第22話 疲れを感じた時に思う
愚痴ですから?
最初に言っておきますよ?
「爺の愚痴です!!」
そんなもん読みたくないんだよ!という方、ブラバして下さい。
今日は精神的に疲れていて、でも書かないといられない愚痴なんで……。
最近「人生一生勉強」という言葉の意味を実感する。
誰が言ったか、そして本意は何なのかなど知らない。
でもそうなんだよなぁと感じたので、私にとっては感じたままの字面通りの意味でいい。
技術、思想で新しいモノが出てくる。特に思想では、それに対応できるようになるためには、自分の根っこにあるものと向き合わなければならない。
十代~三十代での生活において身についた考え方や感覚、周囲からの反応が基礎となって、根っことなって、その後の人生を生きていく。大概のことは対応できるし、殊更問題を感じないで済む。
だけど、ある日突然、「あれ?」と違和感と出会う。
その違和感は、自分達の世代が経験したことを経験していない人達との差異が理由であったり、やはり自分の基礎的な部分が時代に合わなくなっていて見直しが必要になったりする際に生じているように思う。
単なるジェネレーションギャップと一言で片付けてしまうと、簡単に「老害」認定される時代になった。
年寄りだから新しい考えに対応できてないと言われるのは仕方ない。考え方が古いと言われるのも受け入れよう。それで邪魔扱いされることも、そのうちあるんだろうとも思う。
だけど「害」とまで言われるのは嫌だから、観察し、比較し、見直す作業が日々生じる。
新たなモノを取り入れているだけじゃダメ。
自分の基礎と向き合わなきゃダメ。
そう実感する。
例えば、政治の話題。安全保障や政党への感覚で。
例えば、経済の話。インフレの怖さへの感覚で。
例えば、生活の過ごし方の話。時間の使い方や人との関わり方の感覚で。
例えば、創作活動での話。小説のテーマや会話文で使用する語彙で。
昔が良かった点もあれば、
一概に昔と今を比較して判断することはできない。
でも、自分が所属するコミュニティの中で立ち位置を確保して周囲と折り合っていかなければならない。
だから勉強しなければならない。
新しいことを覚え、自分の基礎と向き合って必要ならアップデートしなければならない。オッサンを越え、爺に片足突っ込むと、十代~三十代のように新たなことを取り入れていればいいわけじゃない。
年寄りにはなかなか大変な作業なんですよ。
物覚え悪くなってきてるし、柔軟に対応しづらくなってるしねぇ。
自分の基礎がつい顔を出して、無意識のうちに「古い対応」しちゃって周囲に引かれたり、笑われることもある。そのたびに本当に反省するけど、再びやらないと約束できないんだよなぁ。基礎強しですよ。
たまたまこうしてWEB投稿サイトで、若い方達と交流する機会があり、その中で、気づかされるいろんなことが勉強になる。とても有り難いことだと思う。
だから自分なりに可能な範囲で努力しているつもりでいる。
どこまでできるのかは判らない。
今はできているのだとしても、この先は判らない。
現時点での結論:
年は取りたくないものだなぁ。
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