第6話:戦乙女の鞘。

 頬が少し上気しているのには気付いているが立ち止まらずに目的の宿へ向かう。


 環状10号を曲がると途端に人が少なくなる。この通りは他と比べて幅が狭い、馬車はすれ違えないだろう。浅い夕方に街灯が光る筈はなく、明かりは建物の隙間から漏れる太陽光のみだ。傾いた日の光は心許ない。


「泊まるなら静かな方がいいか。」


 私としてはサービスより価格と調度品に力を注ぐ宿が好みだ。清潔でご飯が美味しければそれでいい。

 そんな希望を考えていれば”戦乙女の鞘”と書かれた看板が壁から突き出ているのを見付けた。上を見上げると三階建てか、煉瓦が高々と壁となり陽の光を受け止めている。


 木板の戸についたドアノブを右に回し、少し引いて、屋内を覗き込む。うす暗いが、明かりはカウンターに載るランプのみか。人は受付以外にはいない。

 入口の戸を開いて中に踏み入る。


「すみません、部屋空いてますか。」

「ああ、空いてるよ。一人か?」

「あ、はいそうです。何日か泊まりたいのですけど。」

「何泊だ?、1泊銀貨3枚、5日なら銀貨13枚だ。」


 うん?聞いていた値段と違うな。


「えっと、冒険者だと安くなると聞いたのですけど。」

「……ああ、冒険者なのか。なら1泊銀貨2枚半、5日で銀貨10枚だが、カードを提示してくれ。」

「あ、そうですね、はい。」


 無くさないようさっさと[収納箱アイテムボックス]に入れておいたカードを手元に取り出してカウンターに提出する。


「……よし、返す。で何日だ。」

「取り敢えず5日……いえ10日でお願いします。銀貨20枚です。」

「ふむ、……よしきっちりあるな。じゃあ鍵はこれ。部屋は2階だ。食堂の朝食はタダだが5時から7時まで。他の時間なら銅貨36枚だ。」

「はい。」


 鍵を受け取る。202と書かれた板がキーホルダーなので、部屋番号だろう。


「で、ランプがこれだ。油の継ぎ足しはタダでやってやるが破損すれば弁償として銀貨5枚だ。」

「はい。」

「あと一つ言っておくが、騒ぐなよ?、客には休息中の奴が多い。うるさいヤツは払い戻しなしで追い出す。」

「……、はい。」

「以上。俺に用がある時はそこの呼び鈴か、メモでも挟んでおけ。気付いたら行く。」

「判りました。」

「じゃあ行ったいった。」


 ジェスチャーでせかされた。一応私は客なんだけど、こんなものなのだろうか。右手奥にあった階段を手摺に摑まってのぼりながら思ったのだが、日本の接客は可笑しいのだったなと思いだした。

 2階の廊下は広くないのですれ違いも危うい。トイレが突き当りにある所からして各部屋の設備は余りないのだろうと思い、202の部屋を開ければまさにそうである。


「ベッド、机、椅子。クローゼットが1つずつか。」


 文句はないな。寝床と読書が出来ればそれでいい。……[収納箱アイテムボックス]もあるし。

 上に羽織っていた長袖を椅子に投げランプを机に置いて、私はベッドに倒れ伏す。


「……はぁ。疲れるな、これ。」


 寝返り、見知らぬ天井を見上げて思う。一人のなんと気楽な事か。


「見知らぬ土地、見知らぬ人々、見知らぬ文化……。」


 未知の世界に放り込まれた主人公たちはお気楽に能天気ないし自然の猛威に恐れおののくが、この世で最も怖いのは人間である。


「粗相をすれば社会との繋がりが途絶えるかもしれない。人脈を創らないと。ゲームなら初見であっても死に戻ってコンティニューすればいいが私は無理だ。事前情報をどれだけ得られるかで今後の身の振り方も変えないと。」


 常識とは非常に重要である。言語というのも謂わば常識といえる。同じ言葉を同じ意味で捉えていると証明せずとも判っているから会話が成立する。特に日本語は主語の欠落、反語、同音異義語など、意思疎通が不安定といえる。

 まぁ言葉に関してはあらゆる言語を知識として脳に刻んでくれたようなので如何様にもなるんだけど、他の常識は全く以て判らない。前世で読んだ本の知識を参考にしつつ、臨機応変に対応して情報を増やすしかない。


「……やっぱり異世界転生は大変だ。不正チートがあったとしてそう上手くはいかない。主人公に必要なのはやっぱり幸運ラッキーか。」


 起きてすぐは初体験の連続で楽しかったけど、現実的になるとなんと不自由なんだと思いだす。シャルと話すのも大変だ。なるべく嘘はつきたくないけれど私には過去が無いので致し方ない。

 女として転生したからこそ王都まで馬車で来れた。果たして男だと告白すればどうだったろうか。当然一蹴されて終わりだろうが、変な人間だと思われればシャルと仲良く会話できなかったかもしれない。嘘も方便と割り切らなければ生きていけない。


 これまでの会話で手に入れた情報はそれほど多くないが重要なことが多い。

 まずは地名。この辺りの地名が判ったので天涯孤独の迷子を演じなくて済む。ここはルクメスク王国の首都、王都カファイド。住所の決め方も教われた。環状10号にある戦乙女の鞘という宿に私は泊っている。

 次に冒険者ギルド。食い扶持ぶちを見付けたのは大きい。肝心な仕事内容は詳しくないが「強い魔物がいない」なら如何にかできそうだ。

 加えて身分証カードだ。製造方法や使い方などはまだ判らないが、情報の抜き取り具合からして相応の身分証明に使えそうである。


 [収納箱アイテムボックス]から出したカードを顔の上でぴらぴらさせて今日を顧みる。


「……そういえば、硬貨の種類も判ったか。」


 ベッドから椅子に移動すると、金貨と銀貨を取り出し全て机に並べる。


「金貨4枚、銀貨68枚、銅貨は無し。金銀のレートは100だとして、銅も100か?、朝食が銅貨36枚、1泊が銀貨3枚。うーん……。」


 相場が判らないとどうにもならない。銀貨で何か安い物を買ってみるか。今は恐らく夕方の6時ごろ、外食して調べるか。丁度お腹も空いてるし、硬貨を[収納箱アイテムボックス]に入れて外へ行こう。……ランプは部屋に残そう、弁償は嫌だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る