第30話 ベル・マ・クドゥール

 天蓋のある大きなベッドが置かれた部屋に、彼女ベル・マ・クドゥールは一人佇んでいた。

 彼女のために用意された大きな部屋は、使われる事の無い豪華な家具が端に追いやられ、ベッドと不釣り合いなほど小さな彼女と相まって、さらに閑散としたドールハウスのような雰囲気を醸し出していた。


 ベッドの中に潜り込んで、立て続けに大きな魔法を使い疲労した体を少しでも休めたかったが、とても眠れそうにはなかった。

 彼女は二度も敗北したのだ。

 今まで一度だって負けた事が無かった彼女が、手も足も出ずに負けた。

 自分の魔法が全く通用しない相手がいたことに、驚きよりも口惜しさが込み上げて、ベッドに拳を叩きつける。柔らかなクッションの反動であったが、その衝撃が伝わると足が痛んだ。


「なんでなの! 何であんな奴がいるの!」


 涙が零れそうになるのを唇を噛んで堪える。普段ならすぐに治るはずの傷が、いつまでも傷み続けている。それも初めての経験だった。


(悔しい、悔しい、口惜しい、何のために、この国に来たの……情けない……)


 何も出来ない自分が情けなく、何もできない自分のみじめさにもう一度拳を振り上げた。


「おや、随分痛めつけられたようですな」


「これくらい、何でもないわ」


 断りもなく部屋に入り椅子に腰かけて、口元を嘲笑するように歪め、自分の髭をつまんで弄んでいる男を、ベルは力強く見返した。


「そうですか、それは一安心、かなり派手に負けていらしたようでしたのでね。私も心配していたのですよ……、それはそうと、ラドラキアでごろつき共が暴れて困っていましてな」


「それくらい、あんたの軍隊で何とかできないの? 役に立たないわね」


「そうしたいのも山々ですが、負ける度に尻尾を撒いて逃げ出されては、見捨てられた兵士の補充も大変でね、こちらも人手不足でしてね」


 精一杯の嫌味を言い返したが、さらに嫌味を重ねられて、ベルは、男を睨み付けるしか出来なかった。


「シッポ何て……付いてないわよ」


「そうですか、では、次は頼みましたよ」


「見てなさい、アルシャザード。次こそは……」


(もう負けるわけにはいかない……この国の大統領アルシャザードに、これ以上弱みを見せる訳にはいかない……)


 ベルは、足の痛みをアルシャザードに悟られぬ様、ゆっくりと部屋を出た。


「ふっ、所詮は子供か……。まぁ、役に立つ間は使わせてもらうか」


 不機嫌そうに自分の髭を引き抜いたアルシャザードは、吐き捨てる様に呟いた。



 ラドラキアの裏路地を人目を避けて走る男が、鼠のような動きで周囲を警戒しながら小さな扉に体を滑りこませた。


「ボス、5番と6番も、仕掛けましたぜ」


「よくやった、今なら軍も手薄だ。俺たちが攻撃に出る絶好のチャンスだ」


 低い声で答えたのは、アルジャズールを吊るしてから街に潜んでいたクルクッカだ。彼らが鼠のように裏路地に身を潜めていれば、この人口の多い都市で見つけ出すのは、不可能に近かった。

 そうして、静かに息を殺しながら、軍が手薄になる機会を慎重に窺っていたのだった。


「しかし、ボス、軍にもマ・ラーイカがいるって噂ですぜ」


「そんな物、まがい物に過ぎん。どうせ奴らの広めた噂だろう」


「そうですかい、そうだといいんですが」


「直ぐにこの街を火の海に変えて、餓鬼の遊びとは違う本物の戦闘を見せてやる。……本物の戦闘が、洗練された芸術作品であるのだと、思い知るがいい!」


 初めは小さな爆発だった。街外れのゴミ箱に仕掛けられた爆弾が爆発した。けが人も出ず、静かに燃えていた小さな火であったが、一度燃え広がると、入り組んだ狭い路地で消化が困難な場所で、食い止めるのにかなりの人数が必要となっていた。

 それから間もなく、人の集まる大きなビルで爆発が起こった。出入り口を塞ぐように火は燃え広がり、多くの人が閉じ込められて、軍が出動する事となった。

 しかし、彼らの通行を妨げる様に行く先々で通りに止められた車が爆発し、その対処に追われて、何台もの車両が出動する事になった。

 そして、ようやく現場に到着した時、出動した軍の車両が一斉に爆発した。

 消し止める者もなく火は燃え広がり、パニックは街中に広がって行く。


「今だ、行くぞ野郎ども!」


 その時を見計らっていたクルクッカたちが、一気に軍の司令部になだれ込む。混乱した軍は彼らの侵入をいとも簡単に許し、反撃する事も出来なかった。


「武器庫だ、武器庫を押さえろ!」


「ボス、こんなにありやすぜ」


「運べるだけ運び出せ! 残りはここで派手な花火にしてやろう」


 爆弾や武器を車に積み込んだ彼らが逃げ出すと、次々と爆発が起こり、司令部は炎を上げて崩れ落ちる。

 だが、彼らの計画は、これからが本番であった。

 軍から手に入れた爆薬と武器を携えて、街中に散らばり、更なる混乱を巻き起こして行く。



 ベル・マ・クドゥールがラドラキアに着いた時すでに街はいたる所で煙を上げて、パニックになった人々が見えない敵から、逃げようと荷物を抱えて走り回っていた。


「ひどい有様ね……。でも、敵はどこに居るの?」


「邪魔だ! どきやがれっ!」


 街の様子を見て回ろうと地上を歩いていたベルだったが、怒鳴り声と共に荷物を抱えた男が横を通り過ぎる。思わず、ムッとして男を睨み付けた瞬間、人込みの中からベルに向けて銃弾が放たれた。


(くっ……卑怯な犯罪者どもめ、こそこそと人ごみに隠れて……)


 注意深く辺りに神経を研ぎ澄ますと、進む方向もバラバラな人込みの中に、数人の男たちが銃を持って動いているのが分かる。


(いる……、また、あちこちから狙うつもりね……)


 ベルは周囲の武器を持った男たちに狙いをつけ、一斉に光弾を飛ばした。それは正確に人ごみを越えて男たちに炸裂する。

 だが、その爆発音が樋地いた途端、ただでさえ逃げる方向も分からず、ただただ走り回っていた人々が、止め様もない大混乱に陥った。

 荷物を放り投げ、人を押しのけて、大声を上げてどこへ行けばいいのかも分からず走り出していた。


(しまった……これじゃ、犯罪者を探していられないわ。軍の連中は、どこに居るのよ!)


 役に立たないアルシャザードの兵隊に、悪態をつきながらも、ベルは逃げ惑う人々を観察し、その中を油断なく走る銃を持った男を見つけて、光の弾で打ち倒す。

 新たな爆発に人々は悲鳴を上げたが、その代わり、ベルの前に視界が開けた。


(そっか、爆発が起これば、パニックになってても逃げだしてくれるわよね。少し向こうへ行ってもらおうかしら……)


 ベルは順番に小さな爆発を上げて、周囲の人を同じ方向へと追いやり、自分の周りから人々を遠ざけて行く。ある程度流れが出来上がれば、勝手にそっちへ走り出してくれるのは、誘導する者にとってかなり楽であった。


「こんな物かしら……、後は、犯罪者どもを狩りだして行けば……、でも、他人を押しのけて我先に逃げ出す連中も犯罪者みたいなものよね、少しくらい数を減らしてやってもよかったかしら?」


 人通りの少なくなった通りを悠然と歩いて、物陰に隠れている犯罪者を探していたベルだったが、近づいてきた小さな子供に呼び止められた。


「おねえちゃん、これ……」


「どうしたの? あなたはどこの子?」


 答えながら差し出された小さな紙袋を手のひらですくって受け取ったが、見た事もない子供だった。紙袋から伝わるずっしりとした重量感を少し不審に思ったが、再びその子供に声を掛けようとした時には、既に背を向けてトコトコと走り出していた。


(どこの子供かしら? それに、これの紙袋は?)


 少し不思議な子供の背中を見送ってから、折り曲げられた紙袋の封を開ける。

 それは、爆弾だった。

 気が付いた時にはすでに遅く、放す間もなく、ベルの手のひらの上で爆発し辺りを炎で包んだ。


(油断した……。まさか、あんな子供まで、奴等の仲間だなんて……)


 爆炎を吹き飛ばし、空中に跳び上がったベルは、自分の迂闊さを悔いていた。

 軍隊の姿が見えない時点で気づくべきだったのだ、既にこの街は敵の手に落ちている。兵士は掃討され、犯罪者の支配する街を一人、のこのこと歩いていた自分の間抜けさに嫌気がさしていた。


「そうだ……、この街に残っているのは、全部、犯罪者だ……罪もない人々を殺してきた、犯罪者どもだ…………。エルク・パワー・ラフア!」


 彼女の手から放たれた圧縮した空気が、地面にぶつかり閃光を放って広がって行った。

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