手紙
森音藍斗
手紙
パソコンも携帯電話も、電源を落としてしまえば余計なことは言わないで済む。
聞こえない。
僕が此処で行う『叫び』は、君には届かない、そして僕はそれを望んでいる。
手紙。
僕は幸せになりたかった。
その実幸せになるのが怖くもあった。今までの僕はずっと、自分は幸せになれない、なってはいけない人間だと思っていたから。
僕は僕が嫌いだ。
こんな人間、こんな人間、幸せになれる筈がない。幸せになっていい筈がない。もっと素敵なひとが、もっと善いひとが、もっとおおきなひとが、もっとずっと好きなひとが、苦しみに苛まれ、枕を濡らし、傷だらけの体で笑って、それでも頑張っているところを見れば、答えは明白だ。自分は何を苦しんだ。この恵まれた世界で。自分は何を悲しんだ。全て与えられた世界で。自分は何に傷ついた。誰も
若し仮に僕が幸せになってもいいとして。
それは、彼ら全員が皆報われた後だ。
灯らない蛍光燈と。
山積みにされた本の間で。
僕は手紙を書いている。誰に宛てるでもない手紙を書いている。
僕が自分の人生にひとつだけ欠点を見出だすとしたら、矢張り全てに於いて恵まれていることを挙げるだろう。
それでも僕は、言ってはいけないと分かっちゃいるけど、言ってはいけないと承知の上で言うけれど、言ってはいけないってちゃんと分かってる、知ってる、心の奥底深くから理解してる、でも、でも。
溢れ出た叫びは。
空しく虚空に霧散していくのです。
いいじゃない。どうせ誰にも聞こえないのだから。
『聞こえない』。
そんな、『僕は幸せになりたかった』。
君は、幸せになってもいいのだと言った。
幸せにすると言ってくれた。
心も体も美しくない僕の、猫の仮面だけを見て、君は僕に可愛いと言った。
そりゃそうだろう。君の前で僕は、『君のことが大好きで、あわよくば君に好かれたい、可愛いだけの人間』なのだから。
可愛いだけじゃ満足しない、できない、そんな可愛くない人間も。
君のことがたまに大嫌いで、話したくも会いたくもない人間も。
おおきくなりたいと口だけで何もせず布団の中で日が暮れるのを待つ怠惰な人間も。
君の前には姿を現さないのだから。
僕は勘違いしていたようだ。間違えていたようだ。そして、君も。
ボクハシアワセニナッテハイケナイ。
僕を幸せにしている気になって幸せになるのが君なら、僕は全力で演技をしよう。
可愛く在ろう。
幸せで在ろう。
僕が君に求めるものなど何もない。そもそも僕は現時点で幸せな筈なのだから。君が僕を好いてくれるなんて、身に余る光栄である筈なのだから。僕が君を幸せにする一番近くに居られる、それだけで幸せな筈なのだから。
僕は現状に満足すべきだ。
傲っていた。我儘になっていた。幸せにしてくれるなんて君が言うから。自分も幸せになっていいなんて、幸せになる助けを君に借りてもいいなんて、勘違い、恥ずかしい思い違い、嘘でした、出鱈目でした、そんなことこれっぽっちも思っちゃいません、忘れて、どうか、忘れて、恥ずかしい。
僕は——
自分のために歌われたんじゃない歌を傍受しながら、独りで何とか心の平静を保ち、そして君に助けを求められたとき、褒めてと言われ、慰めてと言われ、励ましてと言われたとき、全力で君を支えられるように。
君に幸せですかと問われたとき、にっこり笑って幸せですと言えるように。
猫の仮面よりひと回りおおきなポーカーフェイスを。
パソコンも携帯電話も消したまま。
walkmanだけを握り締めて。
黙っていれば良いんだろう。君に聞こえなきゃ良いんだろう。
もう二度と同じ過ちを繰り返さぬように。
処女のまま死ねるように。
独りで泣いて、笑って君に、幸せですと言えるように。
イヤホンで耳を塞いだまま。
顔を上げて、背筋を伸ばして君の隣を歩く。
宛て先などない、差出人だけの為の手紙。
手紙 森音藍斗 @shiori2B
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