第65話 そして明日へ:ホリホックの為に
アベールが負傷してから数時間後、マロンが集中治療室から出てきた。ひどく疲れた様子で額からの汗をぬぐうこともなく、ただゆっくりと医務室の椅子に座る。
とても長い戦いを終えたボクサーのような状態のマロンに声をかけるのは憚れたが、その汚名を受けようとナンナが言う。
「先輩、オーシャンは……」
「ふぅ~~~~…………一命はとりとめたわ」
深い深い息を吐いてから吐き出された言葉は、その場にいた者をにわかに喜ばせたが、マロンの顔はあまり明るくない。
「でも、本当に一命をとりとめただけ。いつ容態が変化して命を落としてもおかしくないし、予断は許されないわ。それだけは忘れないで」
「…………わかりました」
「私たちも全力は尽くす。怪我したみんなが再起できるように」
「ええ、オーシャンのこと、よろしくお願いします」
深々と頭を下げた後、ナンナは友人たちに言う。
「ひとまずはオーシャンが無事だった。これ以上は私たちには何もできん。解散して体を休めよう」
それに長居していたら迷惑だからな、と付け加えたナンナと友人たちは全員で退室した。
もう涙は流していないものの顔を伏せがちな佳那に雪が言う。
「アベールくん助かってよかったね……」
「………………」
「佳那、気にするなとは言わないがいつまでも気に病んでしまっては体に毒だ」
「…………でも、わたしのせいでしょう」
なおも暗い顔をする佳那。
もっと手際よくできてれば。
もっと僚機を見つけるのが早かったら。
もっと戦えれば。
もっと警戒心があれば。
心の中に渦巻く後悔に心が沈んでいく。悔しさに唇を噛み締める。
「わたしがもっとちゃんとできていれば、オーシャンくんは無事だったんですから……」
「………………」
無力感に打ちひしがれる佳那に何を言えるだろうか。そう考えてナンナはつぶやく。
「『角の頭は丸い』」
「…………なんですかそれ」
「角とは将棋では優秀な駒だ。斜めにはどこまでもいける強力な大駒だが弱点がある。成ならない限り前には進めないという弱点が。
…………誰もが優秀な力を持っている。少なくとも今まで生き抜いてきたこの艦の人間はみな誇れる力があるはず。だが、完璧ではない。どれだけ優秀でも必ず弱点はある。
佳那、君はエネルギー切れで動けない仲間を危険を顧みず救助に向かった。その気高い精神で僚機を助けただけで君はじゅうぶんに役割を果たした。それは誇っていいんじゃないか」
「………………」
佳那は何も言わないで黙ってしまった。
「慰め方がヘッタクソだな、お前……」
「うるさい……。お前はもっとしっかりと言えるのか!?」
「は? …………ええと、そうだな、谷井さん、大昔の漫画で登場キャラクターが言ってたぜ。『配られたカードで勝負するしかないのさ。それがどういう意味であれ』ってね。だから、ほら谷井さんは配られたカードでじゅうぶん戦ったんじゃないのか?」
「お前も大差ないじゃないか!」
「う、うるせえ! もっと時間があればマシなこと言えたわい!」
「もー、ふたりともそんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
ぎゃーぎゃー騒ぐ秋人とナンナ。それに呆れる雪。
今や貴重な日常の光景を見た気がして、佳那はふふっと笑う。
「お?」
「む?」
「え?」
「ふふ、みなさんありがとうございます。…………わたしを慰めてくれて。少しだけ気分が楽になりました」
まだ冬を越したばかりの花々のような弱い笑顔だったが、佳那は確かに微笑んだ。儚くとも微笑んだ。
「それならよかった。
友人が落ち込んでいる姿は私も辛いからな」
「そーだよ、佳那ちゃん。そうやって笑っているのがいちばんだよ」
友人らが安心したように言う。これで一件落着……かと思ったら秋人が冗談めかしてナンナに言う。
「ほら見ろ、俺の慰め方が良かったんだ」
「ふん、馬鹿も休み休み言え。私のお陰だろう」
「はは……。どっちでもいいんじゃないかなぁ」
またギャーギャーとわめき始める秋人とナンナ。それを見て、佳那はいつものように困ったように笑うのであった。
佳那たちが去ってから数十分経った医務室でマロンはまだ椅子に座っていた。しかし、治療が終わった直後のようにただ休んでいるわけではなく、アベール以外の重傷を負った者たちのカルテに目を通していた。
真剣な顔をするマロン、だがその視線がタブレットから入り口の方に向く。
「…………あら、誰かと思えばカホラじゃない」
「よう、大変そうだな」
特徴的な藍色のポニーテールを揺らしてマロンの対面のソファにドカッと座る。
それを見て口をへの字にしながらマロンは言う。
「超大変よ。ガサツな整備科の同期を相手してらんないくらいにはね」
「ほーん、そんな奴いんだなぁ。
この艦には最新の医療機器が積んであんだぜ。それでも厳しいのか?」
マロンは溜息を吐いてからタブレットを閉じてカホラの方へ向き直る。
「最新の機器があっても、使う側は学生よ? 私も後輩たちも専門的な指導は受けているけれど、やはり本職のようにはいかないわ。
いくらテクノロジーが進んでいようと使う側が追い付いてなければ、使いこなせる旧時代の道具に劣るわ」
「そりゃそうだな」
「それで? なんの用なの? あなただって暇じゃないでしょうに」
「別にいいじゃねえか、用がなくても来たって」
「ま、用事はあるんだけどよ」と笑いながら少し居住まいを正してから、真剣な表情で言う。
「ご老人は……スミス氏の容態はどうなってるか、それを聞きてえ」
「…………まだ目を覚ましてないわ。意識レベルは安定しているけれど、なにぶんお年を召されているものだから……」
「…………そっか。目が覚めたら教えてくれ」
「それはいいけど……何があった?」
「後輩どもも結構モノがわかってきたからエグザイムの修理は任せて、最近はずっとメインシステムの調査をしていたんだけどな……」
そこでいったん言葉を区切って、困ったように笑いながら続ける。
「ぜーんぜんわかんなくてなぁ。このシステムを組んだご老人の力を借りたくなってつい足を運んだってワケ」
「なるほど……」
「ま、しょうがない。ご老人の力を借りられなくてもなんとかやるしかねえことがわかっただけいいさ」
「そんなに難しいシステムなのね……」
「ああ、めっちゃ難しいシステムだぜ。人類が未だ制御できていない空間転移能力を備え、また艦全体の電力全てを途切れることなく賄えるほどのエネルギー生産能力を機動兵器サイズで実現しているわけで、それも放射線反応もなしにやっているわけ。人類はこれまでは大量のエネルギーを生産するために核分裂を使っていたわけだが、その危険性が危惧されて今では禁止、基本的に太陽光エネルギーで日常的なエネルギーを賄っている。それなのに、デシアンは機動兵器サイズで核分裂を使っているわけでもないのにあれだけの莫大なエネルギーを扱える、まさしくオーバーテクノロジーってことだ」
「へえ、そうなのね」
マロンは特に表情を変えずサラッと流して言う。
「貴方はそこらの学生や技術者よりよっぽど詳しいのにね」
「アタシだって同じだよ。いくらテクノロジーがすごかろうが人類がまったく追い付いちゃいないんだ、本来ならまだ人類の歴史に現れるはずじゃないものなのかもしれねえ」
「それでも放って置かずに調査しているの?」
「そりゃそうさ。まだ人類の歴史に現れるはずじゃなかったとしても、今あるんだからな。今調査しておけば本来100年かからないと解明できないものがもっと早くわかるようになるかもしれない。アタシの次に調べた人間がすべて解き明かしてくれるかもしれない。なら、今やっておく必要も意義もある」
「今じゃなくて未来の為ってわけね」
「そそ。ま、その前にこの艦が無事に地球圏に帰れるかどうかだけどな」
カホラはハッハッハと笑うが、その目は一切笑っていない。だから、マロンもずっと真顔でその顔を見ていた。
「…………全員に連絡はしたか?」
「ああ、抜かりはねえ」
「武器は?」
「問題なし。全員にいきわたったはず」
「ルートや配置の確認、それらも全部済んだ」
「ま、へーきだろ。全員俺たちの動向に気なんかかけちゃいねえ。絶対にうまくいく」
「ああ、そうだな。
……3日後に決行だ。おれたちがすべてを手に入れる時だ」
遠征11日目 乗組員:200名 負傷者:12名 死傷者:3名
(続く)
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