第50話 英雄暗殺 3
その日は、とても暗い夜だった。
細くなった月が雲に隠れ、澄んだ空は、はるか遠く深淵の先を写し出したかのように黒く、星々も闇の中へ吸い込まれてしまったかと、思われるほど暗かった。
砂の国でも、夜に動く小さな生き物の気配はある。それが、今夜は、何かに怯えたかのようになりを潜めていた。
そんな事には気づく筈もなく、孤児院では、小さな寝息を立てて子供たちが眠っている。
子供たちと同じく、小さなベッドで安らかな寝息を立てていた来夏が、むくりと起き上がり、音もなくベッドを下りると、暗い部屋を迷いなくドアへと向かう。
空の闇の彼方まで見通せる彼女に、灯りが必要ないのは当然のことだったが、ベッドの上で寝息を立てていても眠っている訳では無かった。
いや、彼女にとっては眠っているのではあったが、通常の睡眠ではない。小さな生き物の営みから、風の動き、砂の一粒まで、周囲で起きる事は全て感知している。
当然、彼女に見つからないように距離を取っている護衛たちの姿も。
その彼らの内に、いつもと違った動きがみられた。
普段の巡回ルートを外れた数人が足音を忍ばせて、孤児院へと近づいてきているのだった。
(こんな時間に、どうしたのかしら?)
彼らを地面に叩き伏せたり、元の詰め所から離れられなくするのは、寝返りを打つのと同じくらい簡単な事だったが、護衛をしてくれてる彼らに時間が遅いからと言って無碍な扱いは出来ない。
来夏は、子供たちを起こさないように静かに表に出ると、あまり目立たない小さな灯りを出して、兵士達を出迎えた。
「こんばんは、何かあったのですか?」
驚いたのは兵士たちの方である。
靴に布を巻き足を取を消して、闇に紛れて忍びよれば、誰にも見つからない自信があった。
彼らの厳しい訓練に裏打ちされた誇りをあざ笑うかのように、少女は自ら茶会に招いた客を出迎える優雅さで礼をしたのだった。
もちろん、来夏にそんなつもりはない、遅くまで任務に就いてくれている兵士達に、出来る限りの礼を示しただけであったが。
想定外の出迎えに、驚きはしても、声を上げなかった兵士であったが、彼女の肩の上で柔らかい光を放つ灯りと同じものが、ぽっッと、自分たちの近くに灯った時、目の前にいる相手がようやく理解できた。
「うわぁーー!」
叫び声が上がった瞬間に全員が銃の引き鉄を引いた。
恐怖にかられた叫び声が、誰のものなのか分からなかった。
自分の叫び声かもしれないと、考えても、それを止めるより先に引き金を引かねばならない、彼らには他に道は無かった。自分たちが襲おうとした相手が何者であるのか、ようやく理解したからだ。
しかし、暗い夜は静寂に包まれたまま、一つの銃声もならなかった。それもそのはず、兵士たちは引き鉄に指を掛けたまま、その場に凍りついていた。
超常の力、計り知れぬ力と理解した通り、その結果は彼らが想像さえしなかったものであった。
動きを止められた兵士たちは、石にされたわけではなく、ただ、動けないだけで意識があった。しかし、指一本どころか、瞬きさえ出来ない彼らは、自分の運命を選ぶ権利など無いと思い知らされていた。
無言で見つめる少女に、これから与えられる苛酷な死を想像し恐怖していたが、高鳴るはずの心臓も呼吸も、静かなリズムを繰り返している。
もはや、絶望さえ出来ないのだと……。
(彼らは何をしに来たのかしら?)
(驚いたからと言って銃を撃つなんて、みんなが目を覚ましてしまうじゃない。何か伝えに来たとしても、話せる様にしたら、叫びだすかもしれない……そうだ、隊長さんのところに行って、彼らが何を伝えに来たのか、教えてもらおう)
来夏は、兵士を一列に並べると、先頭に立って歩き出す。静かに寸分たがわぬ動きで行進する兵士たちは、張り付いた微笑みを浮かべて、彼女の後をついて行った。
護衛の兵士たちの詰め所に近づくと、今度は脅かさないように、灯りを小さなランタンに変える。
「こんばんは、隊長さんはいますか?」
哨戒に当たっている兵士に声を掛けたが、目立たぬように建てられた小さな建物から、背の高い男が飛び出してきた。
警備隊の隊長だった。
「どうなされましたか!」
来夏の姿を見知っていた彼は、こんな時間に訪れた彼女に、極度の緊張を持って敬礼した。
ただ事ではあるまい、と、そして、彼女の後ろで一列に並んで微笑んでいる兵士に気づくと、さらに警戒心を高めたが、何が起きているのか理解できなかった。
「その者たちは?……」
「発砲しようとしたので、動きを制限させてもらってますが、彼らを私の元に遣わしたのは隊長さんではありませんか?」
「いえ、滅相もない……。おい、所属を述べよ!」
隊長の叱咤にも、兵士は微笑みを浮かべたまま答えない。
もう一度、命令を発しようとする隊長に、代わりに来夏が答えた。
「ご存知ないのでしたら、メルトロウ先生に相談してきます」
「はっ、それでは、我々がこの者たちを連行して……」
「いえ、私が連れて行きますので、見張りのお仕事の方をよろしくお願いします」
隊長に礼を述べると、兵士達を引き連れて歩き出した。
彼らが、命令以外の行動をしていたなら、このまま引き渡せば、理由を聞くためにどんな手段でも用いようとするであろう。
それが分かっていて、彼らをここに残して、孤児院には戻れなかった。だからと言って、このまま何処かへと帰すわけにもいかず、メルトロウならば、無為に傷つけたりはしないだろうと、考えての行動だった。
来夏が着いた時には、夜も遅い時間だというのに、基地には灯りが付き、ちょうどメルトロウも表に出て来ていた。
「こんばんは、先生。彼らのことで相談が……」
「来夏の所にも来たの? 迷惑な連中ね」
会釈をするメルトロウの隣で、朋美が地面に座らされている兵士に悪態をついていた。
「彼らは、どうしたの?」
「そっちのと同じよ、皆が寝静まった頃、いきなり襲って来たのよ。……クアトリム用の防御柵に引っかかってたんだけど」
「そうなのですか?」
来夏は自分の連れて来た兵士たちに尋ねた。
目の前にいるのは、少女二人と人の好さそうな優男だけだったが、兵士たちは、反抗する気力もなく、ぺらぺらと話し出した。
「はい……、ここを襲えと」
「どうして? やっと、平和になったのに……」
「平和に?……そうだ、だからこそ、今やらなければ、俺たち元国軍の兵士は、いずれ粛清されてしまう」
「アリードは、そんな事はしないわ。そうでしょ、先生」
「ええ、もちろんですが……、ならば、狙いは、アリードという事になりますね」
「詳しくは知らないが、たぶん他の奴らが、襲撃する手筈になっている、と思う……」
「まったく、野蛮な連中ね。私が見てきてあげるわ。おいで、クアトリム」
朋美はドラゴンを呼び寄せると、空中に浮かび上がり、花弁のようにふわりとその背に腰を掛ける。
ドラゴンは、羽を一二度羽ばたかせたかと思うと、瞬く間に空の闇へと消えて行った。
彼女の姿を見送った後、来夏はメルトロウに向き直った。
「先生、彼らはどうなるのですか?」
「そうですね、クーデターを画策した事になりますから、裁判の準備ができるまで拘禁して……」
メルトロウの答えは、正確に事実だけを伝えていた。
その言葉は正かった、彼らは罰せられる罪を犯したのだ。しかし、彼らも自分たちの身を守ろうとして武器を取っただけではないのか?
来夏には、彼らを裁く権利が誰にあるのか分からなかったが、誰かが傷つかぬように、彼らを止めねばならなかった。それだけは、確かな事だ。
「私も、アリードの所へ行ってきます……」
空に舞い上がった来夏は、すぐに夜空の星と見分けがつかなくなった。
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