第68話 少年と龍

 イェシャリルの街が見渡せる砂漠で、先発隊と合流はしたものの、事態は最悪の状況だった。

 街の入り口には、装甲車と土嚢が並べられ、イズラヘイムの軍が防備を固めている。先に出た三台と、彼が率いて来た四台の車に、ありあわせの装備で乗った僅かな兵士だけでは、これ以上街に近づく事も出来なかった。それでも、ズズリシュの宣言通り、砂漠に放り出された市民が居なかったのが、まだ、救いである。

 だが、じっと街の入り口を見ている間にも、時間は刻一刻と過ぎる。1日の猶予が過ぎてしまえば、ラドロクアの軍隊は、半日とかからず街を包囲してしまうだろう。そうなれば、戦闘は避けられない。


(どうすれば、イズラヘイムの軍隊を動かせる? 何とかして、ラーイカを連れ出せれば……、いや、彼女が街の人を見捨てて動きはしまい)


 いくら考えても、いい手など浮かびようも無かった。

 兵力を呼ぶには、少なすぎる人数に、装備の差は歴然、仮に、バルクが掻き集めてくれている兵士が、今ここに到着したとしても、街に駐屯する軍隊を追い払うなど不可能だろう。

 夜陰に紛れて忍び込むかとも考えたが、その程度の手が通じる相手では無いだろうし、たった一度の機会ででうまく行かなければ、時間を無駄に浪費するだけで終わる。

 直ぐにでも行動に移らねば。

 だが、どうやって……。


 砂漠に照りつける太陽が中天に差し掛かり、影一つない砂丘に伏せたアリードの背中をじりじりと焦がし始める。

 彼は何を待っているのだろうか?

 そうしていれば、来夏がひょっこり、顔を出すとでも?

 そうでは無かった。

 彼は、彼女を待つのではなく、自分自身で歩いて行かねばならない。

 戦うのではなく、手を取り合うために。

 しかし、銃を構えた兵士に、そんな話が通じるであろうか?

 立ち上がり姿を見せれば、街に着く前に、声も届かぬ距離で撃たれるだけであろう。

 だが、それでも、行かねばなるまい。

 アリードがようやく心を決め、立ち上がろうとした時、太陽を遮る影が彼の頭上を覆った。

 見上げた先には、翼を広げた龍が。旋回しながら高度を下げると、アリードの側に降り立つ。


(なぜ、このドラゴンが、ここに?……)


「乗れ」


 聞きなれぬ男の声が命じた。

 思わず声の主を探そうと、辺りを見回したが、隠れる場所など無い砂漠に人の姿を見つけられる筈もない。


「お前が、喋ったのか?」


 この巨大な生き物が人語を話す驚きに、思わず後ずさったが、この生き物は、ラーイカの連れて来たものだ、常識では測れない物であっても不思議ではないと、疑問を飲み込んだ。


「本来なら、人間なんぞに背を許すなど、有り得ぬのだが、今回ばかりは致し方あるまい、早く乗れ」


 アリードの驚愕など、面白くもなんともないようにドラゴンは話を続けた。


「待ってくれ、今、銃を……」


「銃など必要ない、その旗でも持っていろ」


 車に銃を取りに戻ろうとするアリードに、クアトリムの叱咤が飛ぶ。


(そうだ、軍隊相手に一丁の銃で、何が出来る。俺の持つべき物は、この旗、か……)


 アリードは、旗に刺した棒を手に取ると、ドラゴンの背中に駆け上がった。硬い金属のようであるが、すべすべとした滑らかな手触りで、柔らかな生き物の肌を感じさせる不思議な手触りだった。


「背を許すって、……お前って、毎日ちびどもに登られて無かったっけ?」


 クアトリムは、首を回してアリードをにらんだが、何も言わずに空へと飛びあがった。ドラゴンのバツの悪い表情と言うものがあるのだとしたら、そういう表情を作るのであろう。

 ぐんぐんと上昇し、スピードを上げると、僅か数秒でイェシャリルの街の上空へとたどり着く。街の上をスピードを落としながら大きく旋回すると、入り口付近の上空で器用に停止する。

 直後、信じられないような轟音が鳴り響いた。


「控えよ! この国で一滴の血を流すことあらば、我が逆鱗に触れる物と思え!」


 龍の咆哮、それを聞いた者は、あまりの迫力に威圧され、痺れたようにその場に立ち尽くしていた。

 そして、ドラゴンは、ゆっくりと高度を下げて地面に降り立つ。


「後は、貴様次第だ」


 ぼんやりとしながらも、ドラゴンの言葉に従って地面に降りると、そこは、銃を持った兵士の並ぶ土嚢(どのう)の山から、いくらも離れていない街の入り口の広場だった。

 一瞬にして、頭から冷や水を浴びせられたかのような緊張が走る。

 銃を構えて並んだ兵士達を目の前にして、銃を持ってこなかったことを後悔した。いや、銃を持っていれば、その引き鉄にいつ指が触れてしまうか、自分でも分からない。

 持っていないことに、感謝すべきなのか……。

 だが、向けられた銃口を前にして、旗一つで、何が出来る。

 アリードは、右手で旗を掲げ、武器を持たぬことを示すように左手を広げて上げると、力の限り叫んだ。


「みんな、聞いてくれ、俺の話を! 同じ大陸に住む者同士、話し合えるはずだ! 銃を使わなくても、分かり合えるはずだ!」


 足を踏み出そうとしたが、無言で銃を向ける兵士の前にしては、彼の言う事を足が聞こうとせず、地面に張り付いたまま動かなかった。


「乾いた大陸の兄弟たちよ、銃を下ろしてくれ、拳を広げてくれ、共に手を取り合うために」


 相手は、訓練された兵士だ。こんな演説が通用するはずもない。しかし、ここで撃たれたとしても、死にさえしなければ、司令官か、ズズリシュと、言葉を交わすチャンスがあるはずだ、と、考えていたが、奇跡が起こった。


「聖痕だ……」一人の兵士が呟いた。


 その小さな呟きは、誰から洩れたものか、静かにどこからともなく、ざわざわとした波のように兵士たちの中に広がると、誰かが後ずさりを始めた。

 一人が動き出せば、袋からこぼれ出す砂のように止めようもない。銃を置いて膝を付く者、その場から少しでも離れようとする者、バラバラとしたゆっくりな動きは、他の部隊を巻き込むと一気に加速し、巻き込まれた者は、意味も分からず夢中でに走り出す。


(聖痕? 何の話だ?)


 アリードの疑問ももっともだった。彼の左手には、銃創痕が残っていたが、兵士なら、そんな物は珍しくも無いはずである。

 彼らは、逃げ出す切っ掛けを探していたのだ。

 目の前に降り立った巨大な、得体の知れぬ生物に銃を向ける恐怖から。

 砂の国の軍隊が、僅かな期間で、少年の率いる民衆に制圧された事は聞いていた。彼らは、その軍隊と戦っても、負けない自信はあったが、ろくな装備も無い民衆がどうやって?

 そして、今、目の前に、その少年がいる。

 それでも、恐怖に駆られて、その場から逃げ出す事など、軍人に出来るはずも無かった。別段彼らが特別信仰心を持っていたわけでもない、冷静に考えれば、一つ一つは、大した問題ではないはずだが、それらが積み重なれば、緊張の糸が切れる。

 なまじ耐えうる恐怖が大きいだけに、一度溢れ出せば、混乱を止められなかったのだ。

 アリードは、逃げ去る兵士や、武器を捨てうずくまる兵士にかまわず、両手を上げたまま、街の中心にある大きな屋敷へと歩き出した。

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