第13話 望まれぬ外出:エリンジウムの片鱗

 円盤の上で短い針が12を、長い針が45を指している。スノウは手首につけたそれをじっと見つめている。そして、周りを見渡す。

 スノウは今、学生寮のロビーのソファに座っている。ロビーにいるのはスノウだけということはないが、広さに反して人は少なくどこか閑散とした印象を与える。

 人があまりいないということで遠慮なくスノウは体をのびのびとさせてから再び時計を見て思う。


(雪ちゃん、遅いな……)


 この日はGW最終日。すなわち、スノウが雪と約束したデートの日である。12時30分に『アリサ』と呼ばれる学生寮、すなわちスノウが普段生活している学生寮で待ち合わせの予定だ。


『あたしが迎えに行くから、スノウはロビーで待ってて!』


 前日にそんなメッセージを雪は送っていたのである。

 デートの約束を取り付けたのはこちらだからと最初スノウは自分が雪を迎えに行こうと思っていた。しかし、女性は出かける準備に時間をかけることを考えその提案を甘んじて受け入れたのだ。

 それだというのにその提案をした雪が来ない。いくら準備に時間がかかるといえど遅刻するほどだろうか。

 何度か連絡をとってみようとしたものの、返事はなし。


(返事できないくらい準備に時間をかけているのだろうか。だとしたらこちらから迎えに行く方がいいかな)


 このまま待っていても時間の無駄だからとスノウは立ち上がって、雪が生活している学生寮『ルウラ』へと向かうことにした。



 学生寮『ルウラ』は『アリサ』からはそう遠くないので、歩いて5分ほどでたどり着く。

 区別するためにそれぞれの学生寮には名前がついているが、見た目や内装は変わらない。唯一違う点といえば植物でにぎわう庭の風景ぐらいで、『ルウラ』の庭は色とりどりの草花が特徴的だ。

 スノウは先日絵のモデルにした黄色い花によく似た花を花壇で見つけて目の前にしゃがむ。


(この間見た花と似ている。色合いや花弁の形、葉っぱの形まで。似ているというより、たぶん同じ種類の花なのだろう。でも、こっちの方が心なしか状態がいいようだけど……)


 記憶の中の花と目の前の花を見比べて考え込むスノウにじょうろを持って眼鏡をかけたひとりの女性が申し訳なさそうに話しかける。


「あ……あの、すみません」

「はい?」

「えと、その花に水をやりたいので少し横にずれてくれませんか?」

「それは構わないんだけど……、何をやっているの雪ちゃん」

「えっ? ってええ!? す、スノウ君!?」

「冷たい」


 眼鏡がずり落ちそうになるくらい驚いてその女性、つまり雪が後ずさる。じょうろが床に落ちて水が飛び散る。


「あ! ごめん! 今拭くから……」

「別にいいよこれぐらいは。それより、そんな恰好で何をしているんだい?」

「こ、これはここの庭に花を植えさせてもらっているからそれの世話を……」


 雪は恥ずかしそうにじょうろを抱えて顔を赤くする。

 キャスケットを被り、眼鏡をかけ、軍手をして、長袖のシャツとジーンズとエプロンを身に着けた姿はかなり地味な恰好だ。庭いじりをするのには最適といえる恰好でもある。

 普段とあまりにも違う恰好(かつ眼鏡と帽子付き)により間近で顔を見るまでスノウは雪だと気が付かなかった。というより、ほとんどの人が今の恰好では雪だと認識できないだろう。


「…………なんか普段と違って見えるね」

「あ、あたしだっていつもああじゃないから……。

 それより、どうしてここに? デートなら時間になったらあたしから迎えに行くって……」

「その約束の時間、過ぎているからね」


 ここで一言「待ちきれなくなって迎えに来ちゃったぜ」とでも言えば角も立たないだろうに、ストレートド真ん中の発言に雪はうろたえ時間を確認する。


「あ、本当だ……。おかしいな、アラームはセットしてあったはずなんだけど……」

「アラーム」

「遅れちゃいけないと思って……。…………1時間遅れてセットしていたみたい」

「そういうこともあるよ。それで、デートはどうする? 準備はできてなさそうだけど」


 花を傷つけないように花壇のレンガに足を組んで座る。言葉にはしてないないが、準備する時間が必要ならここで待っているということだ。


「…………その子で水やりは終わるから、それから行こっか」

「了解」


 スノウがうなずいたのを見てから、雪はじょうろの中にわずかに残っていた水をスノウが先ほどまで見ていた黄色い花に注ぐ。


「…………よし。ごめん、ちょっとだけ待ってて!」

「うん」


 水をやり終わって雪は『ルウラ』の自室へと走っていく。


(…………普段から、花の世話とかしているのかな)

「どうなんだい?」


 慣れた水やりの手つきや様になっている恰好からそう思って目線を花にやる。

 水を滴らせた花は何も言わない。




 雪は自室についてすぐに扉をロック、じょうろと軍手と帽子を放り投げて髪をくしゃくしゃとする。


「ああああああああああ~~~!! あたしのバカ! なんで時間確認してなかったの!」


 恥ずかしさと申し訳なさで胸がはちきれそうになって、その場でうずくまる。


「…………せっかくスノウがあたしを気遣ってこんな機会をくれたのに」


 もともとこのデートは失言を気に病む雪の罪悪感をなくすためにスノウが提案したものだ。それなのにさらに罪の上塗りをするとは。自分で自分が悲しくなる雪であった。


「はあ……。なんで迎えに来ちゃうかな……。約束の時間も忘れてしまうような人なんて愛想尽かして帰ってくれればよかったのに……」


 あまりに悲しくなって自己嫌悪をし始める。スノウのその行動に不満を持っているようにも聞こえるその言葉を吐く姿は、普段人前で見せている自信満々天真爛漫な姿とはまったく違ってまるで別人のようだ。

 もう一度ため息をついて雪は立ち上がる。


「でも、来ちゃったからにはしょうがないよね……。準備してデートに行かなきゃ」


 そう言ってクローゼットを開き、着ていく服を考え始めるのであった。




 30分後。雪が玄関から小走りでやってきた。


「お待たせ! ごめんね」

「そんなに急がなくていいのに」

「だって長いこと待たせたから……」

「気にはしないよ。

 じゃあ、行こうか」

「りょーかい」


 隣を歩きながらスノウは雪の恰好を見る。

 ピンク色のブラウスに春物のカーディガン、紺色のプリーツスカートとハイソックス、それにショートブーツ。普段の雪がパンツルックが多いことを考えるとより『女の子らしさ』を表に出したファッションだと言える。

 一方、スノウはシャツの上にジャケットを羽織り、カーゴパンツとスニーカーを履いているだけという恰好だ。ジャケットを着ているぶんだけ普段より多少マシな程度である。デートだからと多少は着飾っていこう考えた結果がこうなあたり、スノウの服装に対する頓着の無さがわかる。

 それは置いておいて、雪の恰好はとても魅力的に思えた。だからスノウは正直に感想を言う。


「よく似合っている」

「ふふ、ありがと」

「さっきの服装も似合っていたけどね」

「もう、やめてよ。あたしがあんな野暮ったい恰好をしているなんて思われたくないから眼鏡をかけて帽子を被っていたんだから」


 視力矯正技術が発達したこの時代において視力矯正用の眼鏡はほとんど無用の長物だ。しかし、視力矯正としての価値はなくなってもファッションとしての価値は残っている。そのためこの時代において眼鏡はファッションの一部としての使い方が一般的である。また、先ほどまでの雪のように変装のために使われることもままある。


「それより、スノウ君。どこ行くかとか考えてるの?」

「一応は」

「じゃあ、エスコートしちゃってくださいな。かっこよくね」

「姫のお気に召すままに」




 そんなこんなでやってきたのは『カコリカ』にある雑貨屋さんだった。メインストリートから少し外れた裏通りに構えている店舗で、どこかオリエンタルな雰囲気を醸し出している。


「おー、いろいろあるねぇ」


 立地のためか店舗内に客は少ない。だから雪は遠慮なく並べられた商品を眺め始めた。どの商品もかつてアジアと呼ばれた地域に見られた特徴的な紋様や色合いをしていて、西洋のもので固められたこの時代においてはそれらが新鮮に感じられる。


「あ、これ可愛いかも」


 そう言って雪が手に取ったのは水色の長財布。そこに描かれた金魚は鮮やかな朱色で、財布そのものの水色との対比でより一層美しく見える。浮世絵のような絵柄で描かれた金魚は今にも動き出しそうだ。


「む」


 一方でスノウが手に取ったのはA4サイズのブックカバー。アラベスク模様なこと以外にこれと言って特徴はないが、こういった模様を見たことのないスノウにはとても神秘的で特別なものに感じられた。

 似たようなアラベスク模様のブックカバーを一通り眺めていると、ちょんちょんと雪が肩をたたく。


「ねね、スノウ君。こっちとこっち、どっちが可愛いと思う?」


 振り向いたスノウに先ほどの金魚柄の財布と招き猫が描かれた財布を見せる。


「どっちも可愛いから、どっち買うか迷っちゃって」

「どっちも買うのは」

「うーん、長財布がふたつあってもなぁ……」

「なら、選ばなかった方を僕が買うよ」

「え?」

「しばらく選んだ方を使ってみて、やっぱりもう片方がいいとなったら交換する。そしたらもう片方もしばらく使ってみるんだ。それで、どっちが良かったかもう一度吟味する。それで最終的にどっちがいいか決めてみればいいんじゃないかな」

「その間、スノウ君は買った財布を使うの?」

「使わないよ。持っているだけ。最終的に雪ちゃんが選ばなかった方を使うことにはなるだろうけどね」

「…………それ、結局スノウ君が中古品を使うことになって損しない?」


 雪がどちらを最終的に選ぶにせよ、両方の財布は一度彼女の手に渡ることになる。スノウの言葉通りなら、雪が選び終わるまでスノウはどちらの財布も使えない。そして、スノウの手に渡るのは雪の使用済みの財布になる。ようは、定価で中古の財布を買うのと大して変わりはない。しかも対価を払ってすぐに使えるわけでもない。総じて、雪にはたいへん都合のいい申し出であるが、逆にスノウにとってはどうしようもなく損な話なのだ。

 もちろん、スノウが美少女の使用済みの財布を手に入れて興奮するような変態であれば話は別だが。

 そんな変態ではないスノウであるが、別に構わないと首を横に振る。


「せっかくのデートだ。男が多少損するくらいがちょうどいいよ」

「…………スノウ君」


 スノウの言葉を聞いて申し訳なさそうな顔になる雪。

 しかし、それも一瞬のこと。すぐに人懐っこい笑顔になって言う。


「ふーん、そんな提案してくれるなんてスノウ君って意外といい男なんだねぇ。じゃあお言葉に甘えちゃおうかな」

「それがいいよ。それじゃ、会計を済ましてこようか」


 スノウは招き猫の財布とさっきまで眺めていたブックカバーを手に会計カウンターへと歩いていく。

 その後ろで雪は息を深く吐き、顔をしかめてスノウの背中をじっと見つめていた。

 どこか不穏さを醸し出すものの、デートはまだ終わらない……。

                                 (続く)

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