第71話 『魔法』の傷跡
赤と青の光を放つ飛行物体がふわふわと飛ぶ、木々の生い茂る深い森の中に、突然、近代的な建物が現れる。
砂の国から、昼夜問わず飛び続けて来たアシュルは、安心してため息をついた。
人の目から隠されたように建つその場所が、ロイヤルイグリスの魔法研究所であった。
あの国へ入ってからと言うもの、一切の連絡が取れなくなっていたため、魔法研究所に何かあったのかと、不安でならなかったが、出発前と変わりないことに安堵し、さらに、喜ばしいのは、彼女たちを出迎えてくれたのが、怪我をして眠っていた、ベル・マ・クドゥールだったことだ。
「おかえりなさい、アシュル、エンリル。無事だったのね……」
「ベル! 目が覚めたのね」
駆け寄って抱きしめようとしたが、ベルの体を支えている松葉杖が痛々しく、足を止めさせた。それに、彼女も、砂の国から眠りっぱなしのキシャルの小さな体を抱えていたのを思い出した。
「その子は、誰なの?」
眠っているキシャルに目を向けたベルが問う。
「何を言っているの、ベル。キシャルに決まっているじゃない……」
(おかしなことを言いうものだ、まさか、怪我の後遺症で、記憶が?……)
まさか、キシャルだけ記憶から消えてしまうなどありえるのだろうか、そんな筈は無い、他の事は覚えているのだ、彼女の事だけ忘れる筈は無いと、キシャルの体を抱きしめる手に力がはいる。
しかし、彼女自身もその手の違和感に驚かねばならなかった。
キシャルは、彼女たちの中で一番小さかった。だが、それは、ベルより少し背が低いという程度だ。しかし、今、アシュルの腕が抱きしめているのは、ベルの半分くらいの背丈しかない幼い子供の体だった。
「えっ、これは……」
今まで、キシャルの体が縮んでしまった事に気付かなかった自分に、目眩がしたようにふらつく。
何が起こったのか理解できないアシュルだったが、ベルは、それ以上驚いた様子もなく、冷静に答えた。
「それが、キシャルだと言うのね……二人とも、ついてきて」
ベルは不慣れに杖をついて歩いている。それを習得するほど、目覚めてから時間は経っていないのか。いや、そうではなく、それは、魔法の治癒能力が働いていないという事だ。
彼女に右足の状態を訪ねようかと、何度も視線を足に向けたが、その先の言葉が出てこなかった。
(その足は、二度と使えないのだろうか……それならば、キシャルは、どうなるのだ?……)
突然、アシュルの思考は、廊下の先の病室から聞こえて来る叫び声によって遮られた。
叫びすぎて枯れてしまったかのような悲鳴が、途切れ途切れに彼女の耳に届く。ベルの眠っていた治療室、そこで、ベットに手足を固定されている少女の叫び声だった。
「いやー! くらい! くらいのよ! どうしてくらいの! くらいのは嫌よ! くらい! くらい! くらい!」
聞きなれぬ声で叫ぶ少女の姿に、アシュルは目を見張った。心臓を握りつぶされるような痛みと共に、無理やり言葉を絞りださねばならなかった。
「まさか……、ニンツ……なのか…………」
「あなた達が出発した後、魔法を使用する準備をしていた彼女は、突然叫び声を上げて倒れた。……それからは、薬が切れて目を覚ますと、こうして叫んでいる」
「ニンツは、目が見えなく、なったのか?……」
「いえ、身体機能には何の問題もないわ」
ベルは、小さく首を振った。
「まったくの正常値を示す。ただ、彼女の魔法の力だけがすっかり消えてしまった」
「そんな……」
「彼女は、世界を魔法の力で見ていた。視覚、聴覚、全ての感覚が魔法で繋がった世界は、どれほど美しかったのか分からないけど、普通の人間の見る世界は、彼女には耐え難いものだったのね」
「どうして、こんな事に……」
ガラスに手のひらを付けたアシュルの爪が白くなっていた。
「砂の国の魔法使いの仕業よ」
「そんな! まさか……、彼女たちは、砂の国に居た、私たちの目の前に……」
「ニンツの魔法は、ここからでも十分に届く。彼女たちも同じことが出来た、という事よ」
「ありえない! ニンツの魔法は特別な物だ! それを、それは、そんな事は、ありえない! そんな事は……」
「砂の国の魔法は、私たちの理解の範疇を超えている。そういう事よ」
「そんな……こんなことが……こんなことに…………」
「ニンツ、キシャル、…………アリス……。これで、もう、私たちは退けなくなった。倒さなければならない、どんな手を使っても……」
崩れるように膝を付いていたアシュルは、驚いてベルを見上げた。
彼女が、まだ、戦おうとしている事に。
「……私たちの魔法は、彼女たちに何一つ通じなかった。それを、どうやって……」
「彼女、たち?」
「ええ、砂の国には、二人の魔法少女がいたわ」
(あれが、二人?……)
ベルの喉が何かを飲み込むように上下した。
一人でさえ手に余る怪物が、二人いる。それは絶望しかもたらさない情報だった。
「でも、やるしかない、そのための、手段、なのよ」
ベルの瞳に宿る光が、決意なのか、狂気なのか、アシュルには分からなかった。
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