7.レスキューメイト

 纏は薄目を開き、炎の中を見据えた。顔を守ろうという警戒心から身を折り、頭上を警戒しながらも先へと進む。持ってきた消火器を脇に抱えて片手でノズルの先を持ち、もう片方の手ではハンカチを持って自分の口元を押さえていた。呼吸がし辛いが、煙や一酸化炭素を警戒せねば自分の命が危ない。

 八方を囲む炎のどれが突然勢いを増して自分を焼きにくるかも分からず、纏の神経は尖る一方だった。炎の這いまわる廊下を歩きながら、纏は大声で呼びかける。

「誰かいませんかー!助けに来ましたー!」

 言った直後再びハンカチで口を押え、耳を澄ませる。炎が静かに建材を食むパチパチという音や、炎によって風通しが変わり、そのために炎が勢いを増すボウッ、という音だけが熱気の中に響いた。取り残されたという子供の声は聞こえない。炎に照らされているとはいえ夜中、しかも炎から昇る黒煙が漂い広がっているせいで視界は決して良くなく、纏は更に焦りを募らせた。

「答えてくださーい!どこですかー!」

 纏は更に声を張り上げた。声が返ってくる事を祈り、静かに待つ。やがて彼女の耳は、炎でも風でもない音を聞きつけた。

「ここです、たすけて!」

 か細い声が、廊下に並ぶ扉の一つから響いたのだ。子供の声だと分かり、纏はその扉の元へ駆け寄った。子供の咳き込む様子が聞き取れ、纏は更に危機感を募らせた。扉の前には、上の階から落ちてきたと思わしき天井の破片やコンクリートの破片が詰まれており、開閉どころか近づくこともできない。

 纏は咄嗟に、扉のすぐ隣にある小さな窓に目を向けた。換気用の、トイレの窓だ。扉の前に斜めに横たわるコンクリート柱に足を乗せれば、すぐにでもくぐれそうである。

「待ってて!すぐ行くから!」

 纏は扉の向こうに呼びかけ、コンクリート柱に足を乗せた。そして脇に抱えた消火器を、両手で持ち上げ振りかぶる。重く硬い消火器の底が、窓ガラスを粉々に砕いた。

 纏は消火器を放り出し、窓に開けた穴に手を入れて鍵を外す。窓を引き開け、纏は頭と肩とをねじ込むようにしてトイレへと潜り込んだ。腰まで入れ両足を降ろすと、トイレの扉はすでに開いていたため彼女はすぐにそこを出た。トイレの隣は部屋の出入り口だったため、纏はすぐに取り残された子供と会う事ができた。五、六歳程の男の子で、彼女を見ると咳き込みながらも弾けるような勢いで駆け寄ってきた。

「たすけて!」

「うん、もう大丈夫!一緒に出よう!」

 纏は鍵を開き、扉を引き開けた。早く立ち去ろうと子供を抱え、勢いよく瓦礫に足を乗せる。

 直後、轟音と熱風が纏の背を叩き、彼女の体が宙に浮いた。


  マンションの六階の窓が勢いよく火を吹き、轟音が大気を震わせた。黒煙の塊がマンションの窓から吐き出され、炎の音と光とがますます辺りの混迷を招いた。辺りに響くサイレンの音と野次馬の賑わい、警官の怒鳴り声とがますます大きくなる。

「だから近寄るなっつってんだろ!危ねーんだよ!」

 腹に据えかねた警官が声を張り上げるが、事態の好転を招かなかった。観衆の怒りを買い、更にやかましくなる。観衆に退く気はなく、押しのけるのに更に労力がかかる羽目になる。

「ええい、消防はまだか!」

 警官の声はもはや泣き言を言うも同然だった。救いを求めるようにふと遠くを見、そこに見えたものに彼の顔が明るくなる。

 独特の形をしたヘルメットと顔を隠す面体、そしてオレンジ色のスーツ。それが三人。横に並んで歩くその姿は、今の警官にとってはどんな救援より頼もしかった。

「レスキューメイト!」

 警官の歓声に、多くの観衆が後ろを振り返った。三人のうち、真ん中に立つ03のロゴをメットにつけた者が顎の下に親指を当てた。

「只今より現場に突入します。道を開けてください」

 変声機とスピーカー越しの声が面体から発され、観衆に向けられる。その横で、04のロゴを持つ者が、03と同じく顎の下に親指を当てて警官に声をかけた。

「あと少しで消防も来るろうき、もうちょい粘っちょっきや」

 彼がそう言うと、05が手にしたアタッシュケースを開き、中から銃に似たものを取り出した。それを見て、他の二人も同じものを取り出す。銃口にあたる部分には、三本の切っ先を持つ釣り針を思わせるものがあった。

三人は閉じたアタッシュケースを背後に回し、背中に固定した。そして同時に銃口の先をマンションへと向けた。

「フックシューター!」

 03が宣言し、三つの引き金が同時に引かれた。三つのフックが同時に射出され、ワイヤーがアーチを描いてマンションへと伸びていく。ワイヤーの先端はマンションの四階のベランダに到達し、フックの先を金属製の手すりにひっかけた。三人のレスキューメイトが銃を引くと、ワイヤーは緊張し直線状になって強い手ごたえを彼等に与えた。

「よし、突入!」

 03が言うと同時に、三人がそれぞれ銃の撃鉄に当たる部分を叩いた。銃の形をしたツールに内蔵されたウインチがワイヤーを巻き上げ始め、それに引っ張られるようにして三人は地を蹴った。三人の体はみるみる高度を増し、観衆や警官の頭上を跳び越え、振り子のようにマンションへと降られていく。やがて三人はマンションの壁面に着地し、フックに引っ張られるまま壁面の上を走り始めた。

「二人とも、遅れられんよ!」

「せかすな!お前ほど紐はうまく扱えねーんだよ!」

「全くお前はだらしないにゃあ!」

「テメーは俺より遅れてんだろ!」

「急ぐち言うたろうがね!」

 大声で言い合いながら彼等は上へと登り詰めていく。言い合いとは裏腹に、彼等の足取りに危なげはない。見上げる人々の前で、三人はプロのロッククライマーのようにするするとマンションを登り切ると、ベランダを乗り越えて向こう側へと消えて行った。

「頼むぞ、レスキューメイト!今度こそ、カッコいいトコ見せてくれよ!」

 警官はあらん限りの声を上げてそう言った。


 渋滞に囚われている消防車は、遅々として進まぬ現状になおも苛立ちを募らせた。問題の渋滞の先頭は大通りの交差点にあり、火事の見える場所で数台の車が停まっていた。運転席で笑いながらカメラを向けている者は、一人や二人ではない。消防車がいくらサイレンを鳴らそうが警告しようが、数キロ先にある渋滞の先頭には他人事としか聞かれないのだ。

「どいつもこいつも……」

 現代社会の有様に嘆きながら消防士がハンドルに額を乗せてうな垂れる。今も助手席の消防士が道を譲るようにスピーカーで呼びかけているが、彼の声も次第に涸れてきていた。

「消防車が通ります、速やかに道を……、お?」

 何度目かの決まり文句が途中で途切れた。何事かと、運転席の消防士が顔を上げる。すぐに彼も事態を理解した。歩道を走り、こちらに近づいてくる人影を見て、二人の表情は明るくなった。

 消防士によく似た姿をしているが、顔を隠している等違いは多い。メットの上部には大きく02と番号が刻まれていた。

「レスキューメイト!しかもセカンド!」

「という事は……!」

 嬉々とする彼等の前を、そのレスキューメイトが通り過ぎた。重いエンジン音が道路の向こうから上がったのも、その時だった。巨大な車体が道路の角から現れ、各部についたライトが辺りを明るく照らす。

「出たぞ、ビッグブローだ!」

 消防士達が黄色い声を上げた。

 レスキューメイトの02は走ってくるそれに近づき、ガードレールを踏み台にして跳び乗った。見事車体に張り付くと、その姿は車体の中へ消えていった。

 巨大な車体はなおも走り続け、勢いを止めずに渋滞の後ろに付こうと迫る。ますます速度を上げる巨大な車体に、変化が起こった。

 車体の上部が大きく割れる。左右に別れた車体の一部がぐるんと回り、後部に向いていた末端部分に生えた手が道路を叩いた。形を変えた巨大な車体が宙を浮き、並ぶ自動車の上を飛ぶ。

 空中で、腕を生やした車体の形はさらに変わった。車体の後部が半回転し、折りたたまれていた足が伸びる。首なしの人型となった車体は足から前に飛ぶ恰好で消防車の上を飛び越え、上体を曲げて姿勢を変えた。そして、背中側に傾けられた突起部が肩と肩の間にせり上がり、頭の形を成す。顔に当たる部分には大きな窓ガラスがはめられており、そこからは先ほど車両に乗り込んだレスキューメイトの姿を見る事が出来た。

 これこそが消防士達がビッグブローと呼ぶ、レスキューメイトの巨大なアドバンスド・クラフトだ。挙動一つとっても求められる操作が多く、そのため02、つまり住良木にしか扱えない代物である。

 人型に変わった車両が消防車の前で、大きく足を開いて着地する。体型こそ歪だが、膝を曲げ、倒れないように両腕を軽く広げて上体を傾けるその動きは人間同然だ。

 ビッグブローは顔を上げ、前へと走り出した。左右に大きく張り出した肩を揺らし、股下に車の列を通した状態で大股で渋滞の先へと向かっていく。足の降ろされた歩道沿いと中央分離帯とで重い地響きが上がり、列に並んだ自動車が何度も左右に揺れた。

 交差点にたどり着いたビッグブローは足を止め、操縦席のある頭部を左右に巡らせる。渋滞の先に停まった高級車を視認するとそこへ向かい、両手をその車に伸ばした。そして巨体に見合った力を見せるように、その車体を難なく持ち上げてみせた。高級車から若いカップルの悲鳴が上がるが、ビッグブローは手を止めず、持った車を手近な建物の屋上に乗せた。この光景を車窓から見ていた人々が息を呑む。ビッグブローに載った02が彼等を見下ろし、顎の裏に親指を当て、顔を隠している面盾に仕込んだスピーカーでこう言った。

『見世物になりたくなければ早く去れ、消火の邪魔だ』

 当たり前の事をわざわざ言わされているような、平坦で気だるげな声が辺りに響く。抑揚のない声色が返って発言の真実味を聞く者に与え、誰彼かまわず同じことをしてくるであろうという危機感を聞く者全員に抱かせた。ビッグブローの足元に停まっていた車が、逃げるように次々と走行を始める。渋滞が徐々に解消され、交差点に流れが生まれた。消防車の前に並ぶ車の列が進みだすのを見て、消防士達の顔が明るくなる。

 ビッグブローは消防車の方を振り返り、彼等を招くように片手を大きく振ると道路の先へと突っ走っていった。それを見送り、ハンドルを持った消防士は助手席の消防士からスピーカーを借り、遠ざかるビッグブローに声を投げかけた。

「レスキューメイト、協力に感謝する」

 それだけ言うと、彼はスピーカーを返しアクセルを踏み込んだ。

 余談だが、住良木がビッグブローで持ち上げてビルの上に置き去りにした若いカップルこそが件の連続放火魔であった事が、警察による救出作業中に明らかになる。前回の火事で住良木は彼等に見覚えがあり、だからこそビッグブローで逃げ場のない場所へと置き去りにしたのである。


「う……?」

 纏は目を覚ました途端、頭の芯から響く重い痛みに眩暈を覚えた。視界は靄がかかったようで、見えるもの全てがぼんやりしている。それでも地面の近いのに気付き、自分が倒れているのだと分かった。コンクリートの固い感触が頬や腿に伝わり、手足を動かそうとするが、体に力が入らない。

 彼女に倒れた覚えはない。思い出そうとして、彼女は自分の背後に起こった轟音を思い出した。熱と風とによる思いがけない浮遊感と、遅れてやってきた背中への衝撃。そこでようやく、彼女は爆風で吹っ飛ばされたのだと分かった。

 未だ意識のはっきりしない頭で、バックドラフトという単語を思い出す。火事の場において酸素の足りなくなった場所へ新たな空気が流れ込んだ時に起こる、急激な発火現象の事だ。思い返せば子供のいた部屋の炎が部屋の外よりも大人しく、かつ部屋を出ようとした時に大きく扉を開いたのである。起こって当然だった現象に、纏は我が事ながら自分の迂闊さに呆れ果てた。道理で全身が痛み、肩甲骨の辺りなどは骨の芯から熱くてたまらない訳だ。

 耳が気圧でふさがっているせいか、うまく音を拾えない。かろうじて自分を呼ぶ、甲高い子供の声がしているのに気付いた。

「おねえちゃん、おねえちゃん!」

 耳元で喚くように必死で言うその声は頭の芯に響き、眩暈のひどくなりそうなものだった。吐き気すらこみ上げてくるが、纏はこれを堪え、両肘を少しずつ寄せるようにしながらどうにか胸から先を持ち上げた。頭を揺らさないようにゆっくりと首を回し、子供を見る。

「……怪我、ない?」

 そう尋ねて、纏は空中で咄嗟に子供をきつく抱えたのを思い出した。ぼけた目でも子供に外傷がなさそうだと分かる。子供は纏の顔を見て、涙目で黙ってうんと頷いた。

「そう、良かった……」

 纏は安堵の息をついたが、悠長にもしていられない。依然、二人は炎に囲まれているのだ。しかし逃げようにも、骨まで沁みるように全身に残る痛みのせいで体に力が入らない。肘で身を起こすのが精いっぱいで、足に至ってはつま先がわずかに床をかくばかりだ。何より、彼女はこれ以上意識を保てなかった。

「……ごめん、お姉ちゃんもう無理」

 纏の腕から力が抜け、両肘が床を滑る。それきり、彼女は気を失った。


 ベランダに面しているすりガラスの向こう側は薄暗く、ガラス自体の光の照り返しの方が明るいくらいだ。それでも床や天井を這う炎の様子や、鍵がかかっている事がかろうじて確認できる。三人のレスキューメイトがベランダに降り立つと、すぐに04、つまり御深山が顎の裏にある別のボタンを押した。彼の視界にウィンドウが現れ、模式図となったマンションの構図が3Dで表示される。ハーネスに仕込まれた発信機が信号を拾い、三つのアイコンが3Dモデルのマンションの四階に表示される。それぞれ[03][04][05]と表示され、遅れて、それ等とは別に[01]のアイコンが現れた。それはマンションの六階、ちょうどその階の中心に位置する場所にあった。

「おった、部長は六階じゃ!」

「分かった、窓を破る!」

「それはせられん。バックドラフト!」

 03の清原に言われて、05の衙門は振りかぶった拳をとどめた。

「ほんだら、俺の出番やにゃ」

 04が腰から提げていた自前の道具箱を開き、中からガムテープを取り出した。道具箱とそれを腰に巻くベルトは、彼しか持っていない。05はガムテープを見て、04がやろうとしている事を察した。

「手癖の悪りぃ奴」

「ほっちょき」

 言いながら04はガムテープを伸ばしてはちぎり、ガラス越しに見える鍵を隠すように何枚もガムテープを張り付け始めた。それを完全に鍵が見えなくなるまで繰り返すと、彼は05を見て無言で「やれ」と促した。05は不服そうに低く唸ったが、すぐにグローブをはめた拳でガムテープの上から窓を殴りつけ、ガラスをへこませた。はり破りと呼ばれる、空き巣の侵入手口の一つである。

 04は砕けたガラス片を張り付けたままのガムテープをほんの少し剥がし、片手を入れて窓の鍵を外す。三人はガチン、と音が鳴ったのを確認すると、やはり窓を少しだけこじ開け、03から番号順にすばやく室内へと入っていった。最後に入った05が素早く窓を閉める。肝の冷える突入だったが、ほんの一瞬だけ室内の炎が大きくなる程度の変化にとどめる事ができた。

 室内に入った三人は、炎に挟まれた道を進み部屋の外へと向かった。面体の裏に設けられたマスクは防煙・防毒機能があり、全身を包むスーツには耐火性がある。三人は扉の前で揺蕩う炎を踏み越え、マンションの奥へと踏み込んでいった。

 03が目の前で積み上がった瓦礫を見て視線を上げ、天井に空いた穴に気付く。五階はおろか、六階の天井までもそこから見る事ができた。炎の熱によって建材がもろくなったのに加え、少し前に六階で起こったバックドラフトの衝撃でこの近辺が崩壊したのだ。しかも悪い事に、上の階に上がる為の階段は別の瓦礫で埋もれ、完全にふさがれていた。エレベーターが開く訳もない。

「この真上に部長がおる!一歩も動いちょらん!」

 04の言葉に、03は焦燥を募らせた。

「あいちゃん……!」

 03はベルトの上から腰に巻いたものをほどき、右手の上で束ねた。それは長いワイヤーで、かつて03、清原が纏に向かって飛んできた工事現場の看板を叩き落とした時に使ったものだ。

 彼女は慣れた手つきでワイヤーの先端に、フックシューターの切っ先と似た鉤爪のアタッチメントを取り付けた。そしてワイヤーを片手で振り回しながら瓦礫の山を駆け登る。そうして十分に遠心力をつけてやると、彼女は穴の向こうめがけて一気に上へとフックを投げた。フックは五階を抜け、六階の穴まで抜けると手近な扉のノブの周囲を回り、ワイヤーを絡めた。03がワイヤーを強く引き、絡み具合を確かめる。ワイヤーはぴんと張り、びくともしなかった。

「よし、登ろうわい!」

 03は二人の返事を聞かず、ワイヤーを手繰り始めた。彼女に続こうと04と05が瓦礫に足を乗せるが、その時彼等を囲む炎が一際大きくなった。

「っとと、この辺も消火した方がええがやないか?」

「同感だ。酸素が足りなくなっちまう」

 彼等の面盾のマスク部からは背中側に設けられた小型の酸素ボンベによって彼等に酸素が供給されているのだが、その容量は決して多くない。なぜならその酸素はあくまで迅速な行動が求められる彼等個人のためのものであり、炎の中で要救助者へ供給する用途は想定されていないからだ。救助活動が長引けば、要救助者はもちろん、助けに入った彼等にも危険が及ぶ。

「衙門、背中の貸せや」

「分かってる」

 05は04に背中を向け、そこにマウントしたアタッシュケースを指した。

 04、つまり御深山は他の誰よりも多くのアドバンスド・クラフトの扱いに長けていた。05の持参したケースも、04のためのものである。04はケースを開き、中から目的の道具を取り出す。

 それは消火器の赤いボンベを思わせるものだったが、各部にはそれが細かい部品から成る事を示すようにいくつも分割線が走っており、側面からは取っ手と、拳銃のグリップを思わせるものが生えていた。04が取っ手とグリップとを握って小脇に抱え、力を込めると、ボンベのようなもののシリンダー部が伸び、表面にくびれが出来る。同時に、ボンベの先端部から管上のものが伸びた。こうなるとその形状はもはやボンベではなく、銃火器である。

 04は伸びて現れたシリンダー部にある、内容物の残量を確認すると、炎に射出口の先を向けた。

「ショットウォッシャー!」

 04が引き金を引き、射出口から白いものが吹き出した。多目的噴射機器ともいえるそのアドバンスド・クラフトから圧縮されたガスが噴き出す音が辺りに響き、ガスによって噴き出された消火剤が炎を押し出していく。炎が次第に勢いを失って消えていくのを見ながら、04は周囲から炎を駆逐すべく更に消火を続けた。そうしながら、彼は背を向けたまま05に言う。

「部長を頼む」

「分かってる。お前もしっかりな」

 04の消火活動を見ながら、05が自分の背負ったケースの蓋を閉じた。背中が軽くなったのを確かめると、彼は03を追って再び瓦礫の山を駆け上がった。03の残したワイヤーを掴み、するするとそれを登っていく。

 六階の穴にたどり着くと、彼はすぐに03の姿を見つける事ができた。レスキューメイトのスーツが視認性の高い色をしているおかげで、彼は彼女が膝をついて何かを見下ろしているのに気付けた。背中に背負ったケースを降ろし、すぐ隣に座っている誰かに携帯用の酸素マスクを当てている。相手が子供なのだと彼にはすぐに分かったが、03がその場を動けずにいる理由が他にあるとすぐに察した。

「おい、どうした!?部長か!?」

「ほうよ、来て!怪我しとる!」

 05は急いで穴から這い上がり、彼女の元へ駆け寄った。床に転がる瓦礫を乗り越えると、彼はようやく03の隣に座る子供と、二人の前で倒れている纏の姿を見る事が出来た。

 子供は緊張状態が続いていたせいか疲労の色が顔に現れていた。酸素マスクのおかげか呼吸は安定しているが、緊張の糸が切れたのか疲れきった末の眠気でうとうとしている。その子が声をからしながら自分を呼んでいたのを知っている03は彼を労わるように背中を撫でてやっていた。眠るのも時間の問題だろう。05も、子供にけがはないと分かり安堵した。

一方、纏の状態は深刻だった。彼女の姿を見て、05は息を呑む。

纏の背中や腿の裏には大きな火傷ができており、火傷を囲むように開いた服の穴の縁は焼け焦げてめくれ上がっていた。05は離れた位置にある扉が開いているのを目にとめ、その入口周辺に一際濃い焦げ跡ができているのを見て成り行きを理解する。

「バックドラフトかよ!」

 まさに自分達が警戒していた事態がここで起こっていたと分かり、彼は歯噛みした。入口に詰まれた瓦礫が無ければ、纏はもっと悲惨な状態になっていただろう。

「おい、部長!しっかりしろ!」

「あいちゃん、起きや!ねえ!起きて!」

 二人は倒れた纏に必死に呼びかける。纏の閉じた目のまつ毛がわずかに震え、う、と彼女の喉から音が漏れた。

「良かった、生きてる!」

「早う出んともっと危険やがね、担いでいって!」

「おう!」

 言いながら、05は背負ったケースを背中から外して放り出した。そして纏の両手を掴み、彼女を引きずるようにして自分の背中に乗せた。女である纏を背負うのには抵抗があったが、鎧のように固くなったスーツのおかげで彼女の体を意識する事が無かったのは彼にとっては幸いだった。

「軽いな、くそっ!」

 05は纏を背負い直し、悪態をついた。忌々しげな彼の態度に、子供の手を引く03は怪訝に思う。

「何で軽いと嫌なんよ?」

「こうも簡単に踏み出せたのかって思っちまうんだよ!あの時の俺が馬鹿みたいでよぉ!ったく、功夫が足りねぇ!」

 05は腹立たしげに言って、03が垂らしたワイヤーを掴んで穴を降り始めた。人を一人背負いながらも軽やかに動く様は、彼の日頃の訓練の賜物と言ってもいい。

03は彼を見送ると、ぽつりと呟いた。

「……私も、そう思わい」

 これは、他ならぬ彼女自身への言葉でもあった。彼女も子供を抱きかかえると、自分もまたワイヤーを掴んで降りていった。

 危なげなく四階の瓦礫の山に降り立った二人は、四階で燃え広がる炎の勢いが弱まっているのに気付いた。04が一人で黙々とショットウォッシャーで消火し続けていたのである。

「御深山、待たせた!」

「待っちょったぞ!もう残りがない!」

 彼の言う通りショットウォッシャーの消火ガスの残存量は残り少なく、それがガスの噴射音にも如実に表れていた。ガスに追いやられていた炎も、次第に勢いを取り戻して04達との距離を詰め始めていた。これ以上の長居は危険と皆が分かる。

「住良木と連絡は取れるん?」

「ちょっと待っちょれ」

 04は片手を取っ手から離し、手の甲で顎の下のスイッチを押した。

「住良木、どこなが!?」

『今そちらへ向かっている。十五秒後に四階でランデブーだ』

 この場にいない02の声が、ヘルメットをかぶった三人の耳に響く。彼等は同時に02の目論見を察し、「了解」と返した。

「衙門、お前が先じゃ!」

「分かってる!」

 言いながら、彼は纏を背負いなおした。それを見て、04がショットウォッシャーを持つ手を降ろす。

「俺が背負おうわ」

「頼む」

 05は礼を言い、背を向ける04からアタッシュケースを外した。その後その背に纏を預ける。

『あと十秒』

 02の声に舌打ちし、身軽になった05は一気に廊下を走った。それを03と、アタッシュケースを片手で拾った04が追う。向かう先は窓ガラスの大きく張られた突き当りの壁だ。通路を挟む壁は炎に這われているが、道を阻むものはない。

 05は全力で走り、十分に勢いが付いたところで地を蹴る。身を折り足を畳み、視線を窓ガラスへと向ける。肺腑の空気を喉から一気に抜く鋭い音が辺りに響く。

「ィィイイイッ」

 宙を飛ぶ05の体が窓へと迫る。

『五、四、三……』

 02が淡々と時間を読み上げる。これを聞き、03が子供を抱えた。纏を背負った04と同時に、05を追うように地を蹴る。全員で閉じたままの窓にぶつかろうとしているようだが、彼等の狙いは違う。

 05が狙った距離まで近づいたその時、彼の体は大きく前へ伸びた。

「ハイイィィイッ!」

 伸びた足が閉じた窓の縁、隣り合う引き違いの窓の重なった窓枠の中心に打ち込まれる。金属製のはずのそれは、彼の蹴りを喰らって揃って大きくしなり、二枚の窓はガンと大きな音を立てて窓枠から吹っ飛んだ。それだけ大きな力を加えられたからこその出来事であり、蹴りの勢いは更に彼自身を窓の外へと飛び出させた。

「カンフーバカがようやるわ」

 04が感心しながらも、半ば呆れたように呟く。その頃すでに彼等は全員、窓の外へと飛び出していた。

 開けた視界と、遠い地面とが彼等を出迎える。彼等の姿を目撃した火事の野次馬達が、悲鳴とも歓声ともつかない声を上げた。

『二、一……』

 空中で安定を失い、三人のレスキューメイトの自由落下がまさに始まろうとする。その彼等に、勢いよく迫るものがあった。彼等の下に滑り込んだものが、空中で彼等全員を掬い上げる。

「……ゼロ」

 ビッグブローが着地を決めたのは、02の声と同時だった。ずん、と巨体の降りる重い音がアスファルトの道路上に上がる。大きな両手の上には、座り込む三人のレスキューメイトと救助された子供、そして纏の姿があった。

 観衆や警官達はビッグブローの一連の動きを見ていた。煙を吹くマンションの前へ大股で走り、近づいた早々その巨体で大きく横へと跳んで、窓から落ちるレスキューメイト達を受け止めたのだ。手の平にいる彼等の姿を認めた時、人々は一気に沸き立った。

 遅れてやってきた消防車の一団が、サイレンを鳴らしながらマンションに近づく。02はビッグブローの操縦席からそれを見ると、顎の裏に手を当てた。

「救助完了しました。マンションは無人です、消火をお願いします」

 これを聞いた消防士の、ビッグブローが変形した時ハンドルを握っていた者がこれにスピーカーで答えた。

「了解した。君達の協力に感謝する」

 彼がそれだけ言うと、消防車が次々と停車し消防士達が次々と車を飛び出した。現場を囲っていた警官達がこれを見て俄然やる気になり、野次馬を押しのけていく。

 直に火事は鎮火されるだろう。火事の様子を見た02はそう思い、ビッグブローの手のひらに目を落とした。

「皆、無事か?」

「あいちゃんが背中を火傷しとるけん、早う病院に!」

 03が声を張る。そこへ救急車が一台、消防車を追うように現れてビッグブローの足元に停車した。02がビッグブローに片膝をつかせ、手の中にいる者達を救急車の後ろに降ろした。駆けつけた救急隊員達に清原が向き合う。

「この子に怪我はありません。念のため、検査をお願いします」

 03の言葉を聞き、子供を引き受ける救急隊員が驚く。顎の裏のスピーカーで声を変えていなかったからなのだが、03はそれに気付かなかった。酸素マスクを付けたまま眠る子供を渡すと、彼女は04が背負っている纏に目を向けた。

「それと、この子の治療を。背中と足にひどい火傷がありますし、全身を強く打ってるみたいなんです」

 03の説明を受け、04が背負っている纏を救急隊員達に向けた。纏の状態を見て理解した隊員達は、急いで彼女を04の背から降ろし担架に乗せた。うつ伏せにされた纏がうめき、ようやく目を開ける。これに気付いた03達が、彼女に駆け寄り顔を寄せた。

「あいちゃん、しっかりしぃ!」

 んん、と呻いた後、纏は弱々しく口を開いた。唇がわななくようにかすかに動き、か細い声を上げる。

「……キヨ、さん?」

 03が感嘆のため息を漏らし、彼女に答える。

「ほうよ、顔見せようか?」

「駄目、ですよ。バレちゃいます……」

 軽口を叩いているが、まだ全身に痛みが残っているらしく、纏はどうにか起きていられている、といった風であった。彼女の顔を覗く三人の心配は更に募った。

「ホンマに大丈夫かや?しっかりせえよ」

「無茶にも程があるぞ。体を労われ」

 三人は面盾で顔を隠しているが、どれが誰かは纏には分かった。声色や仕草からも、彼等が本気で自分を心配しているのを察する。だからこそ、言わねばならない事を言おうと纏は意識を保った。

「……ごめんなさい。ひどい事、言って、一人で、突っ走って……」

 この言葉は三人はおろか、ビッグブローから聞いていた02をも驚かせた。

「……ううん、謝らんでええよ。悪いのは私等やけん」

 03が首を振って纏に言う。

「むしろ感謝しているくらいだ」

 02の声を聞き、纏はビッグブローを見上げた。巨大ロボットなどというものが存在しているのに驚きはあったが、02の言葉の方が彼女は気になった。続く言葉は、レスキューメイト全員の声を代弁していた。

「我々はようやく半年前の出来事を振り切る事ができた。君のおかげだ、部……」

 そこまで言いかけて、02は人ごみに目を向けた。自分を見上げ耳を澄ます人の多さに気付き、少しの間を空ける。

「……親愛なる隣人よ。君を誇りに思う」

 夜の街に、沸き立つ声がこだました。それを聞きながら、纏は自分の体から力が抜け、眠りに落ちていくのが分かった。充足感に満ちた心地の良いその眠気に、彼女は静かに身を任せた。

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