第7話 出 航

EAUCウラジオストック海軍基地。

周辺で唯一生き残っている大規模軍港である。

沿岸部の地下は幾つかのブロックに分かれ、総数30隻分を超える潜水艦の地下格納設備が整っている。

アヴァロンによる攻撃で海上移動は不可能となったものの、潜水艦による海中移動は健在だ。

それどころか大陸と地続きになっていない国々とは唯一の往来手段である。


3人がウラジオストックに到着してから半日間、現地スタッフから搭乗する潜水艦についてレクチャーを受けた。

その後、実際に地下ドッグに係留されている潜水艦へと向かう。

当該ブロックには潜水艦4隻分のスペースがあるが、現在係留されているのは手前の1隻だけだった。


つまりこれがアベル達の搭乗する原子力潜水艦「シースワロー2」である。

吃水から下はよく確認できないが、水面上に見えている部分からおおよその形状と大きさが想像できる。

細長い涙滴型(葉巻型)の本体とその上に艦橋と呼ばれる部分が飛び出しているのが特徴的だ。

艦橋は艦体中央より少し前のあたりから、3メートルほど上へ煙突の様に飛び出しており側面に「シースワロー2」のマークが描かれている。

しかし一般の潜水艦に見られる艦橋側面の羽根のような「潜舵」が見あたらない。

どうやら船体の真横あたりの水面下に設置されているタイプのようだ。

艦橋から後ろへ20メートルほどにわたり高さが1メートルほど盛り上がった部分が続く。

SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を納めている垂直発射管格納ブロックだ。

艦橋のすぐ後ろ、付け根部分に人が出入する為の丸いハッチが口を開けているのが見える。

ハッチまでは人が一人やっと渡れるような細いタラップが桟橋から渡されておりそこを通らなければならない。

タラップの長さは7メートルほど、海面までの高さは3メートルほどだろうか。

水面下はすぐ潜水艦本体なので万が一落ちたら骨折かそれ以上の怪我を覚悟しなければならない。

船体のずっと後ろの方では資材搬入用の大きなハッチ開き、荷物用の大型タラップが渡され作業員が資材の搬入作業を行っているのが見える。


アベル達は乗艦する為に手前の細いタラップを注意深く渡る。

手すりが片側にしかなく床面も思ったより重みでしなる。

3人で一度に渡る事はできたが結構な危うさを感じた。

艦橋付け根の丸いハッチから梯子を降り艦内に入る。

スケジュールによればこの「シースワロー2」に搭乗し打上げ地点まで移動する事になっている。

出発は今夜だ。

途中でベスと別れ、アベルはギメルと2人で割り当てられた艦内の相部屋の確認に向かう。

四畳半ほどのスペースに二段ベッド、それに小さな机と椅子の一式。

椅子以外は壁と一体になっている。

「こんな狭い部屋で1週間過ごすのですか」

ギメルが険しい表情でそう告げる。

「これでも潜水艦の居住空間としては広い方なんだろうが…中尉は体が大きいからな」

「申し訳ありません大尉殿。むさ苦しいと思いますがよろしくお願いします」

「こちらこそよろしく、中尉。…ベッドは自分が上でいいかな?」

「もちろんです」

アベル達は私物を部屋に押し込み、今時珍しい紙のマニュアルを片手に艦内を確認して歩く。

中央通路で同じくマニュアルを片手にうろうろしていたベスと再会し、一緒に行動する事にした。

ベスから相部屋を一人で使う事になったと報告され、羨ましとギメルが素直に言う。

潜水艦は3人とも初めての為、見るものがどれも新鮮だった。

狭い空間を有効に利用する為、あらゆるものが立体的・三次元的に配置されている。

ただ至る所に後付けと思われる装置が据え付けられ、移動の際に邪魔となった。

艦内は物資搬入区画以外、発令所も含め人の姿はまばらだった。


動力区画以外を一通り見て回り、まだ時間に余裕があった為3人は一度艦外へ出て垂直発射管の開口部を確認する。

そのとき、遠くからアベル向かって声が掛けられた。

「おーい、アベルくーん!」

「ん?」

桟橋をこちらに手を振りながら、旅行用キャリーバッグを引きずって歩いてくる人物が見える。

「ギリギリ間に合ったわー」

「サエコ大尉!?」

何故彼女ががここに?

アベルはそう思うと同時に桟橋から潜水艦に渡るべくタラップに片足を掛けたサエコの危険を察知した。

「まずい!」


アベルがそう叫ぶと同時に周囲の世界から音と色彩が失われる。

緊急の危機にテトラボーグの機能が自動的に作動したのだ。

まず脳の視覚に関する部分に干渉、周囲の動きがスローモーションの様に鈍化する。

脳の処理が「動態検知」に特化し「色彩情報」の処理が欠落、景色から色が失われモノクロに近い視界となる。

同じく音も必要ないので処理されずほとんど聞こえなくなる。

次に脚部を構成するナノマシンが瞬間的に筋繊維を拡張し、爆発的な瞬発力を生み出す。

アベルは潜水艦上からサエコのいる桟橋とタラップの接続部までの約15メートルを3歩の助走で飛び超え着地する。

この間わずかか2.5秒。

桟橋の手すりを右手で掴み小ジャンプで飛び越え、タラップから落下しはじめていたサエコに左手を伸ばす。

ここでようやく景色が色彩と音を戻りはじめる。


サエコからはアベルの姿が突然消えたように見えた。

そして桟橋からタラップへの直角カーブを減速せずキャリーバックを走らせたまま進入する。

「え…あ、やば!」

キャリーバッグは曲がり切れずタラップの手すりの無い側から床板を外れ海面へ落下を開始。

サエコもまたキャリーから手を放す事を忘れ一緒にタラップから外れ海面へ──


ガクンッ


「グハ!…あ、アベル?」

「だ、大丈夫ですか?」

アベルは右手で桟橋の手すりの付け根を持ち、岸壁に両足を付け、まるで壁を床に見立てしゃがんでいるような格好になる。

そして左手ではタラップから外れ落ちたサエコの胴をしっかりとを抱えていた。

「大丈夫ですか!」

すぐにギメルとベスが駆け寄り二人とキャリーバッグ引き合上げる。


「はぁー、助かったわ。ありがとう3人とも」

「気を付けて下さい。…それにしてもどうしてサエコ大尉がここへ?」

アベルが質問する。

「それは、後で説明するけど…潜水艦で日本まで同行するからヨロシクね」

「え!?」

3人の声がハモった。


30分後。


シースワロー2の発令所に主要乗務員が集められ打ち合わせが行われていた。

その中にはアベル達3人とサエコの姿もあった。


「副艦長のセイゴです。以後よろしく」

階級は中佐、アジア系の顔立ちで小柄な中年男性といった印象だ。

年齢は50前後に見えるが、アジア人の年齢は外見から判断しづらいので正直なところよくわからない。

「今回の当艦の任務はこちらの3名を指定の場所へ移送する事だったのですが──」

アベル達3人を右手で示しながら続ける。

「モスクワのEAUC本部、技術総局からの依頼でこちらのサエコ大尉を日本の横須賀基地へ移送するという任務が急きょ加わりました」

サエコが一歩前へ歩み出る。

「EAUCアルチョム駐留軍、技術局所属のサエコ大尉です。よろしくお願いします」

「艦長のグラハムだ。よろしく」

大佐の階級章を付けた西欧系白人で大柄な、年齢はやはり50前後の男性がサエコに握手を求める。

「よろしくお願いします。グラハム艦長」

サエコは微笑みながら握手に応じる。

「セイゴ副長、サエコ大尉移送によるスケジュールへの影響は?」

「もともと日本の横須賀基地で物資補給の予定だったので影響はありません。問題は部屋ですが──」

「それならベス少尉と相部屋でかまいません」

サエコが率先して主張する。

「そうしてもらえるとありがたいですね。実際他に空きがないので…」

セイゴが神経質そうな笑顔でそう答える。

「わかりました」

ベスが快諾する。

その後いくつかの確認事項を経て解散となった。


5分後。


アベル、ベス、ギメル、それにサエコの4名は艦内の食堂に集り同じ机を囲む。

「サエコ大尉、何があった?…まぁ、答えられる範囲で構わないが」

アベルが切り出す。

「里帰り。…というのは半分冗談だけど。ちょっと富士山の観測基地に行くことになってね」

サエコが軽い口調で答える。

「マウント富士の?なんで?」

ベスが興味深そうに聞き返す。

マウント富士は日本エリアの最高峰であり、現在はアヴァロンやジスプロサットの観測拠点として有名だ。

「隠す必要もないか。実は一昨日からアヴァロンレーザーでロシアやモンゴル、それに中国の観測所が次々破壊され…というか現在進行形で破壊されてると思う」

「観測所と言うと…アヴァロンの観測所でありますか?」

ギメルが確認の問いを返す。

「そう。いままで偽装で大丈夫だった所が片っ端から」

「他のエリアは?アメリカとかオーストラリアとか?」

アベルが疑問をサエコにぶつける。

「全然、ユーラシア中央とやや東側方面かな?そこだけ」

「それは妙だな」

アベルが眉間に皺を寄せる。

「あのー、申し訳ありませんが大尉殿、私等にも分かるように説明してもらえやせんかねぇ?」

ベスがおどけた口調で自分とギメルを指しながらアベルに聞いてくる。

「そうだな…まず観測所の役割は分かるな?」

「アヴァロンの監視と索敵衛星ジスプロサットの追跡…で良かったでしたっけ?」

ベスが自信無さそうに答える。

「正解だ。では次に今まで観測所が攻撃されなかった理由はわかるか?」

「小型で出力が低く無人で多数運用されていたうえに…偽装や対赤外線処理で発見が困難だったからでしょうか?」

ギメルが模範解答を述べる。

「そうだ。従来の赤外線対策が破らてるなら雲の上からでも容易に地上を走る車両を攻撃できるからな」

ジスプロサットに赤外線索敵機能があることは確認済だが軍用車両などは完璧な赤外線対策が施されている。

人間の着用する対赤外線コートは車両ほど完璧ではないものの、それでも9割以上を隠すことができる。

漏れ熱による赤外線放出は多くてもネズミ1匹程度なので、いかにジスプロサットといえど小動物と区別することは不可能と考えられている。

「まぁ地形や漏れた赤外線データを精密に分析すれば無人観測所の位置はいつかは見破られる。だから過半数は既にマークされてると考えてるわ」

サエコが技術部の見解を代弁する。

「にも関わらず今まで攻撃されなかったのは優先順位が低かったからだ」

アベルが少し不機嫌そうに続ける。

「レーザーも連射できるわけじゃない。無人観測所を撃ってる間に人間に移動されたら仕留めそこなう可能性が高い。だから闇雲に撃たない」

「うへぇ」

ベスが舌を出し不快感をあらわにする。

「もし優先順位を変え観測所を攻撃するようになったとしても高度の高い場所に設置された観測所か規模の大きいところから攻撃するだろう」

高度が高い場所ほど大気が薄くなり観測精度は向上する。

規模の大きいと所ほど一度に観測できる衛星の数が多く、それらを破壊された方が人類側のダメージとしては大きい。

「なるほど。変な偏りがあるというか…特定の場所だけ狙い撃ってる感じ?」

「そう、私たちもそう考えてる。理由はまだ調査中だけど」

ベスの何気ない感想にサエコが答える。

「とにかくこのままじゃ監視網ばかりか早期警戒システムもヤバい。ということで富士観測所に原因究明と観測網の穴埋め対策に行くことになったわけ」

索敵衛星は不定期に軌道を変えるため常に地上から監視され追跡れている。

この観測データのおかげで地上を走る車両に取りつけれらた警戒システムがレーザー攻撃を事前に知らせてくれるのだ。

またSTジャマーの目くらましも観測網の正確なデータあってこそ可能な事なのだ。

サエコはもともとそのあたりの専門家であり、技量は東部方面軍内でも屈指だ。

「分かった。大陸中央から東部太平洋側あたりの監視網の精度回復が目的といったところか」

「敵の目的の調査も含めて、ね。あと潜水艦に乗り込んだのは日本への移動が楽だからよ。任務でもなきゃ簡単に乗れないし、ちょうど貴方達が向かうのも知ってたし」

サエコはそう言ってずる賢いそうに笑う。

「なるほど。マチリークを使うよりもこちらの方が楽ですからね」

ギメルが日本へ渡る場合の手段として、陸路と海路を比較し結論づける。

「マチリークか。ちょっと憧れるけどね、大陸横断列車の旅とか」

ベスが目を閉じ、長距離列車の旅に思いをはせる。

マチリークとはかつてのロシアの「シベリア鉄道」と日本の「新幹線」両方の路線を駆け抜ける超長距離旅客列車の事だ。

モスクワから東へ伸びたシベリア鉄道は大陸東端からはタタール海峡(間宮海峡)を海底トンネルを経てサハリン(樺太)へと抜ける。

そしてそのまま南へ延び南部の都市「ユジノサハリンスク」へと達する。

日本側からは東京から新幹線が津軽海峡とラペルザ海峡(宗谷海峡)を潜る2つの海底トンネルを経て北上し、同じユジノサハリンスクへと接続している。

10年ほど前まではモスクワから東京までを繋ぐ世界最長の路線だった。

現在ではアヴァロンの攻撃の為にいくつかの地上走行地点で寸断され、地下走行区間のみが部分運用されている。

「前回ダーリンがハバロフスクまで会いに来てくれたときマチリーク使ったんだけど、大変だったって言ってたし」

サエコは照れ笑いしながら言う。

ダーリンと言うのは日本のサイタマにいる婚約者の事だ。

「ダーリンですか。…そういえば最近、リア充が増えましたよね」

ベスがジト目でアベルを見る。

「ゴホン。そろそろ出航時間じゃないか?一旦部屋に戻ろうか」

アベルはわざとらしく咳ばらいをして席を立つ。

タイミング良く艦内一斉放送のスイッチが入りグラハム艦長の声が聞こえてきた。

『あー、艦長のグラハムだ。これより本艦シースワロー2は日本海を東へ進み津軽海峡を抜け最初の補給地点である横須賀基地へ向け出航する──』

放送による到着予定時刻や航海中の諸注意を聞きつつアベルはギメルと、ベスはサエコと共に部屋へと戻る。

出航から巡航航路へ入るまでの20分間、操艦乗務員以外は部屋で待機するよう指示れているのだ。


発令所では出航シーケンスが淡々と進んでいく。

「全外部ハッチ閉鎖。水密確認」

「マスト、収納確認」

「港湾局より出航許可出ました。ドック外部ゲートの解放を確認」

「リアクター出力正常、冷却機構及び各部温度問題無し」

「機関部主推進器、補助推進器、発電機、蓄電機構、正常」

「武器管制及び打ち上げ管制システム問題無し」

「各種ソナー及びセンサー、通信システム異常ありません」

「圧縮空気、圧力系及び操艦システム異常なし」

「艦内環境維持系、問題無し。各員潜航位置に付きました」

セイゴが各部署の報告に頷き、グラハムの方へ向き直る。

「艦長、出航準備完了しました」

「了解した副長」

グラハムが頷き、息を深く吸い込む。

「出航!」

発令所内にグラハムの指示が響く。

「出航!補助推進器始動、前進微速!ゲートより外洋へ出る!」

セイゴの復唱と同時に潜航が開始される。

「補助推進、両舷スクリュー始動、前進微速、アイ!」

「ベント開きます、メインタンク注水開始、下げ舵20」

「港湾管制システムリンク正常、ゲート通過まであと50!」


こうして、アベル達の航海が始まった。

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