3.御深山喜介

「チョロいにゃあ、この程度」

 自慢げに言って、御深山はロッカーを開けた。そのロッカーは、彼のものではない。汚れたジャージや湿布の箱、私物らしき金属バットやグローブ等が詰め込まれたそれは、空坂高校の体育教師のロッカーである。

 御深山は手にした針金をしまいながら、ロッカーの中を物色し始めた。

「えーと……っと、あったあった」

 御深山は目当てである自分のPSPを掴むと、それを上着のポケットにしまった。

「ったく、一ヶ月没収とか、その間に無くされるに決まっちゅうやろが」

 小声でこの場にいない教師に文句を言いながら、彼は音を立てないよう、静かにロッカーを閉めようとした。

「へーえ、そんな事が出来るんだ」

 御深山は身を竦ませた。先ほどまで、人の気配などなかったはずなのだ。空耳かと疑いながらも、わずかな風の流れを感じて窓のある方を見た。

 いた。ただし、それは教師ではない。

 窓の外から両腕で体を持ち上げるようにして彼を見ていたのは、彼には覚えのある顔だった。教師ではなかったため、御深山の緊張は若干抜けた。

「なんだ、三年の柿原さんかや」

「あれ、知ってんの?」

「知っちゅうも何も、俺アンタに声かけましたよ」

「ああ、前にナンパされたっけねー。タイプじゃないから断ったけど」

 さらりと悪びれもせずに言って、彼女はくひひと笑ってみせた。御深山は彼女の憎めない態度に顔をあいまいに歪めた。

「年下なのがいかんがやですかね?」

「いやー、普通にアウト。全然眼中に無し」

「ひっどいにゃあ」

 砕けたやり取りに、御深山は乾いた笑いを浮かべた。彼女は、なおも屈託なく笑っていた。

「それで先輩、この事は……」

「ん?ああ、言わない言わない。普段からやってたら話は別だけどねー」

「今回だけですっちゃ。こうもちょろいと思わんかったき、学校の防犯が心配になったところです」

 御深山の言葉に嘘はない。教員用の用具室に忍び込んだのは自分のものを取り返しに来ただけで、他人の物を盗む気はなかったのである。

「信じらんないなー」

 肝を冷やす御深山。その前で、そうだ、と彼女は思いついたように言った。

「そうだ、信じて欲しかったらさー、あたしの頼みを聞いてくれない?」

 御深山には断れなかった。

「何です?」

「ピッキングなんて出来るくらいだから器用なんでしょ?あたしのために働いて」

 いたずらっぽくそう言って、彼女は首を傾けてみた。


 空き缶を詰めたゴミ袋を校舎裏のゴミ捨て場に出すと、纏は物置へと入り階段を降りていった。暗い階段を降りきると、センサーが作動して地下の廊下に明かりが灯る。先にいるであろう清原と合流しようと早足で部室に入った纏は、すぐに来た事を後悔した。

 部室には御深山と、衙門しかいなかったのである。

 御深山は自分の机に山のように何かを積み上げてがちゃがちゃといじっており、衙門はシャツ一枚でトレーニングベンチに腰かけたまま、黙々と片手用のダンベルを両手で交互に上げ下げしていた。どちらも自分の活動に集中しており、話しかけられる空気ではなかった。

 纏はうへぇ、と言いかけてすぐに言葉を呑み込んだ。この二人だけがいて、面と向かって喧嘩していないだけでもはるかにマシというものである。

 纏は自分がくぐってきた扉のすぐ隣にあるロッカーを開くと、脱いだ軍手とトングとをしまった。扉を閉めると、纏には改めて二人の間にある沈黙が重く感じられた。黙って去るのもどうかと思え、彼女はまだ話しかけやすい御深山の方に声をかけた。

「御深山先輩、何してるんですか?」

 御深山は手を止め、纏の方を見た。

「何しゆうてお前、見て分からんかや?」

 言われて纏は、改めて御深山の机の上をまじまじと見た。

 タオルを敷かれた机の上に並ぶのはまっすぐ伸ばされた何本もの針金だ。御深山は一本の針金を持ち、その先端を布巾で拭いていた。細いドリルのついたルーターやペンチといった工具も並んでおり、纏には御深山が何をしているのかまるで分からなかった。

「分からんがやったら、あんまり見んでくれんかや?良い子には見せられんモンやき」

「あ、はい。分かりました」

 纏は大人しく下がり、御深山から目を逸らした。その目が偶然、衙門に向く。

 衙門は相変わらず黙々とダンベルを上下させていたが、彼の目は二人を見ていた。纏が衙門を見たのに気付くと、彼はふいと目を逸らした。纏には彼の動かし続けている両手が、心なしか先ほどより速くなってるように纏には思えた。

 纏は衙門に話しかけようかと思ったが、そうする事に抵抗を感じてもいた。衙門の頭髪の色と、常に苛立ちを称えた顔付きとが、他の三人よりも近寄りがたい雰囲気を作り上げていたからだ。

 しかし一方で、纏は彼が黙々とトレーニングにはげむ姿が意外に思えてもいた。彼の体つきも、普段から鍛え上げているのがシャツの上からでも見て取れる。表情も真剣そのもので、纏は彼が見た目ほど乱暴な人間ではないようにも感じられた。

「衙門先輩、なんで鍛えてるんですか?」

 纏が尋ねると、衙門は纏を睨んで両手を下げた。纏は彼の視線に狼狽したが、衙門の反応は静かなものだった。

「……この程度普通にやるだろ」

 それだけ答えると、彼はトレーニングを再開した。纏や御深山には目もくれず、先ほどよりも静かにゆっくりとダンベルを上下させる。纏は彼の反応にぽかんとした後、彼の言葉に答えてないのを思い出して返事をした。

「ダイエットならともかく、汗にまみれるほどはしません」

 纏の正直な答えに、衙門は「そうか」とだけ返した。彼の大人しい反応に、纏は調子が狂う。

「……衙門先輩って、思ってたよりストイックなんですね」

「お前見た目で判断してたろ」

 図星を突かれ、纏は言葉に詰まった。衙門が横目でちらりと彼女を見、にこりともせずに言う。

「……まぁ、当然だな。おかげで面倒も多い」

 その声は脅かすような荒いものでも、嘘をつくような軽快なものでもない。纏はどこか疲れたようにも聞こえるその声音に、彼の本音が表れているように思えた。だからこそ、纏は聞かずにいられなかった。

「だったら、何でそんな不良みたいな恰好を?」

「地毛だ。校則で髪は染めれねーだろ」

 衙門はそれから口を開こうとしなかった。纏は御深山の方を振り返ってみるも、彼もまた、自分の作業に集中していた。纏は二人の二年生を見比べ、どちらにも話しかける事ができなくなったのが分かると、大人しく部室を出た。長居しても気まずさが増すばかりで、迂闊な事を言って二人に喧嘩を促すような真似はしたくなかったのである。


 翌日の放課後、纏は正門までの道に並ぶ街路樹の、校舎側から見て右側の手前から七番目の木の陰の入口から利他部部室につながる廊下に降りた。帰宅部の者が帰ってしまった後なら人目につかず、わざわざ校舎を回り込んで物置に行くよりもこちらの方が近道なのだ。

 纏が部室に入ると同時に、部室に明かりが灯る。自分が一番乗りだと分かると、纏は中央の机を囲む椅子に鞄を置き、別の椅子に腰を下ろした。隣の席に座るねむ犬のぬいぐるみに目を向けると、それを持ち上げ自分の膝に乗せる。

やがて暇を持て余した纏は、ねむ犬に言葉をかけてみた。

「暇だねー」

 ねむ犬は答えない。当然と言えば当然なのだが、見ようによっては神妙に話を聞いているようにも見え、纏は何となく会話を続けてみた。

「お前は誰のものだったのー?」

 ぬいぐるみは眠たそうに目を閉じたまま、やはり何も答えない。

「そうだよねー、いつも寝てるもんねー」

 纏がねむ犬の頭を撫でてやると、ねむ犬は纏の手に押されて表情を変えた。頭がへこんだ分だけ中身の綿が顔の側に寄っただけなのだが、こうした些細な変化は動かす人間にとっては楽しいものである。ねむ犬の表情は迷惑そうだったが、文句ひとつ言わない。当然の事に纏は苦笑いするが、ふとある事を思い出し、途端に彼女の表情は歪んだ。試すように、一言呟く。

「……校長先生」

 すぐに部室にある大型モニタに光が灯った。

『何だい?』

「やっぱり聞いてた!」

 纏は顔をねむ犬の頭に突っ伏せた。

『いやー、可愛い独り言だねぇ』

 モニタの中の校長は机に顎をつき、顔に浮かぶ笑いを隠そうともしていなかった。その表情は、微笑ましいものを見るものにしては若干いやらしい。

「忘れてくださいよ、もーっ!もーっ!」

 纏は顔を上げられず、羞恥心から身をよじって悶えた。彼女が顔を揺らす度、ねむ犬もまた、抗議の意を示すように表情を何度も歪めていた。

『ははは、悪いね。私も悪趣味だったよ。君がぬいぐるみに話しかけるような子だというのは秘密にしよう』

 纏は文句を言おうとしたが、彼が纏の学費を肩代わりしてくれているのを思い出し反論を堪えた。ただ彼女の鬱憤はねむ犬に添えられた両手に表れ、その結果ねむ犬の顔は真横に無理やり引き伸ばされていた。

『ところで相原君、部活には慣れたかい?』

 月並みな質問だったが、話題が逸れた事でようやく纏は顔を上げた。恨みがましい目になりながらも、努めて明るく応じる。

「はい、おかげ様で。皆さんにはよくしてもらっています」

『本当に?一人くらい気に入らないのがいるんじゃないかい?』

「……」

「うん、今のは私が悪かった」

 纏の責めるような視線に、校長は気まずさを覚えて謝った。

「……悪いと思ってるなら、一つ教えてください」

『うん、何をだい?』

「去年ここにいた先輩の事です」

 纏は校長がこれについて知っていると思っていた。盗聴までしているのだから、知らない訳がないと。そしてその予想は的中した。

『……まだ言えないね』

 固くなった校長の表情を、纏はじっと見上げた。校長は何も言わなかったが、訪れた沈黙に耐えられなくなったのか再び口を開いた。

『これは彼等にとって非常にデリケートな問題なんだ。申し訳ないが、私からは言えないよ』

「まるで私が無関係みたいな言い方ですね」

 校長が言葉に詰まった。

「今のままじゃ私は、ずっとお飾りなんです。お母さんが言ってました。『長と名の付く肩書は風化が速い』って。校長先生が指名したんですから、部長らしい事させてください」

 言いたい事を言い終えると、纏は黙って校長の反応を待った。口にした言葉に、嘘はない。

 校長は呆気に取られたように纏を見ていたが、やがて感心したように呟いた。

『……正直、君を見くびってたよ』

 纏は彼の反応に手ごたえを感じ、固唾を呑んだ。彼女の真剣な表情に、校長の表情が緩む。

『分かったよ、教えよう。去年までの部長は……』

 纏は緊張の面持ちで、校長の次の言葉を待った。利他部の四人からは聞けなかった何かを、ついに聞く事が出来るのだ。纏は一言一句聞き漏らすまいと、耳を澄ませる。

 校長がそこまで言いかけた時、物置からの扉が開いた。校長がその音を聞いて口をつぐむ。纏もまた、後ろを振り返った。

「何じゃ部長、来ちょったんか。……ん、校長?」

 やってきた御深山はモニタの校長に気付くと、怪訝そうに首を傾げた。

「どうかしたがか?」

『いや、別に?ちょっとばかり、相原くんと秘密の話をしていただけさ』

「ほーう?それはぜひとも聞いてみたいもんやにゃあ」

「御深山先輩には教えません」

 纏はむくれ、御深山からそっぽを向いた。

「あー……。俺、また部長に何かしてもうたがか?」

「御深山先輩は悪くないけど、悪いんです」

 今の彼に負い目はないが、タイミングが悪かった。纏はもちろん校長もそれを理解していたが、当の御深山にはまるで意味が分からなかった。

「部長はどうもへそを曲げやすいにゃあ」

 誰のせいだと纏が振り向くと、御深山は彼女に片手を差し出していた。その手は空ではなく、キャラメルの箱が握られていた。

「……?何です、これ?」

「いらんが?」

 纏は御深山を見上げた。御深山はというと、彼女の疑うような視線に首を傾げていた。

「……俺からは菓子の一つももらえんがか?嫌われたもんじゃのう」

 纏はようやく、彼の意図に気付いた。驚き、思わず声が一段高くなる。

「くれるんですか?」

「他にどういうつもりがあるが……」

 御深山は彼には珍しく、しょげた顔になって纏を見下ろした。纏は彼の表情を見て、次第に自分が彼の善意を無碍にしたように思えてきた。

「す、すいません。てっきりイタズラか何かかと……」

「部長にはせんちゃ。心配せんでええき、食いや」

 部長には、と言われ、纏は彼が自分に気を使ってくれているのが分かった。キャラメルの箱の引き出しから覗く四角い包みに、纏の顔は緩む。

「ありがとうございます。じゃ、いただきますね」

「おう」

 纏は包みを一つつまみ取った。包みを開いて出てきた茶色いものを口に入れると、粘っこい甘みが舌の上で広がる。

「甘いです」

「ほうか」

 御深山もキャラメルを口に入れ、箱をポケットにしまった。二人の間に沈黙が落ちるが、それは互いに居心地の悪いものではなかった。

『あー……、うん』

 そこで二人は、モニタが付いたままなのに気付いた。二人が固い動きで振り返り、そこを見る。

『一応校内は昼時以外飲食禁止だよ。聞かないフリならずっとするけど、見ないフリは今回限りだからね』

 二人はキャラメルを舐めながら、黙ってこれに頷いた。

『部室の存在は私しか知らないからいいけど、以後気を付けるように』

 校長がそう言い残すと、モニタから校長の姿は消えた。画面越しの視線が無くなり、二人は改めて自分達しか部室にいないのに気付いた。

「……」

「……」

 互いに話す事が無く、二人とも黙ってキャラメルを舐める。次第に沈黙が重くなってきたのか、御深山がキャラメルを呑み込んで口を開いた。

「な、何か聞きたい事があるがやないか?知らん事があれば、何でも答えるき言うてみい」

 御深山に聞かれ、纏は首を傾げた後でキャラメルを呑み込んだ。

「う、うーんと、そうですね……。あ!」

 纏はかねてから疑問に思っていた事を思い出した。三年生二人から聞こうとして、一人からはおざなりな嘘を、もう一人からは話題を逸らされてはぐらかされた疑問だ。

「ロッカーの奥に、隠し部屋がありますよね?」

「お、おお。知っちょったがか」

 御深山が驚いたように目を丸くする。纏は彼の反応に手ごたえを感じ、彼に詰め寄った。

「あそこにあるヘルメットとか、あれ何なんです?」

「何って言われてもにゃあ……」

 御深山の歯切れは悪かった。答えに困っているのか、纏が本気で尋ねている事自体が疑問なのかは纏には分からなかった。どちらにせよ、纏の今知りたい事はそれではない。

「一体あれはいつ使うものなんですか?部活に関係あるものなら、きちんと知っておきたいんです。お飾りは嫌ですから」

 御深山の顔が強張った。纏をお飾りと呼んだのは、他でもない彼だからだ。

「……どうも俺は、部長にいらん事ぎり言うとる気がするちゃ」

「自業自得です」

 纏のシンプルな指摘に、御深山は苦笑いした。

「あれこそここが秘密にされとる理由っちゃ。十一年前にこの高校で起こった事は知っちょるか?」

 纏はこれに頷いた。

「はい。唐突に天才になった生徒が何人も出たって、ニュースでも流れてました」

「そうなんちゃ。原因はよう分からんけどな。んで、その天才連中が色んな道具を作って学校に残していったがよ。あのメットやら何やらもそうじゃな。部長はレスキューメイトって知っちゅうか?」

「名前だけなら。確か、十年前から町に出るんですよね」

「よう知っちゅうな」

「教えてもらいました」

 自転車の撤去をしていた老人の話を思い出して、纏は言った。

「なら話は早いにゃ。その天才連中は妙に行動的でな、作った道具を使って正義の味方の真似事まで始めたんちゃ。天才様の考える事はよう分からんき、理由は知らんけどな」

 纏は御深山の話を頷いて聞き、そこでふと疑問が湧いた。

「要するに、その人達がレスキューメイトなんですか?」

「昔はな。今は皆卒業して仕事についちょるやろう。もしそうやったら、俺等が楽になるがやけどな」

「……?何でですか?」

 纏がそう聞くと、御深山はまるで当たり前の事を聞かれたような顔になった。

「そんなん、今は俺等がやっとるきよ」

「……、はい?」

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