第11話 罠

「いま発令所のコンソールに着いた」

アベルは発令所の隅にある艦内環境維持を統括するコンソール席の椅子に腰掛けながら、インカムにそう告げる。

『こちらベス&ギメル班。ドアの制御装置に端末を接続。これからハッキングするからサポートよろしく』

インカムを通して艦内の別な場所にいるベスから応答が入る。

「了解。警報の類はこちらで対処する。状況を逐一報告してくれ」

『了解です。通信はこのままで願います』

一旦ベスとのやり取りを終え、アベルは繋がったままのインカム越しに伝わらないよう、マイクを軽く押さえながらため息をつく。

「…すみませんアベル大尉。本来ならば我々だけで解決するべき事なのですが」

この席の担当者であるパイ中尉が、アベルの右後方から小声で謝罪する。

アジア系の顔立ちで体格は小柄、年齢は20代後半といったところだろうか。

発令所の中央では物体Aへの対応を艦長以下十数名で協議中であり、そのプレッシャーが室内に充満している。

パイが小声になるのは体格のせいなどではなく、このプレッシャーの影響だった。

「問題ありません。乗艦してからずっと何かお手伝いできないかと3人で話していましたから。それに──」

アベルが言葉を切り、パイの顏を見ながら続ける。

「この艦に何かあったら、我々も作戦どころではなくなってしまいますからね」

そういって少しだけ笑いかける。

緊張した面持ちだったパイもそれにつられて微笑んだ。


第二種警戒態勢の発令から10分後、アベル達の部屋をパイが訪れた。

艦内で発生している不具合の解決に助力をお願いできないかとの用件であった。

助力を求めるよう推薦したのはセイゴ副長であったという。

アベルはセイゴの行動基準を「効率よく問題解決に向け最短ルートを選択する」タイプと結論付けていた。

それもありパイへの協力を快諾した。

不具合の概要を聞いたアベルは編成を自分とパイ、ベスとギメルの二手に分けて行動を開始した。


ピピッ。


コンソールに異常を知らせる光が走る。

モニターに示された場所は一般区画と動力区画を繋ぐドア、つまりベス達がハッキングを仕掛けている場所だ。

不具合とは、この動力区画へ人が出入り出来る唯一のドアが開かなくなってしまった事だ。

第二種警戒態勢発令で、普段は無人の動力区画へ担当者が確認に向かった折に発覚した。

「こちらで異常を感知したが警報は解除した。ベス少尉、そっちの状況は?」

『少し時間かかりそう。ちょっと待って下さい』

「了解。…パイ中尉、最後にこのドアを開けたのは何時ですか?」

アベルはインカム越しにベス達にも聞こえるよう、集音レンジを広げて会話をする。

「1日2回、整備員が持ち回りで見回りを行ってます。なので今朝の見回りの時ですね。その時は異常報告はありませんでした」

「なるほど。内部は基本的に無人という事ですね?」

「ええ。安全なレベルではありますが放射線管理区域ですからね。あまり長居したい場所ではありませんし」

安全なレベル、というのは放射能による人体への影響が無いという意味だ。

シースワロー2は原子力潜水艦であり燃料は放射性物質だ。

当然、動力区画に入るという事は放射能を浴びる汚染リスクが付きまとう事になる。

もっともリアクターや冷却装置に重度の問題が発生すれば、汚染リスクは動力区画どころか艦内全体に及んでしまう。

「ふむ。内部を確認できるカメラは?」

「リアクター区画以外にカメラはありません。作業用の半自立遠隔ロボットがありますので、そのカメラを通して確認する事は出来ますが」

「ロボットは作業時以外稼働してないのでしたね。するとリアクター手前の区画にカメラは無しか。…まてよ?」

アベルはある可能性を思いつく。

「横須賀基地に入港してから今までの間、動力区画を細かくチェックしましたか?」

「いいえ。ウラジオストック出航前に遠洋航海の為の細かい確認は済ませてしまってるので──」

「ウラジオストックを出航して以降、動力区画に出入りした人間を全員確認して下さい!」

アベルは思わず大声になってしまった事を悔やんだ。

発令所の中央のセイゴ副長が一瞬こちらに視線を向ける。

「で、出入りした人間の確認は手前の通路のカメラで可能ですけど…」

パイがアベルの語気に驚き、恐縮しながら答える。

「大声を出して申し訳ない。ただ急いでほしい。例の工作員が動力区画に出入りしていないか確認しなければ」

「工作員って…あッ!」

パイはアベルの言いたいことを理解し、隣のコンソールで監視カメラの映像を急いで確認し始める。

『こちらベス。ドアのロックシステムを掌握。解除…しちゃって大丈夫ですかね?』

こちらのやり取りを聞いていたであろうベスが、やはり何かを察したように問いかける。

「ベス少尉、質問がある。ロックシステムにここ数日のうちに書き換えられた痕跡はないか?」

『ありますよ隊長。でも妙な事に最新の書き換えはほんの20分前になってますけど…』

「20分前?」

アベルは一瞬、ベスがハッキングを開始したタイミングと勘違いしたと考えたがそれはせいぜい5分前の事だ。

では20分前、いったい誰がドアのシステムを書き換えたのだろう?

まさか他の工作員がまだ艦内に──

「あ、アベル大尉、居ました、例の工作員が入出してます!ウラジオストックを出た6時間後、約1時間の間です!」

パイ中尉が続ける。

「でもどうやって?許可された人のバイオマトリクス認証かカードキーが無いとドアは開かないのに」

「ハッキングか、もしくは非常用のカードキーを偽造したのでしょう」

監視カメラの映像ではハッキングしている様子はなく、ただカードキーを通して入出していた。

専用の機材と技術があればカードキーの偽造はそう難しいものでは無い。

工作員死亡後の調査で機材らしきものは見つかっていない。

しかし横須賀に上陸した直後、ドック内の海中にでも投棄してしまえば発見はほぼ不可能だ。

あのタイミングで襲ってきたのはそういった理由からかも知れないとアベルは思考を巡らせる。

「しかし工作員は既に亡くなっている。…パイ中尉、20分前にドア付近に誰か居ましたか?」

パイが監視カメラの映像を確認する。

「…いいえ。今日は最初の見回り以外、誰も動力区画に出入りしてません」

「協力者では無いのか?ではロボットを起動して内部の状況を確認したい。すぐ出来ますか?」

「直接起動なら1分くらいですが遠隔起動は時間が。機関長の許可とかもろもろで…10分はかかます」

「困ったな」

アベルは悪態を付きながら念のためリアクターの状態を確認する。

今のところ各数値に異常は見当たらない。

『ギメルです。万が一に備え自分が戦闘モードで動力区画の確認に入ります。よろしいでしょうか?』

アベルは判断に逡巡する。

間もなくシースワロー2は物体Aと戦闘状態に突入する可能性があり、そうなれば戦闘出力が必要となる。

ロボットを遠隔起動し、内部の様子を確認してからギメルを入れるのが最良だが時間が惜しまれる。

「罠の可能性があるうえ、誰がどうやって20分前にシステムを書き換えたかが分からない──」

「出来ればギメル中尉にすぐ突入してもらいたい」

いつの間にかすぐ近くに立っていたセイゴ副長がそう告げる。

「…ギメル中尉、突入してくれ。ベス少尉、端末のカメラから映像をこっちに送れるか?」

アベルはセイゴの言葉を受け指示を出す。

ベスからは即座に映像の送信が開始される。

『こちらベス。映像送ってますが受信状態どうですか?』

送られてきた映像にはギメル中尉の後ろ姿が映っている。

どこからか調達してきた鉄パイプを持っているのが分かる。

「こちらアベル。映像確認、受信状態良好。…セイゴ副長、突入しますがよろしいですね?」

「もちろんだ。やってくれ」

「よし、突入しろ!」

ベスがドアのロックを解除し、ギメルが手動で分厚いドアを一気に押し開ける!


戦闘はわずか数秒で終結した。

工作員にハッキングされていたと思われる作業用ロボット2機がギメルに襲い掛かった。

しかし戦闘モードのテトラボーグの相手が務まるハズも無く、あっという間にギメルの手でスクラップと化した。

問題はなぜこのタイミングでロボットが起動したかという事だが──


『簡単です。横須賀基地出航から24時間以上経過した上で主推進器が停止した場合に作動する、そういう設定がなされていました』

ベスの報告によると、内側のドアロック装置の基盤にネットワークケーブルをバイパスしたトラップ作動装置が設置されていたという。

装置は主推進機の動作情報を取得しており、停止と同時にドアロックのシステムを書き換え強制ロックする仕組みだった。

さらに短距離無線で信号を発信、近くのロボットにあらかじめ仕込んでいた乗っ取りプログラムを作動させたとの事だった。

「確かに主推進器の停止とタイミングは合う。しかし目的は? この程度の混乱だけとは考えにくいが」

セイゴが眉間に皺を寄せる。

「工作員の入出時データと退出時データを比較したところ、動力区画内に500gほどの質量を残している事が分かりました」

パイが監視カメラ映像の分析結果を報告する。

『トラップ装置とケーブルの質量を合わせても300g程度、もう一か所くらい何か仕掛ける余裕はあるわね』

ベスが状況証拠から推理する。

「200gなら爆発物の可能性は低いかな。やはり同じような電子装置の類ではないでしょうか?」

アベルが類推する。

『1時間でロボット2台のプログラムに仕込みとトラップの設置、それに加えて何かするとしてもたかが知れてると思います』

ギメルが技術的な側面を考慮しつつ工作員の立場で行動を推理する。

「…いずれにして間もなく戦闘が開始される。君達には引き続き動力区画の調査をお願いしたい」

「わかりました。何かわかり次第報告します」

セイゴの命令にアベルは即答する。

「頼む。パイ中尉は引き続き彼らと協力して事に当たってくれ」

そう言ってセイゴは発令所の中央へ戻って行った。


「パイ中尉。引き続き工作員の艦内の動向を確認してほしいのですが」

「わかりました」

パイはそう言って隣のコンソールで作業を開始する。

「ベス、ギメル。これから戦闘に入るそうだが調査は続行する。こちらもフォローするが艦の突発的な動きに注意してくれ」

『了解です』

2人から同時に返答が帰ってくる。

アベルは椅子に深く腰掛け、艦の状況を知るべく聞き耳を立てる。


「物体Aの正体は自立型魚雷発射機雷、SS‐09で間違いないか?」

「AIによる判定では98%の確率でyes。ソナーもAIの判定を支持します」

「各潜航艇、あと30秒で作戦開始位置に到着」

「兵器管制システム異常なし。SC魚雷(※1)は通常弾頭で装填完了」

「作戦準備完了です」

「よし。第一種戦闘態勢を発令!」

グラハム艦長の指示で艦内に命令が走る。

アベルは緊張感と同時にある種の興奮を感じていた。

「潜航艇No1、作戦開始位置に到着。SS‐09まで距離1万。速力30、モードBで接近中…」

肉声をどんなに張り上げたところで外部に漏れることが無いにも関わらず小声でやり取りが行われる。

「現在本艦は潜航艇No1の後方5000を速力15で無音航行中です」


しばしの沈黙。そして──


「SS‐09に動き有り!潜航艇No1との距離8000、魚雷発射準備動作音です!」

「潜航艇No1転進、取舵20で最大速度!バッテリーが尽きても構わん!」

「SS‐09より魚雷発射音1、初速40…超音波気泡発声音、続けて爆縮音感知!ロケット加速を開始、雷速90から更に増速中!」

「やはりSC魚雷か」

「雷速200を突破!潜航艇No1到達まであと10秒!」

「潜航艇No1爆発と同時に主推進器を始動」

「…魚雷爆発音1!潜航艇No1からの全信号途絶!」

「主推進器始動!取舵15、速力40。爆発地点の裏側に周り込め」

「本艦右舷を並走中の潜航艇No2を遠ざける。距離が5000になったらアクティブソナーを撃たせつつ──」


ズズン


「なんだ!?」

「海底から爆発音!恐らく磁気感応信管式の沈底機雷の類が爆発したと思われます!」

「底部機関室に浸水、被害は軽微」

「…超伝導推進器の電界に反応したのか?マズイな」


カーン


そのとき艦の外から、甲高い音が響いた。

「アクティブソナー!? SS‐09からか?」

「違います!SS‐09から東北東、距離8000、潜水艦です!海底に着底していて探知を免れていた模様!」

「どこの艦だ? SS‐09を設置した張本人だとすれば…」

「音紋照合。AUC(オーストラリア統合軍)所属の訓練艦です!」

「な!…そんなバカな!?」

普段冷静なセイゴが、彼らしくない驚きの声を上げる。

訓練艦とは、海軍が潜水艦乗りを育成するための艦である。

最低限の装備しか持たず性能も低い為、一部は民間にも払い下げれらている。

リアクターも搭載しておらず、化学式発電機かバッテリーでしか航行する事ができない。

つまり航続可能距離が数十キロ程度と短く、現在地のような陸地から100キロ以上も離れた場所に来る事は不可能に近い。

「訓練艦がこの海域まで来るには、ディーゼル発電機でも使用しない限り無理だぞ」

機関長が訝しげに唸る。

確かにディーゼルエンジン等の液体燃料を使用した内燃機関で発電しながらの航行であれ訓練艦でも長距離航行が可能である。

しかしそれには酸素を取り入れ、排気をする為に浮上する必要があるのだ。

アヴァロンにより海上を実質的に封鎖されている現状でそれは不可能。

もしも海上を浮上し発電しながら航行できる艦があるとすれば、それは──

「メディエイターの連中かッ!!」

グラハムが憤る。


「パイ中尉。訓練艦のスペックを知りたい。情報をこっちに回してほしい」

中央の喧騒を横目にアベルは隣のパイにお願いする。

「構いませんけど…アベル大尉? さっきから一体何を──!?」

隣で何かの作業している様子だったアベルのコンソールを見たパイが絶句する。

「こ、これは!?」

「え?ああ、流れてくる情報をまとめました。敵がアクティブソナー打ってくれたのはラッキーだったかな。これに訓練艦のスペックを、と」

アベルが操作するとコンソールの画面が変わる。

「…大尉、こんな技術をどこで?」

「技術と言うほどではありませんよ。アルチョムでは小賢しいってよく上官にからかわれてましたし」

「…ちょっとこれ副長に見せましょう!こっちに回して下さい!」

パイが興奮しながら作業に入る。


「作戦プランを白紙に。艦長、現海域からの離脱を具申します」

発令所中央ではセイゴが副長としてグラハムに進言していた。

「…敵を目前に尻尾を巻いて逃げ出せと言うのか?」

グラハムがセイゴを睨みつける。

「現在、本艦の最優先事項は第11次アヴァロン攻略作戦の直接侵攻要員3名の移送です」

「分かっている!しかしこのまま敵が我々を見逃すと思うか?」

「相手は訓練艦1隻です。まだ十分な距離がありますしトラップを仕掛けていたとしても本艦の足なら逃げきれます」

セイゴの正論にグラハムが一瞬、言葉に詰まる。

「…ソナー。先ほどの敵のアクティブソナーで何か探知できたか?」

グラハムがソナー手に意見を求める。

アクティブソナーは純粋な音波の発信源だ。

発信者が誰であれ、敵味方関係なく周囲の海域に存在するすべての存在を、これまた敵味方関係なくすべて知らせてしまう諸刃の剣なのだ。

「はい艦長。精査中ですが周辺海域にSS‐09らしき反応が新たに3。それと沈底機雷も複数設置されています」

ソナー手の報告は、シースワロー2が敵の布陣した機雷源に誘い込まれてしまった事を示していた。

「副長、これでも逃げ切れると思うかね?」

「…う、むぅ」

セイゴが反論しようと考えを巡らせている所に、背後から囁く者がいた。

「あの、ちょっとよろしいですか?」

そこにはいつの間にかに歩み寄ってきていたパイがいた。

「パイ中尉。何事かね?」

「じ、自分もセイゴ副長の離脱案に賛成します」

パイの発言を聴いたグラハムが語気を強めて言う。

「話を聞いていなかったのか中尉。本艦は敵の機雷源にまんまと誘いこまれてしまったのだ! この海域からの離脱は不可能──」

「で、ですから気が付いたんです!」

「気が付いたって…何をだ?」

「機雷源の中に安全な航路がある事を」

「な、なんだと!?」

パイの言葉にグラハムばかりか他の者たちも目を丸くした。



※1 SC魚雷 スーパーキャビテーション(supercavitation)魚雷の略。魚雷先端に気泡を発生させる装置を備え、それによって水の抵抗を軽減しロケット推進等で海中を超高速移動する魚雷。

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