第10話 賑やかな食卓
二人の手を引いて孤児院に戻って来ると、子供たちはもちろんのこと、病床のメルトロウまでもがイルイルとノルノルを探しに出ようとしている所だった。
無事に戻ってきたことに安堵し皆で喜びあっていたが、無理をして熱がぶり返したメルトロウをベッドに運ばねばならなかった。
そして皆が寝静まった後こっそり治療した来夏は、暗い廊下で一人、深いため息をついていた。
(もっと早く、こうしていれば……)
自分の考えが甘かったのだと思い知らされていたのだった。
彼女たちの幼い目は想像もできないほど数多くの死を見て来たのだと。それがどんな意味を持つのか分かっていなかった、目の前にいる友人が明日死んでしまうなど想像する事さえ難しい世界で生きて来たのだ、死は遠い物語の中のフィクションでしかありはしなかったのだった。
(私は……私は……)
自分のしてきた事は、間違っていたのだろうか。明日も彼女たちが笑顔でいられるようにと、それは薄氷を踏むが如くの危うさの上で成り立っていたのだ。だが何をすればいいのかいくら自問を繰り返そうとも答えは返ってこなかった。
「ラーイカ、どうしたの? ないてるの?」
イルイルよりもさらに年少の子が、眠そうに目をこすりながら来夏の足元へと寄って来る。
こんなに小さな子供ですら、今声を掛けなければ後悔すると知っているのだ。明日でいいまた今度すればいいと、後回しにして次の機会が訪れる保証など何処にもないという事を。
「ううん、ありがとう、何でもないのよ。さぁ、ベッドに戻りましょう」
握った小さな手が伝える温かさに少し心が軽くなる気がしたが、彼女自身がなすべき事をまだ見つけられずにいたのだった。
一夜明けると、すっかり回復したメルトロウを囲んで、子供たちが大はしゃぎしていた。
しがみ付いてよじ登らんとばかりの小さな子供たちを、叱る年長の者達の表情もどこかしか和やかに緩んでいた。彼の存在がどれだけ大きな支えとなっていたか改めて感じていた。
「ラーイカ、お祝いなのです」
「ラーイカ、お祝うのです」
(お祝い? なるほど、快気祝いをするのかな)
イルイルとノルノルの手を引かれて調理場に向かう、そこではミャヒナたちが既に料理の下準備に取り掛かっていた。来夏も空回りする程のやる気を見せている二人と手伝いを始めた。
「皮をむくのです」
「トマトの皮をむくのです」
「皮をむく前に洗わないと……トマトの皮は、剥かなくていいのよ」
「洗うのです」
「洗濯なのです」
「あぁ、二人共、そんなに擦っちゃダメ」
気合を入れてゴシゴシと野菜を洗い出した二人は、石にぶつけて脱水しかねない勢いであった。
来夏が二人のやる気に振り回されていると、食材を切り分けていたミャヒナが一人考え込むようにつぶやいていた。
「あら? こんなにお肉があったかしら? これも……」
「アリードが持ってきてくれたんじゃなかったっけ?」
「そうだったかしら、お礼を言っておかなきゃ……」
ミャヒナの記憶に合わないそれらの食材は、来夏が『魔法』で用意した物だった。今までも何度かそうやって食材を増やしていたのだったが、不審に思われない程度にとどめていた。
(身に覚えが無くても、ミャヒナに感謝されれば、アリードも快く受け入れるだろう。)
食料を十倍にする事も、それこそ一生困らないだけの宝石か金貨を出す事も出来たが、それが自分のするべき事ではないと感じていたし、川をワインに変えるような奇跡を彼女たちは望まないだろう。
それはいつか、もっと大きな災いを生む。背負いきれない重荷となるだろうと彼女たちは知っているのだ。
今は彼女たちが笑顔で囲む食卓にほんの少し彩を添えられればと。
いつも以上に活気の戻った賑やかなテーブルでは、メルトロウが急かす子供たちに無理に口に食事を詰め込まれようとしていた。
「イルイルのむいたイモを食べるなのです」
「イルイルさん、これはまだ皮が残っていますよ、いや、ほとんど皮だけのような気もしますが……」
「トマトを食べるのです、ノルノルはきれいに皮をむいたなのです」
それは真っ赤な襞をいくつも垂れさげ、耳まで裂けた巨大な口から緑色の種の混じったスープの汁を吐き出す怪物にも見えたが、煮込まれたトマトには違いなかった。
「ノルノルさん、それは、ちょっと……」
それは、騒がしくも暖かな食卓であった。
この日々がいつまでも続けばいいと静かに見守っていた来夏だったが、メルトロウが「ラーイカさん、ありがとう」と、礼を述べた時は少し困惑していた。
唯の感謝の言葉であったかもしれない、イルイルとノルノルを連れ戻した礼であったのかもしれない、だがそれは『魔法』で彼を治療した事へ向けられたものなのかもしれない、と。
来夏は『魔法』が世界に残す傷跡を恐れていたのだ。
水をワインに変えて去って行った聖人は、そこに何を残したかったのだろうか?
残された人々はそれを巡る争いに巻き込まれたりはしなかったのだろうか?
争いを収め広大な国を作り上げたとしても、そこに住む人々は幸せになれるのだろうか?
多種多様な民族や生活習慣の違いは?
大きな繁栄や発達した文明は、さらに大きな悲劇を生むかもしれない。
果たしてそれが『偉業』であるのか来夏には分からなかった。
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