第47話 ディアマイブラザー:アイリスの予兆

 ふたりが帰ってきた後、すぐに夕食となった。と言っても王我は忙しいのか姿を見せず、3人と雪と春樹の伯母である防人夫人の4人が席に着いていた。

 この夫人というのが、あの防人王我の妻であることが信じられないくらい温厚で、スノウに対してもとても友好的に接してくれる人だった。


「となると、ヌルくんは同輩の間でもかなり優秀なパイロットなのね~」

「乗っている年月だけは長いですから」

「そうですよ、伯母さん。この間も新型デシアンを撃墜してましたから」

「ヌルくんみたいな人が統合軍に入ってくれたら、しばらくは安泰ねぇ」


 雪がスノウの話をして、それを夫人が嬉しそうに肯定をする。次は春樹が学校の話をして、それを夫人が嬉しそうに微笑む。そういう繰り返しで夕食の時間が過ぎていく。

 夕食が終わって食後のお茶を飲んでいるスノウのそばに春樹がやってくる。


「…………ヌル、さん」

「………………」

「今いい?」

「構わない」


 湯呑をテーブルに置いて春樹に向き直る。


「なんだい」

「…………さっきは、ごめんなさい」


 頭を下げる春樹。だが心の底から申し訳なさそうではない。ちょっとふてくされていて、人によっては不誠実に感じるだろう。

 だが、むしろスノウは好ましく思った。本心では謝ることに抵抗があるが、それでも姉のためにも謝らないといけないとわかっている行動で、それからは人のために自分を捨てられる心意気を感じられた。それに年頃の子供らしい態度だったのもほほえましいと思える。

 果たして自分が彼と同じ年頃だった時に、こういう風に謝る機会があっただろうか。スノウは思い出そうとして、それは今することではないと即座にやめた。


「気にしてない。

 それより雪ちゃんと一緒にいなよ。何年も会ってなかったんでしょ?」

「…………うん。

 じゃあ」


 最後までふてくされた表情を変えずに春樹はちょっと離れたところで見守っていた雪のところに戻る。

 雪は笑顔で春樹を抱きしめて頭をなでる。


「よく言えました」

「…………恥ずかしいんだけど」

「いいのいいの」


 姉弟の会話を聞いたスノウはそっとその場から立ち去ることにした。



 夜のとばりが降りた日本庭園は、昼間見せる姿から様変わりしている。

 月の光に照らされた花々は淡く存在を主張し、儚げに咲いている。また、池の水が跳ねる音が庭園に波紋のように響くのは実にあはれ。

 池にかかる橋の上で欄干に手をついて、スノウは空を眺めていた。

 暗い宇宙に存在する宇宙ステーションの空は偽物の景色なのだが(特にL1宙域は太陽と地球の中間点に存在するため、常に太陽を観測ができることで有名だ)、それでも夜空を見上げればいろんな感情が湧き上がってくるものだ。

 スノウは星を見ることは嫌いではなかった。昔は星空を見ることさえ贅沢だった時期があったからだ。

 時間を忘れて空を見上げていると、じゃりっじゃりっと誰かが近づいてくる音と声が聞こえてきた。


「人の家に上がり込んでおいて月見とは、ずいぶんと良いご身分だな」

「防人元帥」


 和服に草履を履いた王我が欄干に体を預けて言う。


「雪が何の為に貴様を連れてきたかは知らんが、暇をしているなら来ないでもらいたかったものだな」

「雪ちゃんに誘われたので」

「つまらん理由だな」

「コメディアンではないので面白いことは言えません」

「では何ができるというのだ、貴様に」

「デシアンを撃墜することなら」


 いつものように真顔で言い放つスノウ。今の自分にできることはそれしかない、という断定。その言葉に表情に結論に一点の曇りなし。

 だが、王我は表情を崩さない。


「フン、大した自信だな。

 まあ、よかろう。そうでなくては貴様らの後期カリキュラムをいじった甲斐がないというものだ」

「後期カリキュラム、ですか」

「予告しておこう。本来、2年生で行うはずの遠征実習を貴様らにはやってもらうことになる。詳細はまた後日通達があると思うがな」

「遠征ということは統合軍の1部隊としてデシアンと戦うということでしょうか」

「そういうこともあるだろうな」


 この遠征実習というのは過酷で知られ、この実習を機に自主退学する生徒も毎年必ず現れるぐらいだ。長いサンクトルムの歴史の中で死者も出ている。

 それだというのに、「今日会社に遅刻しちゃってさ~」と友人に言われた時程度の重大さで王我はそう言った。

 また、スノウも蛙の面に水といった具合で「やはりそうですか」と言うだけだった。


「せいぜい死なないようにするんだな。

 …………さて、私は戻るとしよう。夜風に当たりたかったが、先客がいるのであれば興ざめだ」

「僕はもう少しここにいますので、お構いなく」

「最初から構うものか」


 王我は一瞬、スノウに―――否、スノウの真後ろを見るかのように鋭い視線を送り母屋へ戻る。

 自室に戻る途中、王我は思う。


(…………今日のような綺麗な星空を見上げるのは、雪の父亜門は好きだった。なんとなく亜門がいるような気がしたが……スノウだったか)


 王我はせっかく弟のことを思い出したのだからと自室に戻る前に線香をあげるべく盆棚に向かっていった。




 その後、スノウは数日間のんびりと防人邸で過ごした。見慣れない日本の原風景的な防人邸は見てて飽きないものだったし、雪や春樹もいたのでその時間はあっという間に感じられた。

 そして、16日夕方。迎え火の時とは逆に提灯にろうそくを入れて、それを墓場まで持っていく。送り火と呼ばれるそれを終えて、とうとう帰る時間が来た。


「パインさん、あたしたちは帰りますね」

「ええ、ええ。またいらしてくださいませ、雪様も春樹様も、スノウ様も」

「うん。パインも元気でな!」

「誘われればまたいずれ」


 雪は春樹と手をつないで、スノウはふたりよりちょっと後ろをキープしながら宇宙港まで戻ってくる。

 しかし、ここからはお別れだ。スノウと雪はサンクトルムへ、春樹は引き取ってもらった母方の叔父の元へそれぞれ帰るからだ。

 先に春樹が乗る船がやってくるので、そろそろ乗り込む準備をしなければならない。だが、その時間になっても春樹は手を放そうとしない。

 雪が心配そうに言う。


「ハルくん、もう時間だよ」

「…………ねーちゃんと離れたくない」

「だけど、叔父さんと叔母さんが心配しちゃうよ」

「でも……」

「言ったでしょ、ハルくん。離れていても、あたしはハルくんのお姉ちゃん。それに変わりはないって」

「…………うん」

「だから、いってらっしゃい。良いことでも悪いことでも、何かあったらいつでも連絡していいから」


 その言葉を受けて春樹はためらいがちに少しずつ姉から手を放す。


『まもなく、L2宙域行の船が参ります。ご乗船の方は1番ゲートへお越しください』


 アナウンスが鳴った時、春樹は完全に手を放して笑う。


「うん! またね、ねーちゃん」


 そして、振り返ることなく、その体にはまだ大きなリュックを背負って駆け出して行った。

 その背中が見えなくなってから、スノウは雪に聞こえるぐらいの声で言う。


「春樹君は強い子だね」

「…………うん。あたしも頑張らなきゃ」

「…………僕の前でぐらい、肩の力を抜いてもいいよ」

「あはは、ありがと。また甘えちゃうと思うけど、許してね」

「いつでもどうぞ」


 微笑むスノウを見て、雪はふと思った。


(…………なんかいつもより優しい気がする。普段のちょっと離れたところで静観している感じじゃないけど、なんでだろ?)


 頭の中で首をかしげるが、考えても答えは出ない。

 そのうち、乗船アナウンスが流れてそんな疑問もまた流されていってしまうのであった。

                                  (続く)

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