第9話:人を彩る服。

 落ち着きを取り戻したので外出しよう。大丈夫だ、何回もやってれば慣れる。慣れるだろう、大丈夫。


「えぇと、『北区環状5号312番』だったかな。」


 環状7号辺りで自転車が欲しいと思った。脚が疲れるほどの距離ではないけれど、この石畳の通りは自転車で駆けてみたい憧憬だ。

 馬車がガタガタと行き交い、側路を人が往来する。大通りに面した商店は刈り入れんばかりに接客する。

 ゴムチューブすら見掛けないこの世界では、自転車など夢のまた夢である。作ったとして乗り回す場所がない。


 『5号』の標識を群集の上に見付けると、馬車の頃合いを見計らって対岸へ渡り、環状5号を北区側へ進んだ。

 環状5号は戦乙女の鞘(10)や冒険者ギルド(11)より賑やかだ。見る限り、物品を売る店が多数だろうか。日用品を揃えたいので後で寄ってみるか。


 さて、『312番』の店舗を探したいのだが、如何せん番地の順序を知らないのでどの辺りか見当がつかない。『北区環状5号』に該当する建物は、地図の縮尺から察して500戸以上はあるだろう。西寄りだったら遠いなぁ。


 きょろきょろと周囲を眺めながら歩いていると、建物に数字を見掛ける。表記はバラバラだが[023][025][031][039]と徐々に大きくなっている。これが番地だろうか。番号の抜けは路地の建物に当てられているなら合ってそうだ。


「……あら。」


 [320]を見付けてしまった。


「表通りじゃないのか。」


 路地というと悪いイメージが先んじる。スラム街とまでは行かずとも人気の無い暗闇は犯罪に適している。このあたりの脇道は街灯が点いていて人もいるから大丈夫だろうけど。

 少し戻って路地に入ると幾つか店があって、[319]を見付けた。進んでみれば[312]もあった。漸く目的地だ。




「あ、フールだ。」

「どうも、一日ぶりだね、シャル。」


 店内に入ったら、シャルは正面のカウンターに座っていた。


「ちゃんと登録できたの?」

「手がべたべたになったけど出来たよ。ほら。」

「おー。あ、ちょっと待ってて、椅子出すから。」


 シャルは奥にあった椅子を持ってカウンターから出てきた。


「ごめんね、ホントは家で喋れたらいいんだけど今店番してるから。」

「いいよ、お店の邪魔しに来たんじゃないから。」

「別にあんまり客来ないから大丈夫だよ。」


 カウンターを挟んで話していて営業妨害ではないだろうかと心配していたのだけど、のんびりした営業らしい。確かに店内に客はいない。


「お茶飲む?」

「……それ売り物じゃないの?」

「店主の兄さん曰く幾らでも飲んでいいらしいから遠慮なく飲もう。」


 瓶に入ったお茶が二つのカップに注がれる。二杯の損は小さくないと思うのだが、シャルの兄は経営者として大丈夫なのだろうか。


「して、フール。」

「……なに?」


 思いの外苦みの少ないお茶に口を付けているとシャルが顔をずいと寄せてきた。


「昨日言おうかどうか悩んだんだけど、その、服ってそんなのしかないの?」

「……あー。」


 やはりジャージは可笑しくみられてたか。通りで観察したところ服装はたいてい一般的な洋服に近いものだ。シャルの叔父シュガルムさんは軍事色が強いと言えばいいのか、飾り気があった。日常の様式とは異なるのだろう。


「やっぱり変かな。」

「物は良いと思うんだけど、私は見たこと無いよこういう服。簡素だけど逆に高そう。」


 たぶんアクリル繊維かなにかだろう、この世界では未知の物質だ。目利きに売れば一財産になるかも知れない。


「動きやすいから好きなんだけどなぁ。」

王都ここに滞在するんでしょ?、かなり目立つと思う。可愛いから。」


 可愛いさがジャージと相殺されずに奇抜さを演出している……!


「それは……まずい。」


 目立つ行動はなるべく避けたい。私の目標は世界の頂点ではなく一人の住人なのだから。コミュニティーに適応するにはある程度私自身から合わせなければならない。


「まず服に行って、それで一式揃えてから他の日用品も……。」


 容姿は初対面において重要である。どうあがいても相手を知るにはまず見た目、次点で会話なのだから「変な奴。」と思われたくなければその人にとっての普通かどうか、意図を持って選択したい。スーツ、ドレス、ジャージ、袴なんてのも場合によっては好印象だ。

 されどこの世界において未知の服装は遠い見知らぬ土地の旅人でしかないだろう。つまり生活の術として服を買わねばならない。


「……よし、服を買いに行こう。」

「じゃあ私も行く。」

「シャルも何か買うものがあるの?」

「王都に着いてから荷解きと店番しかしてない。酷くない?」


 初めて訪れた土地なら遊びたいよなぁ、うん。


「店はどうするの?」

「今日はもう閉店、これ置いとく。」


 [oslec'li(閉店)]と書かれた折りたたみ看板が出てきた。黒板に白チョークがデカデカと主張している。


「勝手に閉めていいの?」

「店番押し付けるのが悪いんだよ。買い付けだか何だか知らないけどさ、観光すらさせないのはどうかと思うんだよね。」

「そうだね。」


 ここは肯定が吉だ。場にいない人は庇わない、争いは当事者同士でやって頂こう。



□□□


 環状5号をシャルと共に西へ。太陽通りと月通りの中間、つまり真北では店舗が少なく住宅が多い。さらに月nomerノゥマーに近づけばまた活気づいた商店が並び始める。


「どこかお目当ての店はある?」

「いや、私もよく判らない。まだ太陽通りを散歩したくらいだから。」

「私は昨日着いてから初めて外出したよ。まったく。」

「はは……。」


 兄への恨み辛みは深いようだ。兄は辛いよな、うん。妹は理不尽だからな、そして兄たる者それくらい耐えろと言われるのだ。責任転嫁も甚だしい。まぁ件はシャル兄が悪いと思うけど。


「こことかどう?古着屋だけどお金あんまり無いんでしょ?」


 古着でも大して抵抗はない。むさ苦しい男どもが着ていたなら別だが女性の服はきっと綺麗に着古されている事だろう。


「よし、入ってみよう。」


 いざかん。

 カランコロンと鐘を鳴らして入店すると、当然ながら大量の服が陳列されている。ちゃんと綺麗につくろっているのだろう、小汚い印象はない。 

 紳士服ではなく婦人服の売り場へ向かう。


「色々あるんだね。」


 庶民の服だからバリエーションは貧相かと思ったけれど、どうやら何の心配もなかったようだ。そういえば道行く人も統一感はなかったな。


「ほら、これとか似合うんじゃない。」

「え、……。」


 中央に並ぶぼたんの両脇と袖口にフリフリが付いてる、凄く着たくない。私は可愛くなりたいのでは無いのだ。スカートとかは穿く意味が判らない。男は嬉しいだろうけど、ミニスカートやショートパンツは見られて恥ずかしくないのだろうか?


「……大人しいのが、いいかなぁ。」

「こういうのって事?」

「そう、それそれ。」


 白のワイシャツ。縁に刺繍があって合わせが逆だが、せめてそれ位がいい。


「……似合うと思うんだけどなぁ。」


 残念そうに可愛い服を見つめるシャル。買わないぞ。


「そうだ、一回着てみてよ!」

「……えぇ。」

「買わなくていいから、フールが着た所を見たい。お願い。」

「……そう言われると、断りづらい。」

「やったぁ。」


 年下の女子にお願いされると、拒絶しにくい。これが妹なら適当にあしらうんだが。




 試着室で着替える。未だに自分の裸体に慣れない。と言うか自分と思えない。


「終わったー?」

「うん……。」


 恥ずかしいのだが、思い切ってカーテンを開ける。


「……うん、いいね。合ってる。似合ってるよ!」

「う~ん……。」


 ジャージよりよっぽど一般的であることは理解しているけれど、どうにも恥ずかしい。早く着替えたい。


「もう脱いでいいかな。」

「うん、オッケー。」


 私はそそくさと着替えた。

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