第109話 イズラヘイム 3

 振り返ったアリードは、襲い掛かろうと様子を窺う兵士たちの事も忘れて、聞こえた悲鳴を目で追っていた。


(あの声は……、いや、あれはワフシヤの声だ)


 身構える兵士たちの間に目を走らせ、フードの姿がそこに居ないことを確認する。

 建物の中へと移動したのか?

 先ほどまでそこに居たのが、ワフシヤではなかったのなら……。アスラマであったとも考えられるが、それなら、ワフシヤが悲鳴を上げる自体がおかしい。ならば考えられるのは、庭に入り込んでいたローブ姿の人物は、彼女たちを狙う第三の襲撃者だ。


(考えている暇はない、走り出せ!)


 頭の中の叫び声に打たれたかのように、アリードの足は正面玄関に向かって走り出した。

 彼女たちの元へ一刻も早く駆け付けなければならない。しかし、襲撃者は何者なのだ?

 ワフシヤと見間違える顔をすっぽりと隠すフードからして、バロシャムの手の者かと思えたが、国境で軍隊がにらみ合っている国にそうたやすく侵入できるものではない。

 あえて考えないようにしていたが、アリードは胸の中で渦巻く苦いものを感じずにはいられなかった。

 襲い掛かって来た兵士が示す通り、イズラヘイムの手の者が、ワフシヤたちを亡き者にしようと考えての計画であったなら。彼らの歓迎を受け、安穏とこの場に留まっていたアリードの選択は、罠に嵌められたというよりは、計画の片棒を担いでしまったと言えたのだから。


「入り口を固めろ! 誰も通すな!」


 扉を勢いよく押し開けて、玄関ホールに居た兵士たちの驚く顔に命令を投げつけると、二階への階段を駆け上がった。

 一刻も早くと焦る気持ちにもつれそうになる足を無理に動かして、二階の部屋が並ぶ廊下へと駆け込むと、目の前の床でローブ姿のワフシヤがイズラヘイムの兵士に組み敷かれていた。

 駆け寄った勢いのまま、兵士の横っ腹を蹴り上げる。

 手応えはあった。しかし、その感触が不意に途切れると、蹴り上げられた兵士は天井まで吹き飛んだが、そこに張り付くような格好で天井を這い廊下を奥へと逃げだして行った。

 兵士の奇怪な動きに舌打ちしたが、直ぐに視線を外してワフシヤに手を差し伸べた。


「無事か? ワフシヤ」


「ええ……つっ……」


 引き起こそうとするとワフシアが詰まったような息を吐いて足を押さえた。


「足を痛めたのか? それなら肩に……」


「私より、まだ奥に、アスラマがいるの!」


 表情は見えなくても、その声だけで彼女の動揺が伝わって来る。


「ああ、任せてろ」


 アリードは、安心させるようにゆっくりと立ち上がり、彼を追って来た兵士にワフシヤを預けると、単身天井をつたって奥へと向かった兵士を追って走り出した。

 だが、驚異的な身体能力の兵士相手に、自分一人で何が出来るのだろうかという不安が薄暗い廊下の闇とともに忍び寄って来る。しかし、廊下の先の扉から聞こえた物音に、不安を忘れて部屋の中へと飛び込んだ。

 部屋の中には、ローブ姿の小さな人影が獣のように身をかがめた兵士と対峙していた。


「怪我はないか、もう大丈夫だ」


 二人の間に走り込むと、彼女を背に庇い兵士から目を離さず声を掛ける。


「ええ、大丈夫。それより、兵士を操っている相手が分かったわ」


「なんだとっ!」


 思わず振り返ろうとしたが、突然飛び込んで来たアリードに驚いて少し後ずさった兵士も直ぐに臨戦態勢を取り、隙を見せればいつでも跳びかかれる構えを見せていた。


(何か、せめて武器があれば……)


 まずは、目の前の相手を何とかしなければと、相手から目を離さず、素早く周囲に気を配る。壊れた家具が床に散乱して足場も悪い。うまく注意を引ければ、アスラマだけでも逃がす事が出来るかもしれない。


「走れ! アスラマ」


 叫ぶと同時に、部屋の奥に倒れていたコート掛けを拾い上げた。

 彼の動きに合わせるように襲い掛かって来た兵士を力任せに叩きつけると、掛け金具や砕けた木片が飛び散る。半分ほどの長さになったコート掛けを水平に握って構えると、怯んだ兵士が後ろに飛んで距離を取った。だが、その時、逃げ出したはずのアスラマの叫び声が響いた。


「あの女よ! あの女が兵士を操っているわ」


 声に導かれた視線の先、部屋の奥に備え付けられた大きめのベッドの陰に身を隠すように見知らぬ女が立っている。

 反射的にしならせた体が、折れて尖ったコート掛けの柄を投げ槍のように弾きだした。

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