「キミノオトウサンガワルインダヨ」
圭は眠っている。
もう起きることはない。わかっている。覚悟もできている。
でも、圭が死んだとき、俺はどうするのだろう。
千秋のお父さん、大輔さんは延命治療を終わらせることも提案してくれた。
「春日君。君が君の人生を生きたって、誰も怒らないよ。圭ちゃんもだ」
わかってる。
圭のひどい褥瘡を見たことがある。ブラックホールのように思えた。
可哀想で仕方がなかった。大輔さんにお願いしてヘルパーさんが充実している病院に入れてもらった。少し住まいから遠くなったが、引っ越して近くに来た。
何度も圭と一緒に死にたいと思った。いや、今でも時々思う。
みんながいなければそうしていただろう。特に依存の激しい真央は自責の念に駆られてしまう可能性がある。みんなには普通に生きてほしいんだ。大切な人たちだ。
彼らとの関係を断つ。それが一番初めにしなければいけないことだった。
それを決意してからもう3年が経つ。
そろそろ俺のことを呆れてくるかと思っていたが、思いがけず陸がアシストしてくれた。そんなつもりでうちに住まわせたわけではなかったが、人のためになることはしておくものなんだなと思う。だけど今度は陸に依存され始めてるようで、彼女も早晩自立させなければいけない。
血だらけの父が横たわっている。
「キミノオトウサンガワルインダヨ」
圭を守るように母が倒れている。
「キミノオトウサンガカレヲヒハンシタカラワルインダ」
「助けて春にい!」
圭の胸に何度も突き刺さるナイフ。
「キミノオトウサンガ、キミノオトウサンガ、ワルインダ、ワルインダ」
目が覚めた。
陸が濡れタオルで顔を拭いてくれた。水も持ってきてくれた。
この悪夢も、もう何度見たかわからない。十や二十じゃ済まない。今でも数日に一度は見る。四年前は毎日見ていたくらいだ。心的外傷後ストレス障害などという言葉で決めつけられて、よくわからない薬を処方された。全て捨てた。
心配そうな陸。この子は本当に優しい子だ。この時だけはいつも抱きしめたくなる。甘えたくなる。でも、それはしてはいけない。
ゆっくりと呼吸をする。ヒューという音がする。咳が出て、苦しくなると陸が背中をさすってくれた。少しずつ落ち着いてくる。
「悪い。陸」
「大丈夫です!お水をどうぞ。喘息の薬も飲みますか?」
誰か、本当に良い人に陸を娶ってもらいたいなと思った。勇護と暉くらいしか思い浮かばなかったけれど、勇護には梨音がいて、暉は将棋の鬼だからだめかと苦笑してしまう。勇護の同僚なんか良いだろうけど、勇護に見る目がないからな。
「変わったこと、ないよね?」
「ありません。梨音さんはウィーンからザルツブルグに移動したみたいですけど」
アイツらが梨音に手を出すとは思えない。手を出すには大物すぎるし、そもそも元々俺や俺の友達に手を出す価値はないんだ。その価値は父にだけあったのだから。母や圭だってその場にいたから、というだけだろう。覚えているかどうかさえわからない。でも、もう俺は自分の大切な人間を傷つけさせる気はない。たとえそれがどんな違法な方法でも手段は選ばない。1%の確率だって残さない。
復讐をする。
犯人は捕まった。だが彼は本当の犯人ではない。覆面をしていて顔は見えなかったが、声は覚えていた。さんざん声が違うと警察に伝えたがとりあってくれなかった。その刑事がヘラヘラしていたのでグルになっていたのがわかった。今刑務所にいる彼は所詮人柱だ。本当の犯人も、その裏にいたやつもわかっている。彼の家族だという人間たちから振り込まれた慰謝料は全部賭けに使ってやった。汚い金でも簡単に増える。FXはともかく、賭け将棋などで手に入れている金もきれいだとは言えなかったが、金に困ったことはない。
単純に殺すことに意味はない。俺が殺人犯になっても、みんなが困るだけだ。
合法的に
「情報」という下地は整いつつあった。だがまだ決め手となる実行策がない。警察にこれを伝えても逆に捕まるのは間違いなくこちらだ。勇護はともかく、他の人間はほぼあちら側と見ておくべきだ。勇護にも大した力はない。選挙に出るヤツをどうする?落とすことは不可能ではないだろうが、一度や二度落ちたってやり直す力は十分あるし、大した痛手にもならないだろう。警察や検察がまともに取り合わない可能性を考えると、簡単なことではなかった。あとは集団の力しかない。全国民、とは言わなくとも、何万、何十万の人が訴え出てくれば、ヤツらやその上にいる人間の力でも助けられない状況ができるかもしれない。そうだ。誰もヤツらを助けられない状況を作るんだ。
どうするにせよ、何をするにしてもみんなを危険にさらすわけにはいかない。早く自分から遠ざける必要がある。遠ざけながら、可能な限り守るんだ。
昔何かの本で読んだことがある。「復讐になんて意味がない」と書いていた。それは筆者が勝手に考えたことだろう。復讐以外に生きていく糧がある人だからそう思えただけじゃないのか。少なくとも、復讐以外に何を人生の糧にすれば良いのか、俺にはわからない。
◇◆◇
珍しく千秋が怒っている。
長い付き合いでこんなに彼女が怒りを見せたことはあまり記憶にない。指折り数えることができる。
「まさか春くんがあんなやつだと思わなかった!!!」
「あんなやつってどんなやつだよ」
言いながらも、確かに意外な気がした。同時に心の中で17%だった希望が47%くらいまで上がった気がする。あと相手は大手事務所じゃぱにーずのギャル男どもぐらいだ。春日には勝てないかもしれないが、あんなヤ・サ・オたちには負ける気がしない。
俺のことはさておいて、本当に意外なのだ。俺たちは同志だ。ライバルであり、親友であり、友達であり、コンビだ。納得のできない春日の行動は初めてだ。
「トンビが油揚げだよ!漁夫の利だよ!」
<ちーちゃんが壊れた・・・>
ケーキバイキングに無理やり連れて来られた。何故に俺が支払うことになっているのか。目の前で皿を積み上げる半壊の幼馴染に質問する。
「なあ、本当なの?それ」
「本人がそう言ってたんだからそうでしょ!一緒に住んでるんだし!」
「うーん・・・」
春日が好きなのは梨音か真央、ときどき千秋だろうと思い込んでいた。晴れのち曇り、時々雨って感じだ。今は雷か。
「なーんか、釈然としねーんだよな。ん?どした、真央」
<しゃくぜん?>
「バカなんだから難しい言葉使ってカッコいいフリするのやめてってこと」
ぶんぶん、と首を振る真央。今日の千秋はあれだ。毒婦だ。
「納得できない」
<ちーちゃん、もういいってば>
「真央が良くても、梨音が良くても、私は許せない」
「うーん・・・といってもよ?真央も梨音もべつに付き合ってたわけじゃなかったよな?」
<うん。りっちゃんもたぶん違うと思うけど>
「んじゃあ、まあ違反ではな・・」
「うるさい黙れバカ」
「えーっと、酔ってますね。千秋さーん?」
アルコールなんて・・・ああ、ワイン飲んでたか。って瓶!?いつの間にそんなん頼んでんの!?しかもそれ高いやつっぽくね?そして中身半分くらいなくね?!
「違反じゃなかったらいいの?!そんなに寂しかったら真央だって梨音だっていたじゃない!!何度も何度も行ったわよ!」
「どうどう」
大声で叫ぶ千秋に対し、俺の言葉と同時に、真央が千秋に静かにするようにジェスチャーで促す。
「ただ、まあそりゃ仁義に反するよなあ」
「そうでしょう!そう思うのが普通よ!サイテー。サイアク。もう知らないあんなヤツ!」
「なあ、真央。伊豆に来なかったとき、春日だから仕方ねえって落ち着いて言ってたよな、千秋」
こくこく、と頷く真央を見て苦笑するしかなかった。
たぶん、千秋も春日が好きなんだろうな、と思った。
あれ待って?
俺、もしかして誰にも好かれてないの?いや違う!落ち着け、俺。考えを整理するんだ。
春日⇒新人類(他)、梨音⇒春日(か俺)、千秋⇒春日?、真央⇒春日100%、圭ちゃん⇒ブラコン春日ラブで100%混じりっ気なし!
<ねえ、この中で振られたの、私・・・だけだよね?>
落ち込んでいた俺と荒れていた千秋の前に差し出した真央のメッセージは誰の頭にも入らなかった。
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