守るんだ。
伊豆から帰って、ちーちゃんに春ちゃんの話を聞き、一緒に春ちゃんのところに行った。
チャイムを4回鳴らす。春ちゃんに決められた合図だ。何の意味があるかはよくわからないのだけれど、違う回数の時は出てさえくれない。4回でも、居留守を使われることは多いと思う。本当のところはわからない。
突然、扉が開く。上下スウェットの何ともだらしない恰好をしている。
「なに?」
「なに!じゃなくて、もうなんてだらしない恰好してるの!寝ぐせも直しなさい!」
ちーちゃんが急に早口で喋る。まさか。
「梨音の真似?」
「似てたかな?」と照れたような顔して笑う。ちーちゃんはこうやって時々りっちゃんの真似をする。普段は冷静で真面目で普通なのに、春ちゃんには不思議なことをする。
「おやすみ」
ガチャンとドアを閉めてしまった春ちゃん。私とちーちゃんは顔を見合わせる。
「ごめん!ごめんね!もうしないから!春くん!」
珍しく慌てたちーちゃんがドアを開けると、ガチャリ!とキーチェーンが音を鳴らす。警戒度が最大になってる。
「で、なんか用?」
「えっと、伊豆のお土産!それと元気かな、って心配で・・」
「いらない。元気。もういい?」
そのそっけない反応に、千秋ちゃんが少しムッとしたようだった。
「春くん。あのね?私のことはいいけど、真央はずっと心配して」
「べつに心配される筋合いはないでしょ」
ちーちゃんはあまり怒らない。勇くんのだらしない時と私たちの誰かが困っている時だけだ。特に、私が困っている時は怒ってくれる。
「じゃあ真央や梨音の気持ちを考えたことあるの!?」
「心配してくれ、なんて頼んでなんかいない。なんで俺がそんなこと考えなきゃなんないの?」
私の方を少し見た春ちゃんがそのままバタン!とドアを閉める。
4年前から少しずつ春ちゃんは変わってしまった。最近はずっと、こうだ。
帰りに喫茶店に寄った。マコくんが合流する。
「うわー!秋姉、真央姉、久しぶりだー!」
「梨音には内緒だからね?」
「俺も春兄にまさか女ができてしかもそれが姉貴でもなく、真央姉でもないなんて信じられないもん!!」
マコくんは基本、明るい。あの姉にしてこの弟あり、という気もするけれど、反対な気もする。りっちゃんは普段明るくて、作るとお淑やかになる。マコくんは普段から作って明るくて、本当は違うんじゃないのかな。
マコ君が春ちゃんを追跡し、私たちは春ちゃんの部屋の前で彼女さん(?)が来るのを待つことになった。マコ君の計画はよくわからないのだけれど、春ちゃんがでかけなかったらどうするつもりだったんだろう。夕方、春ちゃんは部屋を出ていった。
千秋ちゃんがドアに耳をあてて、音を聞いている。
(音がする。誰かいるよ!!)と小声で言うので、聞いてみたら本当に音がした。水の音?途中でかちゃり、かちゃりと違う音に変わった。すぐに音がしなくなった、と思ったらノックが反対側から聞こえた。
ドアが開いて、ちーちゃんより少しだけ小柄でとてもきれいな女の子が出てきた。
「今日は、春日さんは帰ってきませんけど」
その言葉もさっきから急に振り出していた雨も、どちらも冷たかった。
◇◆◇
イライラした。
こんな気持ちになることはあまりなかった。今の生活では、唯一彼女たちが訪ねてきたときだけだ。
春日さんの友達はよく訪ねてくる(というか他に訪ねてくる人はほとんどいない)から顔と名前が一致している。小柄で顔がかわいくて話さないのが冬野さん、眼鏡をかけていて黒髪が長いのが藤岡さん、あまり来ることはないがキレイでニキビ一つ見当たらないのが江夏さん、筋肉質で少し大柄な刈上げの男が村中さん、日焼けで肌が黒くていかにもサッカー部という感じなのが江夏さんの弟。
藤岡さんは、「真央や梨音の気持ちを考えたことあるの!?」と言っていた。
言ってやりたかった。「そう言うなら、春日さんの気持ちは考えたことがあるんですか」と。
彼女たちが帰った後、春日さんはいつも辛そうな顔をしているのを私は知っている。その時は部屋から出てくることを許されていない。4回チャイムが鳴ったら部屋に入っていてくれと言われている。
なぜ春日さんがこんなことしなければいけないのか私は知っている。それが正しいかどうかはわからない。でも、それを知らずに、知ろうともせずに理不尽な非難をする彼女たちにイライラしているのだと思う。
もちろん、嫉妬や不安も一緒くたに心に入り込んできて、イライラするだけでは済まされないのだが。
聞き耳を立てる彼女たちはバカだと思った。
どうして上にある防犯カメラに気づかないのだろうか。
風が強く、雨が降っていた。
濡れている二人。二人は春日さんの大切な人たち。だけど、春日さんの事情もあるし、私はこの二人に一言だけでも言ってやりたいし、でも話したくもない。どうして良いかわからない。きっと春日さんは私が接触することを嫌がっている。どうしたらいいの。
洗い物をしながら考えるのは癖なのかもしれない。
結局、私は春日さんに辛い思いをさせる二人を許せなかった。
二人の服を乾かしている間、私の服を二人に貸すことにした。
春日さんにもらった(借りた?)ものは、私にとって宝物だ。春日さんからもらったお金で買ったものもそうだ。寝間着だって、たった一本のシャーペンだって、大切な宝物で貸したくなどなかったけれど春日さんの服を貸すのはもっと嫌だったから仕方がない。
<あの>
冬野さんがノートに文字を書いて見せてきた。
「なんですか」
<春ちゃんは元気にしてますか?>
「さっき会ったじゃないですか」
「そうじゃなくて、普段ってことですよ」
藤岡さんがフォローをしてきた。
「元気です。あなたたちが来なければ」
黙る二人。藤岡さんが言葉を探している。
「あの、えーっと、神川さん?」
「なんですか」
「春くんの、お友達?その、彼女さん?ですか?」
・・・彼女。そんな良いものになれたら、どれだけ幸せかわからない。
ただ、私は春日さんにこれ以上辛い思いをさせたくない。たとえ、それが春日さんの大切な友達に嘘をつくことになったとしても。春日さんが帰ってきたら、謝ろう。春日さんにだけは正直に話をする。それだけは間違えない。
「そうです。だからもうここへは来ないでください。迷惑です」
目を丸くする冬野さん。藤岡さんの表情は心情がよくわからない。
<ごめんなさい。すぐに帰ります。服は洗って返します>
「結構です。二度と、うちに来ないでくれれば」
良いんだ。これで良いんだ。間違っていない。きっと。
守るんだ。私が春日さんを傷つける、全てのものから守るんだ。
それが私の責任だ。義務だ。たった一つ残された生きている意味だ。
次の朝、春日さんが帰ってきた。全てを正直に話し、嘘をついたことを謝った。
春日さんは少し笑っていた。その笑顔がどういう笑顔なのかわからなかった。
「服、買いに行こうか」
追い出されなかったことにホッとした。
もしかすると、いつか本当に春日さんと付き合える日が来るんじゃないかと希望を持ってしまった。春日さんの本当の気持ちを知っているのに。
私と春日さんは似ている。
一人で生きていかなければいけなくなったこと。家族がもう傍にいないこと。好きな人に好きだと言えないこと。
春日さんが指示をしなければ、必要のないものを買いに行くことはない。服にしろ、化粧品にしろ、必需品でないものはいらない。ましてや、アクセサリーや雑誌といった娯楽用品は私には必要ない。
一緒に服を買いに来たにも関わらず、春日さんは携帯ばかり見ている。
本当は一緒に選んでほしかった。どんな服だって、春日さんが決めてくれるだけで私にとって最高の服なのだ。たとえ100円ショップの靴下だって、春日さんが選んだのなら私にとっては魔法の靴下だ。
「あの!これ!・・・・似合いますか・・・」
「うん。かわいいね」
思い切って聞いても、春日さんはそれしか言ってくれない。どれを着てもそうだ。
私に興味がないのもあるだろうけれど、容姿や服にそれほど興味がないらしい。(マスターに聞いてみたら、私のことをかわいいと思ってくれているのだけは確認したことがある)
自分の服にも気を遣う様子はなかった。いつも同じような服を着ている。一緒に住んでから新しい服を買っているのを見たことがない。髪もそうだ。伸びたら切るをただ繰り返す。あまりにも伸びているのに美容室に行くのを面倒くさがっていたため、切りましょうか?と提案した。本当に切ることになって、ガタガタになってしまったが、ありがとう!と言って喜んでいたのがよくわからなかった。
これはどうですか?と言って派手なミニスカートを見せてみた。
「好きじゃないけど、陸が良いなら良いと思うよ」
派手な露出は好きじゃない、と私は頭の中のメモ帳にしっかりと刻み込んだ。
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