第108話 イズラヘイム 2
日が落ちてから何組目かの訪問客を見送りに出た時、庭を奥へと歩くローブ姿の人影が目に付いた。
昼間何度か、窓の外を歩く彼女たちの姿を目撃していたが、外にはイズラヘイムの警備兵もいる事だし、庭を散歩するくらいなら危険はないと、放って置いたのだが、夜も更け始めた時間となると話は変わる。
アリードは、建物を回って中庭へと向かう彼女の後を追って歩き出した。
「待ってくれ、ワフシヤ」
アスラマかもしれなかったが、ローブ姿の人影はアリードの呼びかけに足を止めて振り向く。だが、その瞬間、布の内側から何かが彼に向かって飛び出した。
窓からの光を反射して輝かなければ、身を引いてかわす事も出来なかった。
アリードが後ろから近づいてくると待ち構えていた完璧なタイミングで投げられ、驚いた彼の顔をかすめるほどの距離を抜けて行ったそれは、短刀だった。
(なっ、なぜ?)
いきなりの攻撃に驚きを隠せないまま彼女に視線を向けると、ローブの内側から出された白い手が波を描くようにひらめく。
その意味も理解できないうちに、植木の中から数人の兵士が飛び出してきた。
この付近の砂によく似たくちなし色の軍服は、一目で表の警備に当たっていたイズラヘイムの兵士であると分かるが、前屈みになり低い唸り声をあげる彼らは、理性を欠いた獲物に襲い掛かろうとする肉食獣のようであった。
アリードが怯んだ瞬間、逃げ出すには十分な距離をひとっ跳びで詰め寄り、鉤爪のように曲げた指が喉元に迫る。
咄嗟に身を引いたが、喉元に当たる風圧が振り抜かれた指先の尋常ならざる力を伝えて、背筋を凍りつかせた。
自分でも気づかぬうちに後ずさった彼の頭の合った場所を腕を振り抜いた勢いのまま体を回転させた兵士の軍靴が薙ぎ払う。
人間離れした筋力に背を向けて逃げ出したい恐怖が全身にいきわたる前に、アリードは前に出た。
考える前に体を回転させて振り向こうとする兵士の顔面に蹴りを放つ。
だが、体をねじった不自然な体勢でありながら、岩を蹴りつけたかのようにピクリともせず、彼の足首を掴むと力任せに壁に投げつけた。
壁に跳ね返り地面に転がる彼に兵士が跳びかかる。
直ぐにでも体を起こそうとした瞬間、視界の片隅に彼を追って駆け付けた兵士が銃を構える姿がうつった。
「撃つな!」
地面に寝たままの態勢で体を引き絞り、空中から襲い掛かる兵士に蹴りを放つと、その反動で後ろへと転がり、銃を構えた兵士の前へと逃れた。
「殺すな! 撃つんじゃない」
目の前にいる敵は、明らかに常軌を逸した怪物であったが、それでも、イズラヘイムの軍服を着た兵士である。ここで、彼らの死体を作れば、言い訳など聞き入れてもらえるはずがない。
しかし、銃を使っても撃退できるか分からない相手に、手心を加える余裕などあるのだろうか?
(一斉に跳びかかられたら……、撃つしかないのか……)
銃を向けられても物陰に隠れる訳でもなかったが、一様は警戒しているのか、ゆっくりと包囲するように距離を詰め始める。彼らに追い込まれるようにアリードは、じりじりと建物の正面に向かって後ずさった。
(何とか突破口を……)
油断なく周囲に配られるアリードの目が、ローブの姿を探していた。
通常の兵士とは思えぬ戦い方に、彼らが操られているならばと、しかし、兵士に襲い掛かられたわずかな時間で、彼女はどこかへと消え失せていた。
(倒すしか、方法がない、か……)
彼女の姿が無かった事にどこかほっとしたように、彼が決心をつけ拳に力を籠めたと同時に、頭の上から小さな光る妖精が飛び上がった。
来夏に渡された妖精ティティスは、アリードの体の周りをくるくると飛び回り、彼と兵士の間にゆっくりと飛び上がっただけだが、銃にさえ警戒しなかった兵士が、それに近づかれまいと距離を取り始めた。
(この距離なら、正面玄関まで走り抜けられる)
助けに駆けつけた兵士に合図を送り、敵に背を向けて走り出そうとしたが、アリードは足を止めて振り向いた。
彼の足を止めさせたのは、建物の二階でガラスの割れる音、そして、その隙間から聞こえた女の悲鳴だった。
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