第45話 魂のふるさと:今日は菊を飾って

 王我への挨拶を終えたふたりは客間で休んでいた。

 客間は王我の部屋と同じく、シンプルな和室で中央には木製の四角いテーブルが置いてある。そのテーブルに対面で座って緑茶をすする。


「ふぅ、緑茶が体にしみるねぇ」

「…………うん、おいしい」

「…………ごめんね。なんか嫌な思いさせちゃって」

「防人元帥のことだったら、そういう人だってことは知っていたから気にしてないよ」


 傲岸不遜で他者を見下した人間だということは、入学式での挨拶から察せられることであり、しかもそんなことはスノウにとって些細なことであった。


「それより、君が防人元帥の親族、しかも姪だったなんて」

「驚いた?」

「というよりは納得がいった。君の操縦センスに理由ができたからね」


 時折見せた雪の高い操縦技能、それが英雄サキモリ・エイジの子孫だったからということならうなずける話だった。

 スノウは得心がいったようにうなずくが、雪は対照的に首を横に振る。


「あまりいいものでもないよ。時折ああやって報告にいかないといけないから……」

「苦しそうだった」

「…………うん。次のことを考えると今から気が重いよ」

「いつもあんな報告を?」

「…………うん」


 ひどく落ち込んでいるようなので、それ以上触れない方がいいと思ったからスノウは何も言わないのだが、雪は湯呑みに残った緑茶を飲み干して言う。


「…………伯父さん、伯母さんとの間に子供ができなくて。それであたしのお婿さんになる人を跡取りにしようって考えてるの。昔は冗談でそんなこと言っていたのに、今は見てもらった通り」

「………………」

「スノウをお婿さん役にして伯父さんを騙そうってちょっとだけ思ったけど、それは誠実じゃないよね。スノウにも、伯父さんにも」

「そうかもね」


 仮にそういうつもりであるなら、連れてくるときに説明するべきだった。それがわかっているから、雪も思いとどまったわけだ。


「とすると、僕を連れてきたのは他の理由があるんだよね」

「…………そう。ひとつは伯父さんへの挨拶。ひとりだと気が滅入ってしょうがないから、近くにいてほしくて。

 それで、もうひとつは……お父さんとお母さんのお迎えを手伝ってもらいたくて」

「荷物持ちとか?」

「それもそうだけど……まあ、今から一緒に行けばわかるよ。準備するからちょっと待ってて」


 そう言って雪は立ち上がって部屋の外へ出て行き、戻ってきたのは数分経ってからだった。

 手にはバケツを持ち、中にはスポンジや雑巾が入っている。他にも肩にバッグをかけていた。


「じゃ、スノウはバケツを持って。あと玄関から靴を持ってきてくれない? あたしは一応荷物のチェックをするから」

「僕と雪ちゃん、ふたりぶんでいいの?」

「うん。あたしたちのだけでいいから」

「了解」


 指示通りに靴を持ってくると、雪は言う。


「じゃあ、行こうか」

「…………何をしに?」

「お父さんとお母さんを迎えに」

「………………?」


 この道具と両親の迎えに行くことになんの関係があるんだろう? とスノウにはまったくもって理解できない様相だったが、行けばわかるらしいので黙ってついていくことにした。

 玄関ではなく縁側から外に出たふたりは高級住宅街をゆっくりと歩いていく。


「目的地までそんなに遠くないから急がずのんびり行こっか。まだまだ暑いしね」

「確かにね」

「そうは言うのに、スノウはずっと長袖じゃない」

「まあね」


 今のスノウは長袖の水色のシャツと、カーキ色のスキニーパンツといった恰好だ。色合いのお陰で涼し気なものの、ノースリーブと七分丈のパンツの雪と比べるとやはり幾分か暑そうだ。

 というより、スノウは基本的に長袖の服しか着ない。なぜかと言うと……。


「…………やっぱり、傷跡を隠すため?」

「そう。できる限り人には見せないように言われているから」

「そうだよね……」


 雪は海の一件を思い出す。


「すごく驚いたよ」

「雪ちゃんは綺麗な体しているもんね」

「…………なーんで君はサラッとそういうこと言ってくれちゃうかなぁー」


 スノウには天然ジゴロの素質があるのだろうか、なんて雪は思った。だから、しっかりと小さな子どもに言い聞かせるように言う。


「スノウ、そういう言葉は誰彼構わず言っちゃだめだよ。冗談言ってるんだか本気なんだかわかんない表情してるんだし、セクハラに思われちゃうかもしれないから」

「いや、本心なんだけど……」

「尚更!」


 優しい言い方から打って変わって強く言われてしまったので、スノウは黙ってうなずいた。




「さて、目的地に到着です」


 ふたりがやってきたのは、日本式の墓石が立ち並ぶこじんまりとした墓場だった。

 数々の墓石が並ぶ中、雪がそのうちのひとつに足を止める。


「…………これは」

「お墓。あたしのお父さんとお母さんの」


 北山家之墓と彫られた墓石を優しくなでる。


「ただいま。なかなか来れなくてごめんね」

「………………」

「…………ん、じゃあスノウは水くんできてくれる?」

「…………了解」


 その後、ふたりは丁寧に時間をかけて墓石を掃除する。スノウは主に雑草抜きや玉砂利を洗い、雪は墓石の汚れを雑巾で拭いたり洗ったり。そんな風に小一時間かけて墓石はすっかり綺麗になった。


「よしっと。じゃ、お線香あげよっか。これに火をつけてくれる?」


 バッグから取り出した線香に、スノウは同じくバッグから取り出したライターで火をつける。そして、煙が立っている線香を立てて手を合わせる。


「………………」

「………………」


 何十分も目をつぶっていた気がするが、実際には10秒くらいでお墓参りは終わる。

 目を開けて雪は今度は提灯を取り出す。


「最後にお父さんとお母さんをお迎えしないと」

「それが目的だったね」

「うん」


 持ってきた提灯にろうそくを刺して火をつける。


「…………8月13日から16日までお盆って言うんだ。その4日間は亡くなった人やご先祖様の御霊がこの世に帰ってくるとされてて、それをお迎えするのがしきたりなの」

「………………」

「御霊はこのろうそくの火を目印にしてお家に帰ってくるんだって」

「…………不思議な話だね。小さな灯火でも帰ってこられるなんて」

「たとえ身体を失っても、魂だけはもといた家に帰りたいって思うのかもね」


 雪は提灯を手に持つ。暖かく小さな灯火が少し揺れる。


「それじゃあ、帰ろ?」


 その言葉はスノウに向けられたものなのか、それとも……。

 スノウは何も言わず雪と少し距離を取って歩き始めた。




 防人邸に帰って盆棚にろうそくを移して迎え火は終わり。後は16日に送り火をすればつつがなく終わる。

 お墓の掃除に使った道具も全部片づけて、ふたりは客間で休憩していた。


「ありがとね、スノウ。これでやることはやったから、ゆっくりしてね」

「そうする。お墓の掃除が結構時間かかったから、後は休む」

「そうだね。あたしも久々にやったから疲れちゃった」

「前はいつ来たの?」

「えーっと、あたしがハイスクールの1年生のころだから……」


 ふと考える素振りをしながら雪は指折り数える。


「3年前だと思う。やっぱりお盆で―――ひとりでやったな」

「弟さんはまだ小さかったか」

「7歳だったし……それにお父さんとお母さんが亡くなってそんなに時間が経ってなかったから……。たぶん、辛いだろうって思って」

「…………君だって、辛かったんじゃないのか」

「…………うん。辛かったよ」


 俯いて今にも消え入りそうな声でその時のことを思い出す。


「…………あたしってさ、中学まではすっごい暗くて友達なんて全然いなかった。でも、ハイスクールに入る前にお父さんお母さんが死んじゃって、変わらなきゃって思って、勇気を出して……それで頑張ってハイスクールで友達作って、その時の夏休みも友達とたくさん遊びに行った。

 そんな変わったあたしを報告したくてお盆にお墓参りに来たんだけど、もうお父さんもお母さんもいないんだって思ったら、あたしに『よく頑張ったね』って言ってくれないんだと思ったら、涙が止まらなくて……」


 3年前の記憶を辿り、それとオーバーラップするかのようにどんどん声に嗚咽が混じっていく。


「…………でも、お墓は……グスッ、あたしがちゃんと手入れしないといけないから、ちゃんとやったよ。

 だけど、その時……ううっ、その時の気持ちがまた出ちゃうから、2年生3年生と行かなくて……。

 実はね、スノウに……一緒に来てもらったのは、ひとりじゃたぶん思い出しちゃうから……スノウ?」


 いつの間にか雪の隣に来ていたスノウは、彼女の背中をさすり始める。


「…………いいよ、もう」


 赤くした雪の瞳をしっかり見てスノウは言う。


「よく頑張ったよ」


 その言葉で、雪の中で押しとどめていた様々な想いが抑えきれなくなった。


「うっ……うっ、スノウ……。ううううっ!」

「っと、雪ちゃん……」


 スノウの胸の中で泣き始める。3年にわたって溜めていた気持ちをすべて吐き出すように、ただ子供のように。

 そんな彼女をゆっくり落ち着けるように頭をなでてあげながら抱きしめるスノウ。


(…………髪、すごく触り心地いいな)


 ふと場違いなことを考えながら頭をなで続けていると、外からドタドタドタという音が聞こえてきた。その音は次第に大きくなってきて、部屋の前で止まる。


「ねえちゃーん、久しぶりー!」

「………………」

「…………あれ?」


 笑顔で入ってきた少年と視線が合う。


「にーちゃん、誰?」


 さて、どう説明したもんか。

 泣き続ける雪を見て、続いて天井を見上げてスノウはそう思った。

                                  (続く)

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