第88話 流転する事情:雪のリナリア

 シエラが残したお茶を飲み切った後、スノウと雪は食堂を出た。相変わらず人でごった返しているので、手をつなぐことを忘れない。


「シエラとは、どんな話をしていたの」

「気になる?」

「シエラが結局どうしてここに来たのか、わからなかったからね」

「へえ~、さしものスノウも元カノのことは気になるんだ? でもヒミツ。ガールズトークだからね」

「ならしょうがない」


 どうしても聞きたいことではなかったので、それ以上質問するのをやめた。もし仮に自分に会いに来たのだとしたら、何か言いたいことがあったのかもしれないが、話ができなかった以上考えてもしょうがない。スノウはそう思った。


(またいつか会おう、と言った。となれば、シエラの方もまだ会うつもりがあうということだからね……)


 シエラのことを考えることはやめて、スノウは言う。


「今、13時か。そろそろ何か食べておきたいけど……」

「もうそんな時間かぁ。スノウは何か食べたいものある?」

「…………あまり胃に負担がかからないものがいいな」

「だったらさ、ここ!」


 パンフレットの飲食物を提供しているテントが乱立する一角を雪は指さしてスノウに見せる。


「ここら辺は軽食ばかり扱っているから、ちょっとずついろんなもの食べてみるってのがいいんじゃない?」

「それなら……食べる量が調整できるからいいかもね」

「決まりだね! じゃ、行こ!」


 グイグイと引っ張られるので、スノウは雪の速度に合わせて歩き出した。



 ふたりは昼食を調達すると、人目を避けて旧校舎へとやって来ていた。

 適当な空き教室に入って、ゆっくりと学祭特有の物珍しい料理を口にしながら、雪はスノウに聞く。


「そう言えば誰と話してたの?」

「…………何が?」

「立ち話したって食堂でシエラさんに言ってたじゃない。長いこと帰ってこなかったから心配してたんだよ」

「ああ、そのことか。谷井さんとロンド君とちょっとね」

「どんな話?」

「あのふたりもサキモリ杯に出るというそんな話」

「へえ、意外だなぁ。佳奈ちゃんがそういうイベントに参加するの。ロンドくんが一緒とはいえ……」


 雪は目を丸くする。


「優勝賞品が目当てらしい。…………なんだったかな」

「賞金と高級リゾートペア宿泊券だって聞いたよ。出場するのに無関心だね。…………スノウらしいけど」


 今回はほぼ強制的に参加させられたため優勝賞品などまったく気にしてなかったが、スノウは普段通りだったとしても気にしてなかったに違いない。

 そして、雪も別のところに関心があった。


「ってことは、スノウと佳那ちゃんは対戦することになるの?」

「順調にいけば」

「えー、どっちを応援しよう……」

「…………好きな方応援したらいいんじゃない」


 自分を応援しろ、と言わないのは佳那に配慮しているのか、それともただ照れているだけか。あるいは、美学か。はたまた、それ以外か。

 たぶん答えてくれないだろうから、雪は話をそらした。


「スノウとタッグを組む、ホロンって人は強いの?」

「わからないけど、この学校で4年操縦科にいられるんだから、腕がないわけではないはず。それに……」

「それに?」

「…………只者ではない、そんな風に感じる」

「…………スノウがそう言うんだったら、とんでもない人なんだね」


 雪からすればスノウだって只者ではない。もっとも、雪も只者ではないから似た者同士ではあった。

 話題は引き続き、サキモリ杯のことだった。


「サキモリ杯は勝ち抜けそうなの?」

「五分五分。体調が万全じゃないし、仮に万全でも知らない人や僕よりずっと技術のある人とあたることを考えたら、勝ち抜けるとは断定できない。

 それに、ホロンさんと出会ってそう経っていないことでうまく意思疎通が図れないだろうし、そもそも僕もホロンさんもただ勝ち抜くことが目的じゃないから、本気で勝ちたい人と比べるとモチベーションの差がある」

「その、絡まれたふたりに勝ちたいんだっけ」

「そのふたりとの決着も必要だし、他の人たちに変に絡まれないように一応実力だけは示しておきたい。優勝はないにしてもある程度は勝ちたい」

「………………」


 雪はそう語るスノウの顔を見て微笑む。

 スノウはそれに気が付いて言う。


「…………特に面白いことを言ったつもりはないけど」

「んー? 面白くて笑ってるわけじゃないよ。なんか、スノウにしてはちょっと珍しい言い方だなと思って……」

「…………そうかな」

「そうだよ。ちょっと前なら、変な人たちに絡まれたって別にどうとも思ってなかっただろうし、それをなくすために勝ちたいなんて言わなかったよ」

「………………」

「シエラさんはスノウが人間らしくなったって言っていたし、サンクトルムに来てからもちょっとずつだけど、変わり続けてるのかも」

「………………」


 スノウはサンクトルムに入学してからこれまでの学生生活を思い出す。

 ハイスクール時代にはいなかった同性の友人ができた。

 人間が操作するエグザイムと模擬戦をしたり、エグザイムについて勉強した。

 初めて合コンをして、交友関係外の人との会話を楽しんだ。

 海に行ったり、友人の実家へ遊びに行った。

 そして、大規模な事故に巻き込まれ、様々な犠牲を払いながらも命がけの逃亡劇の末に生き残った。

 それらの出来事が、自分に何か影響を与えているとしたら、それは果たして歓迎すべきことなのだろうか。


「えと、でも悪いことじゃないと思うよ。初めて会った頃のちょっと冷たい感じのするスノウも好きだけど、その……今のスノウだって……」


 考え込んでしまい、何も言えなくなったスノウに、後半はほとんど独り言のように、小さな声で雪は言った。顔が少し赤い。


(今のスノウだって、あたしは好き。この人と一緒になりたい。ずっと、ずっと一緒に……)


 今日、これまでスノウと一緒にいるときはできる限り平静を装ってきた。しかし、それも限界まで来ている。周りに人がいるときには静めていた想いが外の喧騒に負けないぐらい心の中で騒ぎ始める。


(もうスノウが他の女の人と一緒にいることに耐えられない。シミラちゃんにも、シエラさんにも、他の誰にも渡したくない)


 教室の中でスノウとふたりきり。誰かに聞かれる心配もなく想いを伝えることができる。

 格好のチャンスを前に、雪は最後に自分の気持ちを確かめる。


(スノウが好き。抱きしめたい。いつまでも眺めていたい。キスしたい。一緒にいたい。この横顔を自分のものだけにしたい。この人の遺伝子が欲しい)


 以前、恋をしたときは悲しい結果に終わってしまった。その時は本当の恋愛ではなく、なんとなく付き合えればいいなーぐらいの軽い気持ちだった。

 今は違う。今はこのスノウ・ヌルというおよそ同い年とは思えないほど達観した男を心から欲している。

 だが、スノウの方は? スノウは自分を求めてくれているだろうか。シエラのように愛してくれるだろうか。


(あたしのこと好きじゃなかったら、告白したらどうなっちゃうんだろう。今の関係がなくなっちゃうのかな……)


 『今』がなくなることを恐れ、雪は一瞬ためらってしまう。すぐに思い直し改めて想いを伝えようとしたが、運命の女神はその一瞬を許しはしなかった。


「あのさ、ス――」

「…………む」


 スノウはポケットをまさぐってスマートフォンを取り出す。スマートフォンはかすかに振動しており、画面は着信が来ていることを示していた。


「ホロンさんか。雪ちゃん、出てもいい?」

「あ、うん……いいよ」

「では。…………はい、ヌルです。はい。ええ……」


 二言三言、電話越しのホロンに対して返事をし、数分の通話を終える。そして、雪の方を向いて言う。


「今ホロンさんから連絡があったんだけど、何やらサキモリ杯の開会式と閉会式のリハーサルをやるから集まってほしいって話だった」

「集まってほしいって……メインステージに?」

「ステージ裏だって。そういうわけで、デートの途中だけど行かなきゃいけなくなった」

「それならしょうがないけど……」


 雪は顔をわずかにしかめる。時間を考えるとリハーサルをした後、そのままサキモリ杯が始まってしまう。せっかくふたりきりになれたのに、学祭が終わるまで一緒にいられないのだ。気持ちが昂った今の雪はトンビに油揚げをさらわれたような気分になった。


(あ、でも……サキモリ杯の間はスノウもずっとメインステージにいるから、誰かにかどかわされることはないんだ。だったら、サキモリ杯が終わった後に合流すれば……)


 すぐにそう思いなおして、雪はスノウに言う。


「じゃあさ、サキモリ杯が終わったら、また会えない?」

「………………」

「その、またデートしてほしいとかじゃなくていいの。ただ、今日また会えないと……」

「何か不都合なことでもあるの」

「不都合というか……まあそんな感じ」


 口ごもる雪の意図がわからず一瞬首をかしげるも、それを考えていてはリハーサルに遅れてしまうのでスノウは考えるのをやめた。


「そういうことならいいよ。終わったら連絡する」

「うん、ありがと。待ってるね。

 …………ほら、早くいかないと。みんなを待たせちゃうよ」

「確かに。じゃあ、行ってくる」


 スノウが教室から出るまで、雪は手を振って見送った。

 完全に見えなくなってから、雪はだらしなく体の力を抜いた。


「はあ~、なんとか会う約束を取り付けられた~」


 緊張でこわばっていたのか、体はやたら疲れている。しかし、心は前向きのまま。


(大丈夫、また会うし、その時にちゃんと言おう。スノウが好きだって。あたしの恋人になってくださいって)


 スノウに話してなんと返ってくるかわからないのは怖い。しかし、今日言い出せなければ後悔することになるのは間違いない。だから、はっきりと伝えようと覚悟した。

 さて、覚悟は決まったので、その時が来るまで時間を潰す必要がある。1時間後にはサキモリ杯が始まるので、それまでどうするかが課題だった。


(ナッちゃんや佳那ちゃんはデートだし、他の人たちも今更言っても予定あるよなぁ。適当にひとりで回ってナンパされるのも面倒だし、いったん部屋に帰ろうかな)


 部屋で一休みするのもいいだろうと思って腰を上げる。

 教室を出て、旧校舎を出ようとしたところで雪は屈強な男ふたりに道をふさがれた。

 前触れもなく一気に行く手を阻まれたため、雪は一驚を喫してしまう。


「北山雪様ですね。私は地球統合軍総司令部所属のイグルス・ケーン大尉であります。防人元帥の命により、貴方を元帥の元へお連れ致します」


 しかし、その男たちの恭しい態度と内容にさらに驚いた。




 地球統合軍の軍人ふたりに連れられ、雪は学長室へ足を踏み入れた。

 すると、主人を欠いた執務机と、応接用のソファに座るゲポラと、その対面に座る王我が見えた。

 雪が来たことを察し、王我が振り向く。


「ようやく来たか」

「はっ……。伯父上、ただいま参りました……」

「では、早速だがここに座れ」


 王我は顎ではす向かいの小さめのソファを指した。だから、雪は素直にそのソファまで歩き王我とゲポラに一礼して座った。

 雪が座ったことを確認すると、ゲポラが渋い顔で言う。


「すまないね、学祭を楽しんでいる最中だったろうに、わざわざ足を運んでもらって」

「あ、いえ……。ちょうど暇ができたところだったので。それに……」

「それに?」

「…………伯父上が呼ぶのであれば、足を運ばぬわけにはいきませんので」


 極力、王我の方を見ないようにして雪は言う。ゲポラと話していれば、王我と話さなくていい。恐怖に支配されないために意図的に王我を外したのだが、所詮20年も生きていない小娘の考えなど何倍も長く生きてきた王我には通用しない。


「いつになく素直ではないか。殊勝なことだな」

「………………」

「ゲポラ、私は世間話をするために雪を呼んだわけではない。貴様は余計なことを喋るな」

「突然こんなところに呼び出されたんです、肩の力を抜いてもらうために必要なことでしょう」

「…………三度目は言わん、貴様は余計なことを喋るな」


 室温が下がったかと錯覚するほどの低く冷たい声で王我はそう言った。

 ゲポラはわずかに眉をひそめ、怒りの矛先が自分に向いていないにかかわらず雪は身震いした。

 ゲポラと雪が黙ったところで、王我は雪を見る。


「さて、本題に入ろう。貴様をここに呼んだ理由だが……ある重要な任務について説明するためだ」

「…………重要な任務、ですか?」

「ああ。その任務とは―――」


 王我の説明を受けると、雪は思わず立ち上がってしまった。顔は不安を通り越して恐怖を表していた。


「そ、それは……」

「言っておくが、貴様に拒否権はない。これは決定事項だ」

「そんな……そんなことって……」


 もはや逃れられぬ自分の運命を知って、雪は目の前が真っ暗になってしまいそうになるのをかろうじてこらえるしかなかった。




 メインステージの裏でサキモリ杯の参加者約50名は実行委員から開会式に進行について最後の説明を受けていた。

 開会式の10分前に説明が終わり自由時間となった。と言っても時間的にたいそれたことはできないので、各々お喋りなんか始めた。

 スノウの隣にいるホロンが言う。


「そろそろ始まるが、緊張してないか?」

「してないです」

「だろうな、所詮お遊びだ。お前や俺にとってはな」

「………………」

「ま、気楽にやろうや。『遊びをせんとや生まれけむ』って言うしな」

「………………?」


 聞き覚えのない日本語の言葉に首をかしげるスノウ。


「なんでしょうか、それは」

「昔の日本の言葉だ。『遊びをしようとしてこの世に生まれてきたのだろうか』という意味。遊女……夜の街のおねーさんたちが詠ったとされている」

「…………遊び」

「そうそう。長いようで短い人生なんだ、楽しまなきゃ損、損」

「………………」


 ホロンは人の争いごとに首を突っ込んできた立場なのでどんな結果になろうが楽しいだろうが……とスノウは思った。スノウは一応、突っかかってきたルウム・マーとバン・ティンプのふたり組を叩きのめすという目的がある。

 目的と言えばあのふたりはどうしているだろうか、と考えたときちょうどそのふたりに話しかけられた。


「ヌルくん、こんにちは」

「谷井さん。…………それにロンド君」

「おい、俺は添え物か」


 佳那とダイゴだ。ふたりはスノウの隣にいるホロンに気が付く。


「あの、こちらの方は……?」

「この人はホロン・オノクスさん。操縦科の4年……僕たちの先輩にあたる人」

「あ……そうでしたか。わたし、谷井佳那って言います。ヌルくんと同じ操縦科の1年です」

「お、俺はダイゴ・ロンドっす。俺は整備科の1年です。先輩、宜しくお願いします」


 丁寧にあいさつをするふたりを見て、ホロンは目頭を抑える。


「どうしたんですか」

「お前と違って素直で可愛い後輩だなって思ってな……」

「………………。

 ロンド君は操縦はできるの」

「そういうところだぞ、ヌル」


 不満そうな声を漏らすホロンは無視してスノウは言う。


「ウェグザイムは操縦しているところを見たことあるけど、戦闘機動は……」

「ちょろっとシミュレーター使ったぐらいだな」

「…………何もしないよりはずっと良い。谷井さんの言うことを聞いていればたぶんやりようはあるんじゃないかな」

「なんだよ、アドバイスしてくれるなんて余裕じゃねえか」

「そうだそうだ、敵なんだぞこいつらは!」

「…………谷井さんは自信持っていれば変な上級生にも負けないぐらい戦えるはず」

「ヌル~、俺にも構えよ~」


 面倒な絡み方をしてくるホロンをいなし、佳那やダイゴと話をしているうちに自由時間が終わり、実行委員から入場するように指示が出た。

 学祭のメインイベントであるサキモリ杯が始まろうとしていた。

                                 (続く)

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