第12話 教え、教わり:誰かをヤグルマギク

 宇宙に人類が進出してからすでに数世紀経っているのだが、当然そのために宇宙にはスペースデブリが多く存在している。旧時代に飛ばしていた人工衛星のパーツや、宇宙開発の際に発生したゴミなどがその正体である。

 それらは宇宙航行の時に障害となるため、回収し処分する仕事も存在しているということは想像に難くないだろう。

 そんなスペースデブリが白い閃光に飲み込まれて消えていく。

 そして、その白い閃光の行き先にいた<トライ>もスペースデブリと同じように光の中へ消えていく。


「まずは、1機」


 両手でEブラスターを携えた<オカリナ>が鋭くその銃口を右斜め45°に動かし発砲。銃口から白い閃光が放たれて射線上にいた<トライ>を貫く。

 その<オカリナ>のコックピットにいる―――シミュレーターなため、実際に座っているわけではないが―――スノウは視線を上に向け、最後の1機を確認し、再びビームを発射する。

 最後の1機……AI操作の<オカリナ>は見事なスラスター操作でビームを避けて、手に持ったブロードブレードで斬りかかる。


(そう来るなら……)


 Eブラスターを手放し、左右の腰に吊るしているブロードブレードを両手に1本ずつ持ち、そのまま上に突きだす。

 左アームは斬り裂かれてしまったものの、生きている右アームで胸部を貫くと<オカリナ>は爆散した。



 シミュレーターから出てきて、スノウは手首を回す。

 GWだというのに特に出かけるでもなく、朝食の後正午になるまでずっとシミュレーターで訓練をしていたのだ。強張った体をほぐすように肩も回す。


(インファイトが得意なわけじゃないから、できれば射撃だけで戦闘は終わらせたいところだけど、高機動の敵相手に射撃は当てづらい。今日の午後は格闘戦中心に練習しようかなぁ)


 脳内で反省会をしていると、隣のシミュレーターから出てきた人物に話しかけられる。


「やはり、上手いものだな」

「ソル・スフィア」


 その人物は同じくシミュレーターで訓練をしていたソルであった。

 シミュレーターは訓練することが目的であるが、入学試験の時にもそうしたように、自分以外のシミュレーターの訓練風景を見学することができる。ソルはその機能でスノウの訓練を見ていたのだ。

 ソルの率直な感想にスノウは照れるでも嫌がるでもなく、淡々とした様子で言う。


「エグザイムに触れて一か月しか経たない君やほかの人たちに比べるとアドバンテージはある。それだけじゃないかな」

「謙遜か?」

「事実だよ。センスのある人ならじきに抜かせるくらいのわずかな経験値でしかない」


 そう言いつつ、スノウの脳裏には秋人や雪の操縦がよぎる。さらに、目の前のソルの操縦も。


「………………」

「だが、それでも経験者じゃないか。よければ、今度俺にも色々教えてくれないだろうか」

「真面目に講義を受けていれば、僕の指導なんて必要ない。

 ところで、早く汗を流したいんだけど」

「それはすまない。だが、俺は安定感のある操縦をする君に教えてほしいんだ。そのあたりを考えてくれないか」

「考えておくよ」


 スノウはそう言って早歩きでその場を離れる。上司に追加で仕事を押しつけられないように定時退社する部下のように。

 そんなスノウを見送って、ソルはため息混じりにつぶやく。


「なぜか冷たいな、彼は。何か悪いことをしたのだろうか……」


 その問いに答えてくれるものはおらず、そのまま二酸化炭素と共に空気に溶けていってしまった。



 『サンクトルム』の学生寮は上から見ると南北に長い長方形になっていて、それが平行にいくつか並んでいる。『サンクトルム』の学生が増えるたびに増設されていった結果、少々不恰好になってしまったが、それを気にするものはあまりいない。

 平行に並ぶ学生寮の間には豊かな木々や花々が植えられた庭があり、景観がとても良い。学生たちが自主的に育てることもあるし、寮母がそれらを育てることもあるが、どの庭もそれぞれ個性があって美しいと評判だ。

 自室で食事を終えたスノウは学生寮から外へ出る。すると、緑豊かな木々が視界に広がった。すでに『サンクトルム』に来て一か月たつが、この光景には未だ圧倒されるばかりだ。


「…………む?」


 その光景の中でスノウは見慣れないものを見つけた。

 プラスチック製と思われる黒い三脚。

 その三脚に固定されている白い板。

 そして、その白い板に向かって何かやっているひとりの女性。


「…………谷井さん?」

「ん? あ、ヌルくん。どうしたんですか?」


 人物が判別できるまで近づいたスノウに優しく微笑みかけたのは色鉛筆を持った佳那であった。

 いつも穏やかな人物であるが、今はどこか楽しげにしているので、一瞬別人かと思ってつい疑問形にしてしまったが、気を取り直して会話を続ける。


「どうしたもこうしたも、ここの寮には僕の部屋があるから。

 谷井さんこそ何をしているの?」

「見てわかりませんか? 絵を描いているのです」


 佳那が指し示した白い板はスケッチブックで、そこには綺麗な色をした花が描かれていた。前方にはそのモデルとなっている、鮮やかな黄色の花が風に揺れている。

 実物を佳那の描いた絵を比べて、スノウは思わず唸る。


「…………む」

「どうですか?」

「…………上手い」


 佳那の描いた黄色い花の絵は、確かにとても上手であった。詳細なスケッチのように細部まで描きこまれていながら、柔らかく健やかなラインで描かれた花からはその場の空気や香りまでも感じ取れそうだ。

 もちろん、主役以外もとても魅力的に描かれている。青い空は水色と白の色鉛筆を使いながらも透明感のある色合いだ。土は実物と比べると少し暗い色をしているものの、色に反して陰鬱な印象を受けない。むしろ主役である黄色い花を育て上げた自覚があるかのようにどっしりとしているように見える。

 惹かれる何かがこの絵にはある。スノウはそう思ったがそれを言葉にはできず、ただただ上手いとしか表現できない。

 そんな素直なスノウの感想に照れたように笑いながら佳那は言う。


「あはは、ありがとうございます。そう言ってもらえてうれしいですよ。

 …………そうだ、ヌルくんも絵を描いてみませんか? スケッチブックも色鉛筆もまだあるのでお貸ししますよ」

「………………」

「何か用事があるのでしたら、無理にとは言わないですけど……」

「いや、やってみるよ」


 そう言って道具を受け取るスノウ。予定では午後もシミュレーターを使おうと考えていたのだが、せっかく誘われたのだからと佳那の誘いに乗ってみることにした。


(学長も、色々やってみるといいと言っていたからね。

 とはいえ、絵を描くなんて初めてだけど……)

「何を描けばいいかな」


 誰に言うでもなくそうつぶやいた言葉に反応して佳那が優しく言う。


「好きでいいんですよ。描きたいと思ったものを自由に描きましょう」

「それなら、谷井さんと同じ花を描いてみるよ」


 スノウは慣れない手つきで色鉛筆を動かし始めた。



 数十分後。


「う~ん。こんな感じですかねー」


 黄色い花の絵のひとまずの完成を迎え、思い切り体を伸ばす佳那。

 スノウの方はどうなったかな、と気になる。


「どうですかー?」

「こんな感じかな……」

「…………これは」

「あまりにもあんまりだね」


 描いた本人にそう評価された絵は、モデルが同じである佳那の絵を比べると良い絵とは言えないものだった。

 まず、主役の花は花弁が異常に大きく茎が小さいためバランスがよくない。色も「目についた色をすべて入れてみました」と言わんばかりに詰め込まれ独特な色合いをしている。

 空や土も様々な色が混ざって変な色合いになっている。明暗も遠近もすべて無視。デッサンが滅茶苦茶と言わざるを得ない。

 比較対象なら佳那の絵ではなく幼稚園児の絵にするべきなぐらい酷い出来の絵を見て佳那は何を思うのか。

 時計の長針が何回か回ったころ、佳那はようやく口を開く。


「確かに技術は未熟で、あまり上手とは言えない絵ですね。

 目に見えるものをそのまま形にした、といった風の絵に見えます」

「そうだね。僕からはこの花はこう見えたんだ」

「そこがですね、この絵が上手ではないところだと思うのです」

「というと」

「この絵にはモデルがあります。この黄色い花ですよね。

 ヌルくんもわたしも、この花と周りの風景を見てはスケッチブックに線や色を描きいれ、また見ては描きいれ……それを繰り返したわけです」

「………………」


 叱るのではなく、非難するのではなく、母が子に道を説くかのような佳那の喋りにスノウは黙って聞き入る。


「でも、同じ風景を見ることはできません。

 風が吹いたり、何かが横切ったり。または見方や角度が違ったりします。

 当然ですよね。今日という日が二度と来ないように、二度まったく同じものを見ることは不可能なわけです。だから、目の前の光景やモデルをそのままそっくり同じように描くこともできません。

 それでいいんです。わたしたちは写真を撮っているわけじゃないんですから。

 モデルを向き合って、そのモデルがどんな表情をするのか、どんな動きをするのかしっかりと見てあげる。そうやって想像しながら一番好きなモデルの顔と動きをスケッチブックに描く。わたしはそうやって絵を描きます」

「モデルが目の前にあるのに、モデルの今の表情を描かなくてもいいの?」

「はい。モデルは誰のものでもないですけど、自分の描く絵は自分のものですから、自分の好きなように思うように描いていいんです。モデルを辱めるものでなければ」


 スノウはその言葉を聞いて、モデルとなっている黄色い花と佳那の描いた絵とを見比べる。

 実物の花は風に揺れていて今にでも飛んで行ってしまいそうな儚さがあるように感じられる。

 一方で絵の中の花はスケッチブックの中心に大輪を咲かせている。

 実物と絵とでまるで違う印象を受けるのに、この花をモデルとしてこの絵が描かれたんだな、とスノウは納得できるような気がした。きっとそれは佳那がこの花としっかり向き合って、モデルに対する惜しみない敬意をもって絵を描いたからなのだろう。

 神妙な面持ちのスノウを見て、佳那は慌ててフォローする。


「あ、でもですよ、この絵は確かに上手ではないと思いますが、ヌルくんのキャラクターが如実に出ていて実に『らしい』絵になっているとも思います」

「『らしい』」

「はい。目に見えるものをまっすぐに信用し、まずは受け入れる。そういうヌルくんの考え方がこの絵に影響しているように見えました」

「………………」

「ご、ごめんなさい。まだ知り合って一か月しか経ってないのに勝手な印象を言って」

「…………いや、その通りだと思うよ」


 スノウは素直に関心する。物にせよ人にせよ、佳那はしっかりとそれと向かい合って、見ている。それだけ相手のことを長く深く思いやっているということだ。そういう人物だからこそ、『上手ではない絵』だと言われてもスノウは嫌な気持ちにならずにいられるのだ。スノウが同じように誰かに下手なところを指摘したならば、きっと相手を怒らせずにはできないだろう。


「すごいね、谷井さん。いろんなものが見えている」

「まだまだですよ。絵は描けても、エグザイムの操縦はまだまだ未熟です。戦いの場は本当に見るものが多いですから……」

「リアルタイムでたくさんのことが変わっていくからね。

 …………そういえば、それだけ絵が上手いのになんで『サンクトルム』の、しかも操縦科に来たの?」


 佳那は今回のやりとりでも見えるように、誰かを思いやることのできる優しい人物だ。設立に『デシアンを滅ぼすための戦士を育成する』という争いを根とする理由がある『サンクトルム』の操縦科の学生にあまりにも向いていないようにも思えて、そんな疑問を口にした。

 すると佳那は苦笑いしながらその理由を語る。


「両親に対する恩返し……ですかね。美大に行く道も考えましたけど、就職ができるかどうかわからない美大に比べると『サンクトルム』なら卒業できれば就職先に困りませんし、補助金も出るので家計にも優しいですから」

「ご実家は厳しいわけ」

「そこまで厳しいわけじゃないですけど、弟がふたりいるので、その分お金がかかるのです」

「なるほど」

「そういうわけで、エグザイムの操縦は苦手ですが卒業したいので、アドバイスしてくださいね」

「僕ができる範囲でね」


 彼女が今日自分に教えてくれたように、自分は誰かに操縦を教えることができるだろうか。

 そんなことを少しだけスノウは考えて、自分の描いた絵を眺めた。

                                 (続く)

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