第3話 孤児院と少女 1
小さなベッドに敷かれた薄く硬い布団の上で目を覚ました。
転移酔いをしたのだろうか、少し頭がふらつきどうやってここまで来たのか思い出せなかった。
「起動確認……、モード自己診断」
空中に映し出されるパネルを操作して、取り急ぎ自分の体をスキャンしてみる。
……問題なし。
身体機能には何の損傷もない、自動防衛システムも動いている。それならば、彼女の意識が無くても悪意のある行為は受け付けない筈であった。
何処なのかは情報が無く不明であったがひとまずこの場所は安全であると理解でき、ふーっと体の力を抜いて硬い布団に横になるともう一度目を閉じた。
(周辺の地図情報もない……、本当に異世界に来たんだ……)
ここがどの様な世界であるのか分からない不安よりも、誰も知らない世界に一人いる解放感か、出発前に感じていた胸を締め付ける圧力が軽くなっている気がしていた。
石を積まれた壁に低い天井、こじんまりした部屋の作りもどことなく人形の部屋のように安らかな気分にさせてくれる。
(窓も小さく、ベッドも小さい……この世界は小人が住んで居るのだろうか?)
目を閉じたままそんな事を考えていると、勢いよく開かれたドアから二人の小さな女の子が転がり込み慌てて体を起こした。
「起きたのです」
「朝になったら、起きるのです」
「イルイルの方が早く起きたのです」
「ノルノルの方が早いのです」
「おはようございますなのです」
「イルイル違うよ、最初の挨拶は、はじめましてだよ」
「はじめましてじゃないよ、ノルノル、昨日会ったのです」
「昨日は寝てたのです」
「寝ててもしゃべっていたのです」
(子供なのかな?)
二人の会話から察するにそう思ったが念のためスキャンして、この世界の住人の情報を集めてみると、未成熟な幼体である事は間違いなかった。
生体構造はほぼ日本人と変わりなく、6歳程度であろうか? だが真面な教育機関がないためなのだろう言語学習に問題がある様だ。それでも、ミュニケーションを取るのには問題はなさそうである。
「こんにちは、私は来夏。日本から来ました」
二人は驚いてグルグル回ったかと思うと、額がくっつくほど頭を寄せ合って相談をし始める。内緒話をしているつもりなのだろうか、その会話は来夏にも丸聞こえだったのだが。
「しゃべったのです」
「しゃべっているのです」
「昨日と、声が違うのです」
「今日は、違う声なのです」
「起きたからなのです」
「寝てないのです」
「挨拶をしたのです」
「挨拶をするのです」
「はじめましてじゃなく、こんにちは、なのです」
二人は意を決したかのように来夏の前に肩を並べて立つと、順番に挨拶をし始めた。
「こんにちは、私はイルイルなのです、ら、ら、い、る?」
「こんにちは、私はノルノルなのです、らい、らい?」
「ふふ……私は来夏よ、ら、い、か。よろしくね、イルイル、ノルノル」
「らー、か? ららーか?」
「らか、らか? らー、ら、か?」
「ラーイカ!」
「二人共、騒がしくしちゃダメだですよ」
来夏の名前で発声練習をしている二人を優しくしかったのは、物腰のやわらかそうな男だった。
二人の少女は先生と叫んで男の足へとすがりつき、クルクル周りを回り始めて遊びだす。
子供たちにも随分懐かれている様でスキャンしてみても警戒レベルは低い。
「お目覚めになられてよかったです。私はメルトロウ、ここで孤児院を開いている者です。見ての通り何もない所ですが、ゆっくりしていってください」
「ありがとうございます。私は来夏と申します。日本から来ました」
「ニー、ニッホン……、聞きなれない言葉ですね、すいません、私の知識には無いようです。ら、ラーイカさん」
かなり博識のある人物に見えるが、名前や国などの固有名詞の発音にはかなり手間取っている。魔法によってどんな言語でもすらすら喋れる(それこそ、喉の構造が違う生物であったとしても、共通の言語で話すのに何の問題ない)来夏と違って、この世界の住人に日本語の発音は難しいらしい。
(ここは孤児院なのか……それなら、私もしばらく置いてもらえるだろうか?)
違う世界に来たという実感がふつふつと湧いてくる。
もちろん魔法の防御フィールドによってどこに居ても快適に過ごせるのだが、やはり屋根のある部屋のベッドで眠れた方が安心できる。
どう切り出すべきか、迷いながら話し始めようとすると、メルトロウが先に話し始め、来夏の言葉を遮る形になった。
「あの……」
「この国では、幾つもの民族が内戦をもう何十年も続けているのです。行き場を失った子供たちを、民族に関わらず受け入れて、この孤児院で共に生活をしているのですが、もし、どこかへ行く当てがないのなら、貴方もここで暮らしませんか?」
願ってもない申し出だった。メルトロウは来夏を、名も知らぬ土地から流れて来た孤児だと思ったのだろうか? それとも遥か遠くの国から流浪する民であると思ったのか?
半々と言った所か、どちらにしてもありがたい申し出だった。
「もちろん、どこか目的の場所があるのなら、体調がよく成り次第、出発できるように……、街の人間に声を掛ければ、ニーホンについて知っている者も居るかもしれません」
「いえ、あの……、それは……」
どこから答えていいのか来夏は口籠った。日本についてはいくら聞いても分からないだろうし、自分は孤児という訳でも無い、もし置いてもらえるならそれなりの恩返しも出来る訳なのだが……。
(目的、目的の場所……)
その言葉が、胸に引っかかっていた。
(ここで、暮らしてもいいのだろうか?)
共に暮らせば必要以上に彼等の生活に干渉してしまうかもしれない。日常の生活や常識がどれほど違うのかも分かっていない、彼女のもたらす魔法の恩恵が、彼らにどう映るのか込み上げてくる不安が思考を押し流す。
(私は、何をするためにここに来たのだろうか?)
「ラーイカ、ご飯だよ!」
「ご飯を食べれば、元気になるよ!」
胸を締め付けられる思いにベッドに座ったまま視線を落としていた来夏の膝の上に、イルイルとノルノルが盆に乗せたスープを運んできた。
中断された思考のままに、一口スープをすすってみる。あまり栄養にならなさそうな食事ではあったが、温かいスープは、それだけで、心の緊張をときほぐしてくれる気がした。
それはベッドの両端に肘をついて、来夏の食べる様子を笑顔で眺めている二人の少女のおかげかもしれなかった。
木を削って作られたさじにスープをすくってイルイルの顔の前に持っていくと、目を見開いて驚いた表情を作ったが、直ぐにそれ以上大きな口を開けて、ぱくりとスープを受け入れた。
次いでノルノルにさじですくったスープを運ぼうとすると、もう肘をついて両頬に手を添えたまま大きな口を開けて待っている。
「こらこら二人共、それは、ラーイカさんのスープなのですよ?」
「あの、私は、あまり食事を必要としないので……」
「お口に合わないかもしれませんが、食べてください」
「いえ、そういう訳じゃないんです、……とても、おいしいです」
事実、二人の少女に笑顔を向けられながら食べる食事は、どんな食事よりもおいしかった。だが栄養価の低そうなスープに、メルトロウの子供たちに向ける悲しそうな笑顔が来夏の胸に引っかかっていた。
魔法で守られている自分は、食事も、呼吸さえも必要とせず、一年間走り続ける事も出来るのだと説明したかったが、この世界の人間にそれを理解してもらえるとは思えなかったし、魔法について話す事に胸につかえるしこりのような物を感じていた。
それ以上何も言えずに、すくったスープを自分の口へと運んでいく。
一口すするごとに溢れそうになる涙をこらえて口に運んだスープは少ししょっぱく感じたが、喉を通る暖かさは二人の笑顔のように、太陽の温もりを感じさせてくれた。
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