第67話 英雄と少年
アリードは、砂漠を猛スピードで走る車の中に居た。
柔らかい砂のふくらみが、硬い岩の突起に思える程、車体が跳ね、迂闊に口を開くと舌を噛みそうだったが、ゆっくりと走っている時間は無い。何としても戦端が開かれる前に付かなばならなかった。
そのためにやるべき事は、軍の進行を止める。それこそが最善の手だ。
お互いに砲撃が届く距離まで近づいては、攻撃を止めるのは不可能だ。
軍隊が対峙すれば、お互いに攻撃の意思がなくとも、緩んだ緊張の糸が引き金に掛かる。
だからこそ、彼は、イェシャリルに向かうルートではなく、道なき砂漠を突っ切って、西の国境付近を進むラドロクアの軍を目指していた。
(間に合ってくれ……)
彼の頭の中でその言葉だけが、繰り返されていた。
どうやって、彼らの進行を止めるか、今は考えても仕方がない。
辿り着かなければ、全てが無駄になる。
その為の時間が必要だった。広大な砂漠で入違ってしまえば、彼らを見つけられなくなるかもしれない。
最善の方法が、分の悪い賭けだとは、何とも皮肉な事だ。
しかし、その想いが天に通じたのか、マ・ラーイカの加護か、幸運が彼に味方した。
車の向かう先、砂丘の向こう側に小さな砂煙が上がっていた。
アクセルをふかして急な砂の坂を駆け上がる。
タイヤの下で崩れていく、もろい砂の足場も物ともせず、砂丘の頂上へと駆け上がった彼の見た物は、広大な砂漠に整然と並ぶ軍隊だった。
国境とされる所以(ゆえん)の深く険しい砂漠を、今しがた整列したばかりのような整然さで、決して遅い動きではないにもかかわらず、ほとんど砂煙も上げずに進んでいた。
それがどれほど訓練された軍隊を意味するのか。
その前に立つだけで、彼は、手のひらに滲む汗を止められなかった。
(これを止められるのか?)
今更ながら、何の策も持たずに、彼らの前に姿を現したことを後悔していた。
しかし、今は進むしかない。
軍隊の進軍方向に車を回りこませると、歩いている兵士までが金属でできているかのように、一斉にガチャリと音を立てて、全ての兵士が停止した。
「ギルザロフ! 話がしたい!」
車から飛び降りると、アリードは大声で叫んだ。
どれほど大声を出そうとも、砂漠に吹く風が掻き消して、彼の声が届く筈が無いと思われたが、戦車の合間から一台の車が走り出て来る。
「これは、これは。自らお出迎えとは、感激の極みですな」
車から降りて来たのは、会談の場で顔を合わせた事のあるギルザロフだった。
しかし、上等なスーツに身を包んでいても、堂々たる姿に物おじせずにはいられなかったが、今目の前で、軍服を纏い、軍を率いている男は、まったくの別物だった。
この場所こそが彼の居場所。砂漠に照りつける太陽でさえ、彼のための装飾であるかのような、神々しいまでの迫力に飲まれずにいられなかった。
(この男を止められるのか?)
しかし、止めなくてはならない。その為に来たのだから。
「たのむ、ギルザロフ、軍を止めてくれ」
「これはおかしなことを、我々は、イズラヘイムの軍を、追い返すために来たのだぞ?」
「イェシャリルの独立は、キスナの問題だ。ラドロクアの力を借りなくても俺が何とかする」
「小さな地方都市の反乱。それだけなら、我々も、見過ごすことが出来ようが、その背後にイズラヘイムが控えているとなると、話は別だ。これは、キスナ一国の問題では済まない。大国から送り込まれた兵器で、軍事力を増大させたイズラヘイムの版図がこれ以上広がる事を阻止せなばならないのは、乾いた大地の大陸に住む、我々の総意である!」
砂漠の真ん中でありながら、彼の背後で撃鉄の上がる音が、突き上げられた拳が、民衆の歓声が聞こえた。
人々に後押しされた、止め様の無い歩み。
それを前にしても、退く訳にはいかなかった。
何も持たぬ、力も無いアリードに出来る事は、ただ、頭を下げるだけだった。
「たのむ! 俺に時間をくれ!」
「残念だが、キスナの軍事力では、イズラヘイムを追い返すことは出来まい。それに、相手に時間を与えれば、それだけ、我々の被害も大きくなるということを分かっているのか?」
「それでも、少しでいい、一日、一日だけ進軍を止めてくれ! その間に俺が何とかする。たのむ!」
イズラヘイムの軍は、既に街に到着している。
たった一日で、何が出来るというのか。
それは、ギルザロフには、駄々をこねるの子供のわがままでしかなかったが、ひょっとすると、何か策を講じているのかとも思えた。この少年には、メルクリウスと呼ばれた男が付いている。
「よかろう、一日だけ軍を休める」
「本当か? ここから北東に小さな街がある補給が必要なら――」
「無用! 君には、いらぬ世話をしている時間は無いぞ」
アリードの言葉を遮ると、背を向けて車へと歩き出した。
そう、彼には時間がない。勝ち取った、一日という短い時間を無駄にすることは出来ない。
たった一日の時間で何を成せるかに、キスナの命運がかかっていた。
今はただ、直ぐに車に乗り込んで、街へと向かわなばならなかった。
背後で走り去る車を、ギルザロフは振り返った。
「国を背負うものが、むやみに頭を下げるものでは無い、と思っていたが、あれは、あれでいいのかもしれん……。若さとは、羨ましい物だな」
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