エピローグ
その日も、柿原真宵の寝顔は変わらなかった。薄く開いた窓からわずかに風が流れ、白いカーテンを控えめになびかせる。彼女の顔に落ちる薄い影もまた、カーテンの動きに合わせて波打っていた。そのためか様子を見に来た女性の看護師には、時折彼女が表情を変えているようにも見えた。
「柿原さん、具合はどうですかー?」
半年の間こう呼んで変化が起こった事などなかったが、それでももはや恒例のように呼びかけながら彼女の身の回りを整え始めた。ベッドサイドモニタにも変化はなく、点滴を整えようと看護師が真宵から目を離したその時、真宵の顔に落ちる影の形が変わった。
「あら、風が強いのね。閉めないと」
そう言いながら、彼女が窓を閉めようと振り返った時、彼女は眠っている患者の表情が変わっている事に気付いた。
「あ、笑ってる。……笑ってる?」
看護師が自分の見たものに驚くと、ベッドサイドモニタに表示された心電図がわずかに変化を見せた。快復の兆しを意味するこの変化に、看護師が跳び上がる。
「ちょ、先生、先生呼ばないと!」
ぱたぱたとその場を後にする看護師。その後ろで、柿原はなおも目を閉じたまま微笑みを浮かべていた。
五人で揃って校長室にいるという事態に、纏は一層緊張していた。思いのほか丈夫だった身体のおかげで大した後遺症はなかったため、火事の翌日であっても登校はできたのだが、背中の火傷跡のせいで背筋を伸ばしたり丸めたりできないのは思いの他動きづらく、彼女の居心地の悪さを更に強めた。足の火傷で歩きにくいのもあって病院から借りた松葉杖に脇を乗せているのだが、彼女にとって慣れない道具であり、彼女の体は時折ぐらついていた。
「あいちゃん、大丈夫?」
纏のすぐ隣で、清原が気遣うように声をかける。反対側では衙門が、いつでも纏を支えられるように彼女と松葉杖とに意識を集中させていた。外側にいる住良木と御深山も、纏を心配して落ち着かなさそうにしている。
「……ここに呼ばれた理由は分かるかね?」
校長が五人を見ながら、静かに尋ねた。五人は居住まいを正し、改めて校長と向き合う。特に纏は、彼の言葉が他ならぬ自分に向けられていたのだと思い特に緊張していた。
「す、すみませんでした!」
纏の言葉に四人と、校長の視線が集まる。問いかけるような視線に、纏は更に続けた。
「その、部長なのに危険な場所に飛び込んで、結局何もできずに皆に心配かけちゃって……、ごめんなさい!」
もし纏が背筋を曲げられたら深く頭を下げていただろうが、今の彼女には首を下げる事しかできなかった。纏が返事を待つが、誰も何も言わず時間だけが流れる。纏にとってはどんな責め苦にも勝る静寂だったが、これを住良木が破った。
「……いや、部長を止めなかったのは、私達の責任だ。正直な所、我々には部長を見くびっていたところがある。謝るのはこちらだ」
「ほうよ、ごめんね。あいちゃんは悪うないけん、気にせんでええんよ」
清原が労わるように言い、御深山と衙門とが校長に詰め寄る。
「やけん校長、罰があるんなら俺等が受けるき、部長は勘弁してくれんかや?」
「俺からも頼む。元はと言えば、全部俺等に原因があるんだ」
口々に纏を弁護し始める四人。纏はそんな彼等の様子に面食らう反面、彼等が必死になって自分に味方しようとしてくれているのに少なからず感動を覚えた。
「……。あー、その、だねぇ」
校長が口を開き、五人全員が押し黙る。緊張の面持ちになる彼等に、校長は静かにこう言った。
「君達何か勘違いしてないかい?」
五人全員がその言葉にえ、と声を上げる。彼は更に続けた。
「君達はレスキューメイトだ。この空坂のヒーローとして、求められる仕事をこなしてくれた事をねぎらおうと思って来てもらっただけだよ。半年ぶりにまともに動いてくれたのだしね。ペナルティが欲しいのなら、与えてもいいけど?」
こう言われ、住良木以外の四人が激しく首を横に振った。住良木だけは普段の調子を取り戻し、つまらなそうにふう、と鼻でため息をついていた。
「校長」
「何だね?」
「確かに私達は、彼女のおかげで再びレスキューメイトとして活動する事ができました。もしや、最初からこれが目的で彼女を部長に勧めたのですか?」
「それは君達の解釈次第さ。本当に事情があって厄介払いをしたのかも知れないよ?」
心外そうな纏の視線を受け流し、校長は愉快そうにふふふ、と笑った。
「ともあれ、そこの相原纏君こそが君達四人を引っ張ったのは事実だ。レスキューメイトも利他部も、当分はこの五人で頑張ってもらうよ」
これに異を唱える者は、誰もいなかった。纏以外の全員が背筋を伸ばし、校長に軽く頭を下げた。
「相原君」
校長に呼ばれた纏が表情をこわばらせる。そんな彼女に、校長は微笑みを浮かべた。
「君には本当に感謝しきれない。よくやってくれたね」
纏は面映ゆくなって、返答に困った。
「ただ、次からは気を付けてくれたまえ。我が校の生徒が怪我をするのは、私としても身に詰まされるからね」
纏はこれに背筋を伸ばし「はい」と答えようとした。しかしすぐに火傷が痛み、彼女は小さく声を上げて痛む背中をさすった。そんな彼女に、校長と利他部の四人は微笑ましいものを見る目を向けていた。
「これからも彼等を頼むよ、利他部部長」
ロッカーにシールを貼ると、纏は部室の中央にある椅子の一つに腰かけた。明るく、ひしめき合うようにものが配置されているその部室に、彼女は一人でいた。他の上級生四人は、すでに帰っている。
纏の携帯が震え、彼女は電話の相手を確認した。母と分かり、すぐに通話に出る。久しぶりの電話だ。
「お母さん、無事だった?」
『モチのロンよ。何度ピンチになったって、なんだかんだで無事なのがお母さんだかんね』
久しぶりに聞く陽気な声に、纏の頬は緩んだ。
「流石だね」
『流石でしょ』
勝ち誇るような声に、纏は申し訳なさそうに自分の体について言った。
「私なんて背中火傷しちゃったよ」
『マジで?大丈夫?』
「今はちょっと背中が動かせないけど、すぐに治ると思う。お医者さんもそんなに大した事ないって言ってた」
『あー、結構大事みたいねー……。ごめんね、傍にいれなくて』
途端にしおらしくなった母の声に、纏は慌てて明るい声で応えた。
「あ、気にしないで。こっちもごめんね、お母さんに心配かけちゃって」
『大丈夫なの?近くに頼れる人はいる?』
珍しく心配げな母の声を聞きながら、纏は我知らず笑みを浮かべた。
「だーいじょうぶ。頼れる人はいっぱい出来たよ。それに……」
言いながら、纏は並び立つロッカーに目を向けた。たくさんの掃除道具と、レスキューメイトの証とが収められたロッカーだ。
「あたしもこれから、いっぱい頑張るつもりだしね」
昨日まで名無しだった一番右のロッカーの扉には、『十代目部長:相原』と書かれたシールが貼られていた。
それからの十代目レスキューメイトの活躍は、もう少し後の物語だ。待ち受ける数々の事件や災害に立ち向かう彼等の姿は、空坂でしか見られない。
もしも空坂の平和が脅かされたならば、誰に見られていなくとも、誰に認められなくとも彼等は奮闘し、尽力するだろう。なぜなら彼等はレスキューメイト、空坂高校の利他的活動部だからである。
まとまれレスキューメイト コモン @komodoootoka
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