第46話 あねおとうと:離れてもサルビア
「えーと、紹介します。あたしの弟の北山春樹です」
「…………」
客間に現れた少年・北山春樹は顔をしかめてそっぽを向く。
「ほら、ハルくん。ちゃんとご挨拶しないと」
「ねーちゃんを泣かすような奴にしたくない」
「だ・か・ら! あれはスノウのせいじゃないの!」
姉弟のやり取りを見て、スノウは肩をすくめる。
客間にやって来た春樹が泣いている雪を見て怒り狂った時はどうすべきか考えたものだったが、雪が泣き止み仲裁に入ってから収束は早かった。
今は3人、座布団に座って話ができる状態になったが、春樹は不満を隠すこともせずふてくされていた。
「でもねーちゃん泣いてたじゃん。なんで?」
「…………それは、言えないけど」
「じゃあやっぱり泣かされたんじゃん!」
「違うってば!」
「…………いいよ、雪ちゃん。春樹君のことはもう聞いているから」
言い合うふたりに、今度はスノウが仲裁する形になってふたりを引き離しに入るのだが、やっぱり春樹は気に入らない様子で言う。
「勝手に名前を呼ぶな!」
「じゃあ、ハルくんでいい?」
「おれのことそう呼んでいいのはねーちゃんだけだ!」
「あ、僕の名前はスノウ・ヌル。好きに呼んでいいよ、ハルくん」
「喧嘩売ってんのか! ハルくんって呼ぶな!」
ぎゃーぎゃー大声で叫ぶ春樹。10歳の抑えきれない感情が爆発している。
「こんなやつ、なんで連れてきたんだよねーちゃん!」
「『こんなやつ』なんて言っちゃダメだよ。名前教えてもらったんだからきちんと名前で呼んで」
「こんなやつはこんなやつだもん! ねーちゃんのカレシだろーが関係ねー!」
「か、彼氏!? ち、違うから! そんなんじゃないから! 友達だから! ねえ、スノウ!」
顔を赤くしてめいっぱい否定する雪。
感情の方向性は違えど似たような感情の出し方だったので、スノウは(ああ、やっぱり姉弟なんだな)と思った。
それはそれとして、春樹は何か勘違いをしているようだったのでしっかりと誤解を解いておくことにした。
「僕と雪ちゃんはそういう関係じゃない。お盆の準備がひとりでは大変だから手伝いに来ただけだよ」
「そうそう! だから、これっぽっちもそういう気持ちはないよ!」
「仲良く否定されても説得力ねーよ! もういい! ねーちゃんのバカ!」
「あ、ちょっと!」
雪が止める間もなく、春樹は素早く出て行ってしまった。
その横顔には涙が流れているように見えて、スノウは出ていった方を見ながら問う。
「追わなくていいの?」
「追う。行く場所に心当たりはあるから、ついてきて」
「………………」
しかし、雪の要請に反してスノウはその場から動かない。
「スノウ?」
「僕が行っても春樹君を刺激するだけだよ」
「…………そう、だね。
ごめん、ちゃんとハルくんを連れてくるから待ってて」
「うん。ゆっくり話をしてきなよ」
雪は目を少しこすって春樹の後を追って出ていった。
その後ろ姿を見て、(姉弟というよりは母子みたいだなぁ)と少し思った。もっとも、もうとっくに両親などいない彼のその感想はけっこう薄っぺらいものなのだが。
防人家の敷地内にある古ぼけた蔵が母屋の裏にある。普段は厳重にロックされており、中に誰も入ることができないようになっているが、どういうわけか春樹はその中でうずくまっていた。
「ねーちゃんのバカ……。せっかく会いに来たのに……」
うずくまって涙を流す。業火の如き怒りは今は抑え込まれ、ただ寂しさの水の底に沈むだけ。
その春樹の後ろには、小さな、子供ひとり分しか通れないぐらいの穴が開いている。差し込む光はオレンジ色で、それもフレーバーとなって彼の寂しさを彩っていた。
「…………おれより、あのにーちゃんの方が大事なのかな」
ぐずぐずと鼻から音を立ててじっとしていると、穴から差し込む光がスッとなくなる。
そして、聞きなれた声が聞こえる。
「ハルくん? いるんでしょ?」
「…………ねーちゃん」
「あ、やっぱりここにいた」
靴がこすれる音が聞こえるが、彼女は姿を見せない。
「あはは、昔はこの中に入れたのに、もう今じゃ無理そう」
「………………」
「ハルくんは昔から嫌なことがあるとここに来るよね。そっか、まだ入れるんだ」
「…………ちょっとキツかったけどな」
成長していない、と言われた気がしてムッとする。実際、前に通った時よりキツかったので嘘ではない。
それは雪もわかっていたことのようで、優しい声で言う。
「そうだよね。会うのは3年ぶりだもん、ハルくんだって大きくなっているよね」
「身長は140cmあるんだぜ。クラスでは後ろから数えた方が早いよ」
「うんうん。とっても大きくなった。男の子の成長って早いなぁ」
ふと、身近な男子のことを思い浮かべる。彼も同じように成長したんだろうか。弟と同じ10歳のころは何をしていたんだろうか。
雪がそんなことを考えていると、春樹は不機嫌そうに言う。
「ねーちゃん、またあのにーちゃんのこと考えてるな?」
「うぇっ!? な、なんでわかったの?」
「あのな、おれはねーちゃんの弟だぞ。そんぐれーわかるよ。
…………ねーちゃんがおれを大事に思ってわざと明るく陽キャみたいに振舞い始めたのも、知ってんだ」
「や、やっぱりバレてた……」
バツが悪そうにする雪。
「…………ねーちゃん、3年前からやたら明るくなった。たぶん父ちゃんと母ちゃんが死んだから、それでおれが寂しくないようにわざとだろ。
でも、ねーちゃんはもともと花が好きで自分の殻にこもりがちな地味女なんだかららしくないんだよ」
「じ、地味で悪かったね!」
「なんだっけ? 中学で好きな男子と―――」
「わー! わー! それは言わないでぇ!」
真っ赤になった顔を両手で覆う。穴があったら入りたい、といった気分だ。穴ならそこにあるが、入ったら弟にその顔を見られるだろうから結局は入れないだろうが。
「んで、今度はあのにーちゃんを好きになっちゃったわけ?」
「…………スノウが好き、かぁ」
「違うの?」
「…………わかんない。わかんないんだよね」
「ねーちゃんにわからないなら、おれにもわからないよ」
はあ、と年に似合わないため息を吐く。恋多き乙女を姉に持つと大変だ、と言わんばかりだ。
「…………でも、おれと会うことより大事なら、きっと好きなんじゃないの」
「…………ごめんね、ハルくん」
「なにが?」
「ハルくんと会うの3年ぶりだもんね。きっと、この3年間寂しかったよね」
「………………」
ぎゅっとこぶしを握り締める。そして、声変りを果たしていない声を極力低くして言葉を絞り出す。
「…………引き取ってくれた叔父さんにはありがとうって思ってる。叔母さんにも。けど、やっぱりおれの家族はねーちゃんなんだ。
おれ、またねーちゃんに会えるって思ったから、夏休みの宿題だってすぐに終わらせた。それだけじゃない、毎日勉強も頑張ったよ」
「うん」
「でも、久しぶりに会ったねーちゃんは泣いてたし、変なにーちゃんがいて、わけわかんなくなっちゃって。やっぱり、おれ寂しかったよ。ねーちゃんがおれの届かないところに行っちゃった気がして」
「わかるよ。だって、あたしはハルくんのお姉ちゃんだから。
ほら、ハルくん」
雪は穴に手を入れる。体は通れなくても腕なら春樹の方へ伸ばせる。
「大丈夫、お姉ちゃんはどこにもいかないよ。離れていても、ハルくんはあたしの弟。あたしはハルくんのお姉ちゃんだよ」
「…………ねーちゃん」
震えながらおずおずと差し出された手をつかむ。そして、雪に引かれるがまま外に出た。
暗い場所から出たからか、夕日がすごくまぶしくて目を細くしてしまう。
「よし。じゃ、戻ろっか。この3年間の話、いろいろ聞かせて」
「…………うん。でも、あのにーちゃんと一緒はやだ」
「え~」
「言っておくけど、おれはあのにーちゃんを認めたわけじゃないから」
「でも、悪口言ったことはちゃんと謝るんだよ」
姉弟仲良くかつての日々のように仲良く手をつないで歩いていくのであった。
(続く)
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