送るつもりだったが、色々考えて入力しては消して……と繰り返した結果こんな簡潔な文章となってしまった。しかし、長いメッセージを送ってしまえば、きっと雪はサンクトルムに帰りたくなっただろう。

 もちろん、スノウはそんな葛藤があったことを知らない。だから、雪を慮る言葉は出てこず、ただ『了解』とだけ返した。

 ストレッチをいつもよりも長く行い、シャワーを浴びて着替えて校舎へと向かう。


(…………なんだか、講義を受けるのは久々な気がするな)


 つい先日まで<シュネラ・レーヴェ>に乗って航海をしていて、帰ってきてからは事情聴取を受けたり、セレモニーに参加したりで忙しかった。講義を受けるのは約2か月ぶりだ。

 教室の扉を開けると、まばらに座る学生たちの中にアベールの姿を見つけた。


「おはよう、アベール」

「おはようございます。こうして顔を合わせるのは久々ですね」

「そうかもね。…………秋人は?」


 アベールの隣はもちろん、教室中に秋人の姿は見えない。ナンナと佳那は少し離れたところで見つけたので軽く手を振っておいた。


「二日酔いだから1限目は休むみたいですよ。グループチャットにメッセージが来ていたでしょう」

「朝に1回見たっきりだから」

「そんなことだろうとは思いましたが」


 アベールも慣れたもので、特に気分を害することなく話題を変える。


「そう言えば、サキモリ杯優勝おめでとうございます」

「電話ですでに聞いたよ」

「でも顔を合わせてしっかり言いたいじゃないですか」

「なら、僕もしっかり言うけど、あれはホロンさんの力も大きいよ」

「謙遜しますね」

「じゃなきゃ怪我が完治していなかった僕が優勝なんて難しかったし」


 今年のサキモリ杯が操縦者ふたりによる変則的な大会でなければ優勝はしていなかっただろうと客観的にスノウは考えていた。


「サンクトルムのレベルは高い。僕や君もうかうかしてられない」

「それは同感です。

 ところで、優勝賞金の使い道はあるんですか? 答えられればでいいですが」

「賞金のほとんどはホロンさんが持っていった。代わりに旅行券をもらった」

「へえ。誰と行くんです?」

「誰とも。ロンド君と谷井さんにあげちゃったから」


 スノウがあっけらかんとそう言うと、アベールは目を丸くする。豪華と言えないまでも、それなりの価値がある景品だったはずだ。それをポンと人にあげられる友人の無欲さに驚かざるを得なかったのだ。

 溜息を吐いて、すぐスノウに言う。


「雪さんを誘ってあげれば、きっと喜んだでしょうに。

 …………そう言えば、その雪さんもいないですね。この講義は必修だからいないとなると心配ですが」

「ああ、雪ちゃんなら来ないよ」

「どうかされたんですか?」

「家庭の都合で休学」


 アベールは再び目を丸くした。




「雪の休学については本人から教えてもらった」

「わたしもです」


 講義が終わってそのままナンナと佳那のふたりに雪の休学について切り出すと、そのような答えが返ってきた。だから、アベールは顎に手を置いて思案顔になる。


「やはり、おふたりには説明していましたか。

 となると、もしかして知らなかったのは僕だけですか?」

「確証はないが、たぶん秋人も知らないはずだ。

 雪の性格を考えればオーシャンに言ってなかったとすれば、他の友人たちにも説明はしていないだろう。誰かひとりにだけ教えないなんて意地の悪いことはしないからな」

「ふむ、確かにそうかもしれません。

 それにしても変な時期ですね」


 アベールが驚いたのは身近な友人が突然休学したこともそうだが、後期が始まってすぐのタイミングにその決定をしたということでだった。


「病気ならともかく、家庭の事情ということなら後期授業が始まる前に休学しそうなものですが」

「雪さんからしても、急な決定だったみたいですよ」

「ふむ、仕方ないですね、それなら……」

「詮索はしないでやろう。我々とて、人に話したくない家庭の事情のひとつやふたつあるからな……」

「そうですね」


 大企業の令嬢と統合軍高官の息子はそう言うが、ごく普通の家庭に生まれた佳那は「そんな事情あるかなぁ……」と言わんばかりに首をかしげていた。スノウはそもそも家庭がないため特に反応せず、教室を出ていく学生たちを眺めていた。


「彼女がいなくなると少し寂しくなりますが、家庭の事情が片付いて戻ってくるのを待つとしましょう」

「そうだな」

「はい」


 とりあえず話がまとまったということで、アベールと佳那は次の講義があるからと教室から出ていった。どうやらふたりが受けるのは同じ講義らしいが、一般教養で選択科目なため受講しないスノウとナンナは残った。


「なあ、ヌル」

「なに」

「雪は、ちゃんと君に想いを伝えたか?」

「聞いた。返事は保留したけど、休みの間はずっと一緒にいてあげたよ」

「そうか、ちゃんと言えたか……」


 ナンナは微笑む。奥手だった雪がようやく想いを伝えられたことは、そばでずっとやきもきしていたナンナにとっても喜ばしいことだった。休学のために実家に戻ったと聞いたが、告白できたのであればそれは失意の旅路ではないだろう。友人を案じていていたナンナはそれを聞いて安心した。


「それにしても返事を保留とは。いや、別にいけないというわけではないが、君らしくもないな」

「…………まあね」


 安心したので何気なしに質問したところ、生返事だったためナンナは不思議に思った。


(普段は黙り込むか、はっきりと言うかなのにあいまいに濁すとは珍しいな。ヌルもヌルで思うところがあるというわけか)


 この話を続けていてもスノウから話を聞くのは難しいだろうと考え、ナンナは話題を変えて次の講義が始まるまで雑談にいそしむのであった。




「北山雪、ただいま参りました」


 統合軍総指令室にやってきた雪が暗い顔でそう言うと、王我は冷笑を浮かべる。


「別れは済ましてきたか」

「…………はい」

「なに、すべての片が付いたらまた会える。そのために、ここに来たんだろう」

「…………はい」


 自分からここに来るように仕向けておいて、よくそんなことが言えるな……とは口が裂けても言えない。

 雪は、王我の指示でここに来させられていた。その目的は……。


「では、無駄話は終わりにしてさっさと行くぞ」

「荷物は……」

「後で適当な奴に運ばせる。持ったままついてこい」


 雪は指示通り王我の後ろについて歩く。

 15分ほど歩くと巨大な工房にたどり着く。普段は表に出ることのない開発中のエグザイムが並ぶここが、今は数名の兵士が何か作業をしているだけで、耳鳴りがしそうなくらいの静寂に包まれている。

 ただひとつ、翡翠色のエグザイムだけがその静寂に君臨している。

 雪はそれを見上げて目を見開く。


「これが……<ディソード>……?」


 サキモリ・エイジの伝説は小学生でも習うごく普通の歴史だ。そして、その彼が相棒としたエグザイムの伝説も。

 その翡翠色の伝説が今目の前にあることは、搬入されていることを事前に聞かされていてもやはり驚くべきことだった。


(サキモリ・エイジの失踪後、どこにいってしまったかは諸説あったのに……)

「驚いたか」

「…………はい」

「サンクトルムの地下に眠っていたのを接収した。サンクトルムにあるとは聞いたが、実際に目にしたときはさすがの私も興奮したものだ……」

「伯父上が……?」


 この氷のような男が興奮することなどあるのだろうか。

 雪は<ディソード>がここにあることより、こちらの方が驚いた。

 雪の意外そうな声が聞こえなかったのか、無視したのか、王我は雪の疑問をよそに言う。


「では、試しに乗ってみろ。早めに慣れておくに越したことはないからな」

「は、はい」

「パイロットスーツは用意してある。アッシュ少尉、案内してやれ」

「了解しました。雪様、こちらへ……」


 雪はアッシュと呼ばれた女性士官の案内に従って工房から出ていく。

 近くで成り行きを見守っていた大佐の階級章を襟元につけた男性が王我に言う。


「元帥、あの娘が今度の作戦の……」

「そうだ。第一次デシアン殲滅作戦……『オペレーション・レクイエム』の主力にして、伝説の剣を振るう勝利の女神だ」


 人類とデシアンの殲滅戦争は次のステップに進もうとしている。デシアンを滅ぼす伝説の剣が100年の時を超えて再び姿を現すのを人々は目撃するだろう。

 しかし、その準備が刻一刻と進められていることを、スノウたちは知らないでいた。

                                  (続く)

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