第51話 英雄暗殺 4
アリードの駐在している邸宅は、広い庭と大きな門があり、見た目こそ立派であったが、簡単な柵と植木で仕切られただけの庭は、簡単に侵入することが出来る。それもそのはず、昼間は守衛こそいるが、誰でも公園のように出入りできたのだ。
服装も行動もバラバラで、訓練の行き通ってない彼らでも、植木の陰で息をひそませれば、容易に武器を持って邸宅に近づける。
後は合図を待って裏口から突入するだけだ。
だが、この数日の彼らの動きは、筒抜けだった。
灯りの消された邸宅内には、既に万全の態勢で警備兵が待ち構えていた。
軍隊が街を支配していた頃なら、男たちがこそこそと荷物を運んでいても誰も気にしなかったが、今のウルクの街では、あまりにも目立つ行動だった。
直ぐに計画の詳細を知った警備隊長だったが、護衛の人数も限られているため、街に分散している彼らを捕まえに行くわけにもいかなかった。その代わりに、庭の警戒をわざと手薄にして、裏口から続く一室にバリケードを築いて、彼らが突入した所を一網打尽にする計画を立てたのだった。
しかし、あまりにも手薄になり過ぎた庭の警備が、裏目に出た。
「隊長、西門から庭を通り抜けようとする通行人が……」
「門で止められなかったのか?」
「はい、門には一人しかおらず気が付くのに遅れてしまい、追いかけて止めようとすれば、怪しまれるかと思いそのまま通したとの事です」
「うむ……、しかし、奴らの突入と鉢合わせになったら」
下手に動きを見せて、突入場所を変更されでもしたら、人数の少ない警備隊では、対応しきれないかもしれない。運を天に任せて、その男が無事通過するのを祈るか?……そんな方法で、一般人を巻き込まれるのを見て見ぬふりするわけにもいかなかった。
「二人歩哨に出せ。奴らに悟られないように慎重にな……」
巡回の兵士を出す事で、突入するタイミングに通行人が鉢合わせしないようにずらす。いうのは簡単だが、多くの銃で狙われていると分かっている通路を、平常心で歩くのは恐ろしく困難な事だ。
今回の計画も、彼らの命運も、二人の兵士に掛かっていた……。
暗い庭の中を歩いて来る男の向かい側から、二人の兵士が規則正しい足音で歩いて来る。すれ違いざまの男の会釈に、敬礼で応え、男が十分に遠ざかれるように、歩調を合わせて歩き続ける。
室内から固唾を飲んで見守っていた兵士達が、安堵の息をもらした所に、軽い金属音が響いた。
カシャリ。――撃鉄を上げるレバーを引いたかのような音。
誰もが心臓が止まりそうなほど驚いた。平静を装い歩いていた兵士も、咄嗟に振り返ってしまう。
銃を構えるのを堪えれたのは、大きな手柄だ。彼らの視界の先には、地面に落ちた時計を拾おうとする男の姿があった。
男が歩き出すまで、ほんの数秒であったが、振り向いた兵士たちは、視線を動かして植え込みの中を確認したい衝動を必死で抑えねばならなかった。
立ち去る男を見送ると、兵士たちも、ゆっくりと歩き出した。
裏口から、ドアを蹴破って押し入った男たちは、一気に建物の中へと走り込んだ。
明かりは無く暗かったが、ドア付近に障害物となる様な物もなく、見通しがよかったために、次々と奥へと入ったが、そこから先は、テーブルや椅子が配置されていて、思うように進めない。部屋に家具があるのは当たり前だと、不審に思う程でもなく、迂回したり、乗り越えて進もうとすると、その先には、匠に家具で偽装されたバリケードが築かれていた。
「待ち伏せだ!」
誰かが叫んだ瞬間、銃声が上がった。
反撃に銃を構える暇もなく、強い光に照らし出される。それで十分だった。ここまで周到に待ち伏せされていては勝ち目など無く、抵抗する無意味さを悟った男たちは、銃を捨て地面に伏せるだけだった。
「全員捕らえました」
「そうか」
二つ隣の部屋でソファーに座っていたアリードは、報告に来た兵士に短く答えた。彼が襲撃者の情報を知りながら、そこから逃げようとしなかった事を兵士は疑問に思っていたが、部屋の片隅で窓から外を眺めている少女の姿に気づくと、何も言わずに頭を下げて退室した。
マ・ラーイカの加護、それ以上に安全な場所など、あるはずもない、と。
「後は、バルクの方か……」
アリードはテーブルの上に肘をついたまま、落ち着かない頭を押さえていた。
来夏の友人が向かってくれたと教えられていても、報告を待つ時間は、とても長く感じる。しかし、彼女に詰め寄っても、結果が変わる訳でも無く、ただ、耐えなければならない時間だった。
実際には来夏が窓を離れて振り返ったのは、兵士が部屋を出てからわずかな時間でしかなかったのだが……。
「大丈夫、向こうの襲撃者も全部追い払ったわ」
「逃げたのか? どこに、……いや、ありがとう、ラーイカ。もう一人の彼女にも、礼を言っておいてくれ」
彼女なら、どこへ逃げ込んだ相手でも追跡できるのは分かっていたが、いや、それ以前に一人も逃さず捕まえる事も出来ただろう。だが、逃したのだ。
その意味を考えれば、彼らを狩りだす手伝いを彼女にさせる訳にはいかなかった。
彼女たちの行動には彼女たちの理由がある。十二分に協力してくれている彼女たちに、これ以上この国の厄介事を押し付ける訳にはいかない。彼らを捕らえるのは自分たちの手で行わねばならない。
それに今回の首謀者が誰であるか気にはなっても、逃げた実行犯を追いかけている時間もアリードには無かった。
政務に追われながらも視察に来た彼には、街の有力者や、商業組合の代表との会談の他にも、この街の食料品や日用雑貨の流通事情を調べたりといった、細かな雑事にさく人員もなく、自らメモを取りながら、街を回らねばならなかった。
しかし、書類上の文字よりも、この街に何が必要か、この国に今何が必要なのかを知るのに、自分の足を使った方が彼自身の性分に合っていたため、それを苦痛には感じていなかった。
数日もすれば、書類の束を抱えて、メモを取りながら街を走り回り、名を呼ばれればはにかんだ笑顔で手を振り返す英雄の姿は、見慣れたものになっていた。
「アリード、待ってください。先日の件もありますし、護衛を……」
「うるさいな、お前も、そっちの店の商品を調べろ」
隊長の制止も聞かずに、雑踏の中を進む彼に、ひときわ大きな声援が送られた。
「アリード!!」
一瞬、誰もが振り返るような大声。
いつもの様に軽く手を上げて応えようとした彼の目に、銃を構えた男の姿が写った。
突然、時間が止まったかのような静寂の中、パーンと、乾いた空に良く響く銃声がいつまでも尾を引いていた。
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