第6話 買い物と少年

 朝早くから、椅子に座らされた来夏の目の前で、ミャヒナが真剣な表情で数枚の奇麗な模様の付いた布と来夏を見比べていた。


「うーん、やっぱり、ラーイカにはこっちかしら?」


 何度か、自分の腕にかけて広げた布を顔に近づけて、うんうんと頷くと、その一枚を取って、束ねられた来夏の長い髪を、包み込むように巻き付けて、長い布の端をくるくると手早く顔に巻き付ける。最後に口と鼻を覆ってしまうと、ほのかな優しい香りに包まれ、何とも心地よい気分になる。余った布の端を軽く絞って、小さな花飾りのついたブローチで、サッと止めた。

 テーブルに並べられた小さなブローチも、彼女のお気に入りのコレクションで、どれを付けるか、ひとしきり悩んで、選んでくれたものだった。


「これでよしっ、とっ」


 布を巻いた来夏を色んな角度からじっくり眺めて、満足気に頷くと、ミャヒナは同じように自分の短い髪をササッと布で巻いてしまう。

 布の間から目だけが覗くミャヒナの姿に、どきりとさせられた。

 頬が赤く染まっているのではないかと、恥ずかしさに目を泳がせていたが、自分の顔も布ですっぽり包まれて、誰にも見えないのだと、そっと胸を撫で下ろした。

 もともと、美しい顔立ちの少女ではあったのだが、大きな目と長いまつ毛を強調し、何とも神秘的な雰囲気を醸し出して、普段の太陽の下で輝く明るい少女ではなく、月の灯りに秘められた妖艶さ、とでも言った感じであったのだ。


(かえって、人目を引いちゃうのじゃないのかな?)


 二人のおめかしは、街に必要な日用品を買い物に行くための変装と言うとこであったのだ。

 高い気温と乾いた空気の中、この格好は重苦しく感じたが、直接強い日差しが当たらないだけでも随分快適に過ごせるものだと、少し感心した。もっとも、防御フィールドで守られた来夏には、それをデータ化された数値で確認するだけの事なのであるが。


 石造りの背の低い建物がひしめく街は、来夏が思っていたよりも大きく活気にあふれていた。

 舗装されて無い不揃いな幅の曲がりくねった道を抜け、幅の広い石畳に変わり始めると、途端に道の両側を露店の布を張った屋根が埋め尽くす。果物を並べた露店のすぐ隣に、衣料品を山のように積んだ店、雑貨を並べている露店もあれば、その隣には本がうず高く積まれていた。


(本屋……だよね? イルイルとノルノルでも、自分たちで読める様な本があるかも?)


 ミャヒナが露店で商品を選んだいる間に、幾つか本を手に取ってみたが、線画で描かれた挿絵がついていたりはするものの、厳めしい文語体の文章で、比喩的な物語がつづられていた。

 頭を悩ませながら、本を順番に開いて選んでいる来夏を、椅子に座った男が怪訝そうに見つめていた。


(店主なのだろうかな? 立ち読みは怒られるのかもしれない……)


 しかし、そうは言っても内容の分からない本を買う訳にもいかないと、考えた来夏は、こっそり、積まれた本をスキャンし、比較的わかりやすい短い物語の書かれた本を、積み重ねられた本の下から引き抜いた。

 本を持って店主の元へと近づくと、目を細めてさらに、怪しむような視線を向けられたが、手にした本の表紙に目をやると、ああ、それかと、鼻で笑うような態度であったが、売ってもらえた。


 少し納得はいかなかったが、他にも何か、彼女たちが喜びそうなものが無いかと露店を見て廻る。こまごまとしたものが乱雑に並べられた露店は、宝探しのようで楽しかったし、顔に布を巻いている者も、来夏の様にすっぽり覆っている者から、髪を縛るだけのものまでさまざまだったが、少なからずいたので、誰も来夏を見とがめる事もなく、自由に商品を見て回れた。


(ここにも様々な民族が集まっているのだろうか?)


 怪しまれない程度に、周りの人の顔を注意深く見比べてみたが、それ程特徴的な違いを見つけることは出来なかった。

 ミャヒナが隠さねばならない、ミューヒ族の特徴を来夏はあえて聞かなかったのだが、知らなければ、それを見つけ出すのは不可能であろう。


(強いてあげれば、ミャヒナの方が美人だというくらいだ)


 来夏はなぜか勝ち誇った気分になっていた。


「やめてください!」


 雑踏の中に響いた声は、間違いなくミャヒナの声だった。

 慌てて周囲を見回すも彼女の姿は見えず、周りの人々は、彼女の叫び声に注意を払う事なく、自分の仕事を続けている、あの悲鳴が聞こえなかった筈は無いのに。


「捜索、ミャヒナ……」


 周囲をサーチすると、少し離れた露店の切れ間から続く小道の前に、追い込まれようとしている彼女と二人の銃を持った男の姿を捕らえた。


(揃いの制服、軍人か警官なのだろうか?)


「いいじゃないか、顔を見せろよ」


 下卑た笑いを浮かべながら、手を伸ばす男を避けて、人通りの多い道へと戻ろうとすると、もう一人の男が回り込み、ミャヒナを裏道へと追い込んでいく。


(顔を見られれば、直ぐにミューヒ族だとばれるのだろうか?)


(そうなら、その後どういう目にあわされるのだろうか?)


 疑問を頭に渦巻かせながら、人込みを掻き分けて、裏路地に飛び込むと、ミャヒナと男の間に体を割り込ませた。


「へへへ、もう一人増えたぞ?」


「こりゃ、いいな」


 男たちは、いっそう下卑た笑いを強めて、さらに奥へと、追い込もうと迫って来る。


(この男たちは、何なの……)


 来夏は戸惑っていた、相手が強盗の類であれば、軽くショックを与えて、気を失わしておけばよかったが、公的な機関の人間ならば、問題になるかもしれない。ミャヒナの正体を疑われているのなら、うまく質問に答えられれば、やり過ごせるだろう、適当な映像で顔をごまかしてもいい、幾らでも方法はある。

 しかし、銃を肩に掛けた男たちは、にやにやと笑いながら、ゆっくりと、来夏達が裏路地の奥へ進むように、近づいてくるだけだった。


(他に方法がない訳ではない……)


 ミャヒナを背中に庇いながら、来夏は考えていた。でも、それは、あまり使いたくはない方法であった。


「兵隊さん!」


 大通りの方から、少年の軽やかな声で呼び止められ、男たちは明らかに不機嫌な声をあげて、振り向いた。


「何だ小僧、こっちは仕事中で忙しいんだ」


「いいんですかい? 向こうで、赤い飾りを付けた隊長さんが呼んでましたよ」


「何だと、小僧! それを早く言え!」


「こんな事をしている場合じゃない、行くぞ!」


 それがよほどの事なのはすぐに分かった。二人の男は少年を押しのけて、走り出し、大通りの人ごみを追い散らしながら、どこかへと消えて行った。


「今のうちに」


 少年が悪戯っぽい笑顔で、唇の前に指を立てると、来夏の手を引いて走り出した。

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