第9話 空から降るパン

 物事の事象、書き綴られた文字の意味なら、誰よりも正確に理解できたであろう。しかし、この世界で生きて来た者たちが、それをどう受け取るのか、それは、全く別な事であろう。

 『魔法』という強大な力で得る知識は、曖昧な危うさを含んだ心を揺り動かしてしまうかもしれない、刻み込まれた傷は、癒すことが出来るのだろうか。来夏は恐れていた。


 彼女は、ミャヒナと共に本を読む勉強をし、河原で水しぶきを上げて洗濯をし、小さな笑顔に囲まれて暮らすうちに、自分の力は、この笑顔を人知れず守るために使えばいいと、思うようになっていた。


 しかし、彼女たちがいつもの様に過ごしていたある日、孤児院に悲鳴が響いた。


「メルトロウ先生!」


 駆けつけた来夏の目の前には、床に倒れたメルトロウと周りで泣きすがる子供たちの姿があった。


「だ、大丈夫です、みな、さん……。少し、休めば、すぐ、よくなりますから……」


 熱にうなされ、苦しそうに言葉を発しながら、立ち上がろうとするメルトロウを皆で支え、部屋のベッドまで連れて行く。うつる病気であったらいけないと、心配そうについてくる小さな子供たちを部屋の外に出したが、看病に残った年長の者達も落ち着かない様子であった。

 この孤児院の唯一の保護者と言うべきメルトロウに何かあれば、ここはどうなってしまうのか?


(本当にすぐによくなるのだろうか、それとも、命に係わる病だったら……?)


 来夏は迷っていた。ここで『魔法』を使えば、たちどころに全開させることが出来る、それどころか、古傷や持病さえ、まとめて治ってしまうはずである。

 ベッドに寝かしたとたん、全快したとなれば、周りで見ている者も本人も、明らかに不審がるであろう。

 癒しの奇跡、何て物をここで起こす気にはなれなかった。

 それは、一度は助かっても、やがて大きな波となって孤児院に襲い掛かるに違いない。

 来夏はこれ以上体調が悪くなりそうならば、『魔法』を使えばいいと、彼の状態をトレースしつつ、見守る事に決めていた。


「メルトロウ先生は、大丈夫なの?」


「うん、少し眠ると直ぐによくなるわ」


 心配を口にする子供たちを一人づつなだめ、部屋へ連れて行き、不安から泣き出す子供達の面倒を見たりと、いつもより手のかかる小さな子供たちに、メルトロウの看病も加わり、年長の者達は、大忙しであった。


 風邪でも熱が出れば、完治するまでに、二日、三日、かかるものだ。彼の状態も過労から来るものなのか、重大な病なのか、もう少し様子を見るべきだと、来夏は考えていたが、そこに、大きな隔たりがあるという事に気が付かなかった。

 医療技術が発展していれば、体調の不良や病なので死ぬことは無い。発達した文明は、死への感覚を鈍らせる。来夏にとって死への恐怖とは、遠くに書かれた言葉の意味でしかなかった。

 それを敏感に感じ取る彼女たちと違って……。


「ラーイカ、大変、ノルノル達がどこにも居ないの……」


 忙しさにかまけて目を離した隙に、彼女たちの姿が消えていたと、気付かされたのは、彼女たちと同じ部屋の小さな子供たちが血相を変えて、そう告げに来た時だった。


(こんな忙しいときにどこへ遊びに行ったのかしら?)


 その言葉を聞いても、まだ、そう考えた来夏だったが、その子供はまだ何か言いたそうに、モジモジと口籠っている。


「あのね……、イルイルとノルノルが、先生にパンを取って来るって、言ってたの」


(パン? ……空から降ってくるパン!)


 二人が話していた空から降ってくるパンに思い至った来夏は、直ぐに、事の重大さを思い知らされ、表へと走り出していた。

 彼女たちもただ遊んでいる訳ではない、倒れたメルトロウに何が出来るかを自分たちで考えたうえでの行動だったのだ。

 わずかな病でも、死に直結する彼女たちの感覚では、何もせずにじっと待つなどできよう筈もなかったのだ。


(二人はあの場所に向かったはず。メルトロウにパンを届けるために、でもあそこは……)


 来夏は砂塵の舞う廃墟の街を風のように走った。文字通り、『魔法』で体を浮かせて疾走する彼女は吹き抜ける風であった。

 直ぐに街外れまで付いたが、二人の姿が見えない。

 あれ程、踏み入らないようにしていた、砂と岩の広がる荒野へと、既に足を踏み入れてしまったのか。

 来夏は直ぐにサーチをかけようとするが、その時近くの岩の影からイルイルがひょっこり顔を出した。


「ラーイカ、パンを見つけたのです。この缶詰の中にパンが入って居るのです」


 岩かげから出て来た、イルイルは、缶詰の蓋を開けようと、抱え込んで蓋を引っ張っている。

 来夏には彼女が手にしている物がすぐに何か理解できた。


「イルイル、ダメ!」


 来夏が駆け寄ろうとしたと同時に、缶詰は勢いよく蓋を開き、はずみで中身が飛び出す。

 そこに入って居た物は、丸い金属の塊――手榴弾だ。

 コンッっと、岩にぶつかり甲高い音を立てた瞬間、それは爆炎を上げた。


 舞い上がる砂と共に吐き出された黒煙が、乾いた風に流されると、そこには、イルイルをしっかりと抱きしめている来夏の姿があった。

 間一髪で間に合った。『魔法』の防御フィールドがあれば、例え、数十センチの所で爆弾が爆発しようとも、熱さも感じる事は無い。

 空の缶詰を手にしたまま、放心したように目を見開いているイルイルにすぐさま声を掛けた。


「イルイル、怪我はない? 大丈夫?」


「う……うぅ、うわーん!」


 何が起こったのか理解したためか、自体が把握できないためか、泣き出したイルイルを素早くスキャンし、何処にも傷が無い事を確認する。


(よかった、爆風からの防御は間に合ってる。軽い精神的ショックを受けただけだ……)


 胸を撫で下ろして一息つく前に、来夏にはまだやる事があった。


「ノルノル、どこ? どこにいるの?」


 ノルノルは、突然の爆発に自分が持っている物に気が付き、岩の陰で缶詰を握ったまま動けなくなっていた。それを、優しく彼女の手から受け取り、その手を握る。強く握り返してきたノルノルも堰を切った様に泣き出した。


「大丈夫、大丈夫だから……」


 来夏は二人をしっかりと抱きしめながら、缶詰の詰まった大きなコンテナを、『魔法』で圧縮し、消滅させていた。

 時にパンが入っていた事もあったであろう、それは、空中投下の軍事救援物資。近くの基地へ投下された物が、風に乗り、この荒れ地へと流れつくのであろう。

 抱き合う少女たちの後ろに、砂塵を巻き上げる風の向こうの骸骨のような不吉な影を落とす塔があざ笑うように見え隠れしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る