第120話 幸運のマスウード
「くそう、もう少しだったのにな!」
大声を出してから宝石のように鮮やかな緑色の液体を喉に流し込み、スッキリとした酸味の香りが広がると、イラついた気分も少しはましになった気がするが、事態は何の進展もしていなかった。
頼みの綱のワフシヤも船の手配を付けられず、ジェーザーンで足止めを食う事になっていた。
「数日経てば、船が追い付いてくれるんだし、それまで待つしかないわよ。しかし、水泳勝負だなんて、馬鹿な事したわね」
「いや、ほんと、もう少しだったんだ。アッシャブートが、いや鮫が邪魔しなければ……」
「呆れたわ。本当に水夫になるつもりだったの? アスラマをどうやって連れて行くのよ」
「とりあえず、俺は砂の国に帰れれば……」
「パスポートもないあなたたちが、ファティマ様の親書を持ったアスラマなしに、どうやって途中の国を通過するのよ? まさか、本当に荷物に紛れて行くつもりだったの?」
「……そうだったのか?」
アスラマに視線を送ると、フードをひらめかせながら小さく頷いていた。相変わらず顔が見えなくてよく分からないが、「その通りだ」とでも言っているのであろう。彼女たちを置いて身軽になれば、どうとでも成ると思っていたアリードは、当てが外れていた。
(この街で何日も待たねばならないのか……)
「アリード! やっと見つけたぞ!」
会話を遮る大きな声に、ハッと我に返った。名前を呼ぶ声のした方へ顔を向けると、体格の好い男が愛想のよい笑みを浮かべて、大股でテーブルに近づいて来る。よく見ればその男は、昼間アリードを陸へ引き上げた船員だった。
「あんた、砂の国のアリードだろ? それに、こっちはファティマの手か! こいつは何たる幸運!」
男は遠慮なしに椅子に座ると、大きな笑い声を立てた。
「ああ、昼間は助かったよ……」
「俺は、ラシュティエで海運業をやっているマスウードだ。人呼んで幸運のマスウード。よろしくな」
まるで旧知の間柄と言わんばかりの馴れ馴れしさで、握手を求めてくる相手に面食らったが、マスウードは構わず話を続けた。
「ファティマ様の使いが、隠密に船を探しているって聞いてな。ラシュティエまでの足を探しているんだろう? 俺の船を使ってくれ、どうせ帰りは空だ、あんたらの車ごと運んでやれるぜ」
「本当か!」
思わぬ幸運に声を上げたアリードだったが、ワフシヤが静かに手を差し出して会話を続けるのを制した。
「何の目的があっての申し出なの? 港の監理局では、信頼できる船主として、あなたの名前は聞かなかったわ」
「そんなに警戒しないでくれ、管理局の連中が、俺たちみたいな小さな業者まで声を掛けるものか」
ワフシヤに手のひらを向けられて、途端に額に汗を滲ませたマスウードは、テーブルの上にある他人の飲み物を勝手に飲み干すと、大きく息を吐いてから話を続けた。
「……目的、もちろん目的はある。俺たちのような小さな海運業者がこの業界で名を上げるには、コストのかかる大国との取引じゃダメなんだ。大手を競い合って生き残れるものじゃない。そこで目を付けたのが、砂の国だ。ラシュティエと砂の国の間で取引が始まれば、新しい航路が生まれる。そうなれば、誰が手を付けるかは早い者勝ちよ! 俺の船なら、川をさかのぼって、砂の国の浅い港にだって荷物を運べるぜ」
「それなら、砂の国まで運んでくれるのか?」
「お安い御用よ! と言いたいが、今はまだ、砂の国まで行く許可が下りねぇ。俺の船で行けるのは、ラシュティエまでだが、それでも、文句はねえだろ?」
「ああ、助かるよ!」
「恩に着ろよ? 砂の国のアリード。そして、このマスウードに幸運を!」
ニヤリと笑ったマスウードは、また他人のグラスを勝手に手にしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます