第66話 イェシャリル独立宣言 4
翌朝早く、イシェラルに連れられて、街に出ていた。
狭い通りを抜け、間口の広い店が並ぶ通りに出ると、急に賑わいだす。どの店も開店の準備に忙しそうに走り回り、ぶつからずに通り抜けるのは至難の業だったが、彼女は、来夏の手を引いて器用に通り抜けて行った。
「おはよう、おじさん。手伝いに来たよ」
一軒の店の前まで来ると、彼女は元気のよい声を出した。
「イシェラルか、助かった、今日は荷物が多いんだ」
背の低い、がっしりとした体格の男が、店の奥で紙に書かれたメモを片手に箱に食材を詰めていた。
「今日は、ラエルも一緒に連れて来たから、二人分運べるわよ」
「おー、頼むよ、そっちのは、もう用意できているから」
男は、首を回して表を振り返ったが、気の抜けた返事をすると、直ぐにメモに視線を戻して、棚に手を伸ばす。彼の用意したと思われるかなりの数の荷物の詰められた箱が入り口の脇に並べられている。それらの箱詰めされた物を手分けして運ぶらしく、彼女たちの他にも何人かの女性が集まって来ていた。
「これね、……うーん、おじさん、いつもより重いわよ!」
「そんな事は無いぞ、……たぶん」
「もう、適当なんだから。ラエル、重いから気を付けて」
来夏は箱の一つを、そえるように両手で挟んでふわりと持ち上げた。イシェラルは、目を見張ったが何も言わずに、荷物を運ぶ列に加わり、来夏もその後に続く。
多くの荷物があるのなら車で運ばないのだろうか? と、疑問に思ったが、直ぐに道は曲がりくねった狭い路地になり、途中で人ひとりがやっと通れるような階段もあった。
入り組んだ建物で出来た迷路のような所を、荷物を担いで一列になって歩いているのは、巣にえさを持ち帰る蟻になった気分だった。
そんな来夏を気にしてか、前を歩くイシェラルが小声で話しかけてくる。
「迷路みたいでしょ? ここはね、大昔の砦があった場所なんだって、建物が増築されたりして、さらにややこしくなっているけど。ズズリシュはね、独立宣言を出してから、この砦の奥に引きこもっているのよ」
(暗殺を恐れて?……)
ズズリシュは誰を恐れているのだろうか?
まず、考えられるのはアリードだが、彼が到着するにはまだ時間がかかる。イズラヘイムの軍隊は、彼自身が呼んだものだし、そうなると、今ここに居る街の人たちなのか。
食材を運ぶのが女性ばかりというのも、暗殺を恐れて、と考えるのは、勘繰り過ぎだろうか?
ともあれ、入り組んだ通路は、頑丈そうな大きな扉の前へと着いた。
先頭の者が、銃を持った男と少し言葉を交わすと、来夏達は何か質問されることもなく、すんなりと中へ通される。
分厚い扉を通り抜ける時に、イシェラルが振り返って、こっそり、得意そうにウインクしていた。
「ねっ、うまく行ったでしょ」
食材を運び込む部屋に着くと、荷物を下ろす振りをしながら、イシェラルが肩をくっつけて、小声でささやきかける。
「でも、ここからが問題よね、ズズリシュがどの部屋にいるか、私にも分からないし、奥へ通じる廊下には見張りがいると思うから……、でも、何か手があるはずよ」
「ありがとう、でも、もう十分、ここからは一人で行けるわ」
「まだか! 早くしろ!」
列の後ろからついて来た兵士が、扉の外から怒鳴り声をあげている。この部屋より奥に続く方へと行かせないように見張っているのだろう。
兵士に急かされるように元来た廊下に向かう女たちの列から、来夏は一人離れて兵士の方へと歩き出した。
相変わらず、女たちに向かって大きな声を張り上げていたが、兵士は、直ぐ側を通り抜ける来夏には、無反応で、チラリとも見ようとしなかった。
廊下は奥に進むにつれて、豪華な装飾や絨毯が敷かれており、それに従って進めば、ズズリシュの居る場所を尋ねる必要もない。
途中何度か見張りの兵士とすれ違ったが、彼らは来夏に気付きもせず、ただそこにある何かを避けて通るように、彼女に道を開けたのだった。
「何者だ!」
豪華な家具の並べられた部屋に、しわがれた声が響いた。
老獪なズズリシュも、ドアが開きもしなかったのに、突然部屋の中に現れた人影に肝を冷やしたが、それが、まだ少女ともいえる年若い女性であったことから、直ぐに、気を取り直すと、尊大で威厳のある声で一喝しようという構えだった。
しかし、来夏は、顔を隠している布をふわりと捲るようにして消し去ると、彼に問われたままに答えた。
恭しいとさえ言える態度で。
「はじめまして。私は、あなた方が、マ・ラーイカと呼ぶ者です」
ズズリシュの目が大きく開かれた。だが、それだけで、彼には目の前の少女が何を言っているのか理解できないように動かずにいた。
「ズズリシュ、この度の独立宣言の意味を、聞かせてください。あなたは、この街の人々を、どこへ導こうというのですか?」
皺の多い額に汗がにじみ出していた。
目の前にいる少女が何者なのか、何をしに現れたのか、彼にも理解できていたのだ、それ故に動けなかった。
理解していた。この無垢なる問いかけに対する一答が、命運を左右する事を。
「我々は、堕落してはならないのだ。欲と退廃に溺れてはならいのだ。自らを律し、正しく生きていくために、その罪を許してはならない。我らが戦わなければならない! 欺瞞にも、傲慢にも、欲に溺れた民族を許してはならないのだ!」
この老人も、正しい事、自分の正しいと信じられる事のために戦っているのだ。でも、本当にそうなのだろうか?
欲に溺れた民族とは誰の事なのか?
少なくとも、孤児院の子供たちが作った料理を食べ、政務に明け暮れているアリードが欲に溺れているとは思えない。
この街に住む人も、他の街に住む人も、変わりない日々の生活を営んでいた。
彼の言う、敵とは、どこに居るのだろうか?
「イズラヘイムの軍隊を、この街に呼び寄せたのはなぜですか?」
「イェシャリルを守る為だ! 今に、貪欲な悪魔どもがこの地を奪いに来る。戦うための力が必要なのだ!」
「彼らに庇護を求めるのであれば、イェシャリルの独立とは、イズラヘイムの傘下に入るということですか?」
「違う! そう、一時(いっとき)利用するだけの事、その間に我らが力を蓄える。その為に呼び寄せたのだ」
「あなたの敵とは、誰の事ですか?」
「欲に溺れた全ての人間だ!」
(そうか、彼もまた、戦っている相手を知らないのだ……)
多少頑固で、気難しくはあるが、本来、己に厳しく誠実な人間ではある。ただ、矛を向けた相手を知らないだけだ。
彼も、話し合えれば、別な道を歩めるのかもしれない。
「あなたは、まず、自分の目で確かめてください。これから、この街に来る者が、欲に溺れているのかどうかを」
(そうすれば、きっと、道は開けるはず……)
来夏は、恭しく頭を下げて、部屋を後にした。
だが、……この老人が、相手も分からず、矛を向けなければならなかった原因は何だ?
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