第8話 揺れる、世界

「アベル大尉殿、ハイパースリープにはお詳しいでしょうか?」


ウラジオストックを出航した翌日。

アベル、ベス、ギメル、サエコの4人は艦内食堂で少し早めの昼食をとっていた。

食後、雑談をしていると不意にギメルがそんな質問をしてきた。


「いや。一般的な知識しかないが…」

「そうですか。いや実はその…ボディの事が気になりまして」

ギメルはサエコの方を見ながら急に小声になる。

「サエコ大尉なら問題ない。全部知ってるから」

アベルはギメルにそう答える。

ギメルの言う「ボディ」とはアルチョムに置いてきたオリジナルの体の事だと話の流れから理解した。

そして機密であるテトラボーグの事が、部外者に漏れることを警戒して小声になったのだという事も。

「そ、そうなのでありますか?」

ギメルが驚きの声を上げる。

「まぁ知らないのも無理は無い。自分も先日のシータの件がなければ知らなかっただろうからな」

ここでベスがシータの名に反応する。

「ん?何の話?」

「先日のシータ調査の後、サエコ大尉が今回の作戦をどこまで知ってるかカマを掛けてみたんだが…」

アベルは周囲に気を配りながら最小限の音量に絞った声で言う。

幸い食堂には自分たちしかおらず、厨房のコックも正午からはじまる昼食の準備で忙しく働いてる。

「んー?貴方達がテトラボーグになった事なら知ってるわよ?一応ダイモンの予備調整員の一人だからねぇ」

ダイモンとは脳幹に埋められているテトラボーグのナノマシン制御装置の事だ。

「そうだったんですか?どうりで昨日驚かなかったわけだ」

ベスは昨日、サエコがタラップから落ちかけたのをアベルが救った際の事を指してそう言った。

「私はいいけど軍事機密だから気を付けてね。距離があったから大丈夫だと思うけど補給要員の人たちも同じ桟橋にいたわけだし」

「…ああ。軽率な行動だった事は反省している」

アベルはそこまで考えてなかったのだが、指摘され反論の余地が無い以上は素直に反省するしかない。

「別に責めてないわ。落ちたら骨折は避けられなかったし、個人的には超感謝してる。ダーリンが居なかったらこの身を捧げてるところよ」

「ブッ」

アベルがサエコの発言に飲みかけの水を吹き出しそうになる。

「わーお!でも残念、アベル大尉はロリコンなのでサエコ大尉のような大人の女性は圏外なのです」

ベスが目を細めて言い切る。

「そうだったの!?…いろいろ誘惑しても乗って来なかったのはそういう理由か。お姉さんショックだわ」

そういって大げさに傷心のリアクションをする。

「誘惑と言うのはボディタッチの事ですか?スキンシップの一つだと思ってましたが。というか自分、ロリコンではありません」

アベルが咳ばらいをしながら続ける。

「それよりギメル中尉、何か聞きたいことがあるんじゃなかったか?」

アベルは強引に話の流れを戻す。

このままではマリーへの告白の話におよぶと思ったからだ。

別に知られて困ることは無いのだがなんとなく気恥ずかしい。

「はい。最近のハイパースリープは大丈夫だと聞きましたが…以前、男性だけ後遺症が残るという話があったではありませんか」

「あぁ、それはきっとノエル方式の事ね」

サエコが続ける。

「そっか。アルチョムに残したオリジナルのボディが心配なのね」

「遺書を書いたときに覚悟はしたつもりですが…なんとも自分が不甲斐ない」

ギメルが申訳なさそうに打ち明ける。

「ううん。そういう気持ちは大事だと思う。それに兵員が全力で任務に集中できるよう支える事も私たち技術局の仕事だから」

サエコが続ける。

「そうね…最初に言って置くけど大丈夫よ。順を追って説明したいわ。ちょっと時間かかるけどけどいい?」

ギメルが頷き話を聞く態勢に入る。

アベルとベスもそれに続き姿勢を正す。

「まずノエル方式は最初に確立された人工冬眠から覚醒までのプロセス。体液をすべて人工の保存液に入れ替るのが特徴ね」

この辺りは広く知られている一般常識の範疇だ。

「理論上は1万年以上も保存でき障害も少ないという事で2050年代から広まった。だけど蘇生した男性に後遺症が有ることが最近知られるようになった」

ここでベスが呟く。

「Y染色体の破壊…ですよね。97年でしたっけ?騒ぎになったの」

サエコが頷きながら続ける。

「ええ。正確にはY染色体の生殖機能に関する部分。だからハイパースリープする当人が生きる分には問題ないけど」

「子供が出来ない。作れなくなってしまうという事ですか」

ギメルが眉間に皺をよせながら答える。

「そうそう。だからこの方式を利用する男性は事前に精子バンクを利用するか、もう子供を絶対作らないという覚悟のある人だけ」

サエコが水を一口含み、コップを持ったまま中の水を手首の動きだけで器用に回しながら続ける。

「問題は保存液だったわ。その後も保存液は改良を重ねたけど結局うまく行かなかった。最近じゃ女性も含めて殆ど採用されてない方式よ」

サエコがコップを机に置く。


「それでは現在採用されている方式というのは?」

ギメルの質問にサエコが頷きながら答える。

「ノエル方式とは別に、体液をそのままで冷凍ギリギリの低温状態で眠り続けるヴァリア方式が採用されているわ」

「俺たちのボディもこの方式で保存されてる」

アベルがそう付け加える。

「そう。こっちは保存液を必要とせず、比較的簡単な設備で行える。蘇生後のY染色体の異常も無い。ただ後遺症の確率が高く保存期間も1000年が限度なの」

「最新の技術では100年以内なら後遺症もほとんどないって聞きましたけど?」

ベスが不安からか口を挟む。

「そうみたいね。あと脳も完全には停止しないから夢を見続ける必要があるそうよ。これが後遺症を減らすカギになてるらしいわ」

「脳と夢。しかし我々の場合、脳はここにありますけどね」

ギメルが自分の頭部を指して言う。

「元の体に戻れるのは2年以内と言うのはその辺の事情なのか?」

アベルがふと浮かんだ疑問を投げかける。

「そこは分からないけど…体と頭が離れ離れで片方だけ成長し、また元に戻るのって結構な負担じゃないかしら?」

そう考えるとテトラボーグの施術対応年齢が18歳以上と言うのは最もな理由だろう。

18未満では成長が早すぎて2年も離れていたらサイズが合わなくなってしまうだろうから。

「そういえばスリープ中は体の老化も止まってるってことですよね?寝るときだけハイパースリープって出来ないのかな」

ベスがある意味とても女性らしい願望を口にする。

「なるほど…面白い事考えるわね!」

サエコがベスの思いつきに乗ってくる。

「毎日脳と体を切り離すのか?自分には耐えられそうに無い」

アベルがげんなりした表情で言う。

「とまぁそんなわけで置いてきた体の心配は無用。だから2年以内にちゃんと帰ってきてね。あ、それと──」

サエコが3人に笑顔を向けながら思い出したように続ける。

「テトラボーグの休眠モードはヴァリア方式に似てるけどさらに浅い眠り、といった感じなの」

「浅い…ということは対応年数が短いとか?」

ベスが適当な事を言う。

「マニュアルには安全を考慮して5年以内とあっただろう?理論上だと数十年は大丈夫だと補足資料にはあったが」

アベルがジト目でベスを見ながら答える。

「すいやせんダンナ!物覚えが悪いもんで」

ベスが頭をかきながら言い訳をする。

「まぁ正直なところ解らないわよ?何せこの技術が完成してから数年しか経ってない──」

そのとき食堂に整備班らしき一団がなだれ込んできた。

そういえばいつの間にか正午を過ぎていた。


サエコのお開きのジェスチャーで解散となった。

他の3人のコップを集め、アベルがまとめてカウンターへ戻す。

3人の姿はすでに通路の向こうに消え、アベルも食堂から出ようとした時、入れ違いに入ってきた若い兵に声を掛けられた。


「あ、アベル大尉殿…ですよね?」

「そうだが…君は?」

アベルは話しかけてきた相手の姿を確認する。

年齢は自分と同じくらい、赤毛のショートが良く似合う小柄な白人の女性だった。

海軍の制服に身を包み、軍曹の階級章が見て取れる。

「自分は本艦の技術整備員、イオタ軍曹であります!」

敬礼が初々しく、軍歴が浅いことを感じさせる。

「ふむ。それで軍曹、自分に何か用かな?」

「え、あ、すみません。用と言いますか…失礼ながらひとつうかがってもよろしいでしょうか?」

「答えられる範囲であれば」

「アベル大尉殿は、その…サイボーグなのでしょうか?」


「それで、大尉殿は何と返答したですか?」

アベルは部屋に戻り、椅子に腰かけ食堂から出る際にあったことをギメルに説明していた。

ギメルは自分の寝所である下段ベッドに腰掛け、操作していた端末を枕元に置きながら問い返す。

「どうしてそう思ったのかを聞いた。そうしたら先日の件を見られていたらしい」

「サエコ大尉の件ですか?」

「そうだ。さすがにテトラボーグの事は言えなかったので通常のサイボーグだと言うことにしておいた。口外無用ともね」

アベルは肩をすくめてそう言った。

「妥当な対応だったと思います。あとはこれ以上話が広まらないことを祈るのみですね」

「そうだな。一応ベスたちにもあとで伝えておこう」


しばしの沈黙が訪れる。

横須賀到着は明日の夜の予定なのでまだ時間はある。

午前中に津軽海峡を順調に通過したとの事だから今頃は日本列島の太平洋岸を南下中のハズだ。


アベルは無理に会話を続けることも無いだろうと机の上で充電中だった自分の端末に手を伸ばそうとした。

「あの…アベル大尉殿。自分はあなたにひとつ言っておかなければならない事があります」

「ん…なにか言いにくい事か?」

アベルはギメルの言葉から思いつめた気配を感じとりそう言った。

椅子に座り直し、姿勢を正し、彼を正面に見据えて次の言葉を待つ。

「…実は、自分はベス少尉と、その…」

「…男と女の関係になったか?」

アベルはギメルの進退窮まる苦悶の表情を見かねて先に言う。

「…はい」

「聞かなかった事にする」

ギメルの返事が終る前にアベルが即答する。

「申しわけ…え!?」

土下座しようと一度ベッドから立ち上がりかけたギメルが驚いて顔を上げ、バランスを崩して壁にもたれ掛かる。

部屋が狭くなかったら間違いなく転倒していただろう。

「よ、よろしいのですか?」

EAUC内での恋愛は禁止されているわけでは無い。

しかし同じチーム内、まして作戦行動中の性交渉や恋愛感情は禁止されており発覚すれば処分の対象だ。

「よろしいも何も、好きになったのならしょうがないだろ」

「し、しかし規則では──」

「規則は大事だが破られた事が発覚しなければ問題にならない。ベス少尉に作戦が終るまで黙ってろと言われなかったか?」

「そ、それは確かにそう言われましたが…」

「それでいいんだ。ギメル中尉、真面目なのは良いことだが君は頑なすぎる」

ギメルはポカンとした表情をしていたが自分が何を言われたか理解し喜びの表情が戻る。

「あ、ありがとうございます!大尉殿!」

深々と頭を下げるギメル。

「そんな感謝するような事でもないよ。これは君達の隊長である私自分の保身でもあるんだから」

部下の不祥事で上官の責が問われるのは当然だ。

聞かなかった事にする、というのは万が一露見しても「自分は知りませんでした」という責任回避以外の何物でない。

「なるほどな。食堂での質問はその辺が発端か。任務が成功し元の体に戻った場合、ベス少尉と間に子供を…」

アベルはそこで言うのを止めた。

自分はどうなんだ?

元の体に戻りマリーと結ばれ子供をつくることが出来るのか?

それは人類を救済することよりも大変な、途方もない事のように思え、その考えが頭の中を支配していく。

「アベル大尉?」

ギメルに呼ばれ、アベルはようやく我に返る。

「何でもない。それと今更だけど、中尉は私より年上なのだから他の人が見てないところならタメ口で構わない」

アベルはそう言うと、フッと気持ちが少し軽くなった気がした。

「アベル大尉…ありがとう。本当に…ありがとう…」

そう言ってギメルは瞳に浮かんだ涙を拭った。


翌日。

シースワロー2は予定通り横須賀基地に近づいていた。

しかしここでアベル達4人を含めた主要乗務員に対し発令所に集まるよう艦内放送があった。

アベルとギメルは通路を発令所へ急いでいた。

「地下ドッグに入るまで用は無いと思ってたけどな」

「もう横須賀基地との通信圏内ですから…何か連絡が入ったのかもしれませんね」


発令所に到着するとすでに大多数の主要乗務員が定位置の席に着いていた。

室内中央の四角いテーブル型の3次元ディスプレイを向いて座る形だ。

ゲスト用の椅子には既にベスとサエコが座っており、アベルとギメルはそのすぐ後ろに座る。

最後の要員が発令所に入ると入口のドアが閉じられロックされた。

「なんだか物々しいわね」

サエコが心配そうに呟く。

「確かに」

アベルが答える。

奥から艦長のグラハムと副長のセイゴが中央に歩み出る。

「これから説明する内容は機密レベルBに相当します。各員、以降の対応には気を付けてほしい」

セイゴが周囲を見回しながら宣言する。

機密レベルBといえば外部・一般への漏えい禁止に加え、軍内でも佐官以上もしくは作戦直接従事者以外には原則禁止という段階だ。

「先ほど横須賀基地経由でEAUC本部から緊急連絡が入った」

グラハムの声に緊張から感じられる。

「南半球最大のコロニー、シドニー01とシドニー03が…壊滅したそうだ」

室内がどよめく。

「副長、映像を」

中央の3次元ディスプレイに明かりが入り4方向に同じ2次元映像が流れ始める。

燃え上がる地上とその明かりに照らされた巨大なキノコ雲が不気味に浮かび上がる。

遠隔操作の無人ドローンからの映像なのだろう。

爆心地に近づこうと試みるが炎上が激しく近づくことができない。

近づくのをあきらめ今度は遠巻きに高度を上げて行く。

爆心地らしき付近が大きくえぐれているのがかろうじて分かった。

このクレーター状のくぼみ全体が、人々が生活していた地下コロニーだった場所なのだ。

映像を見る限り生存者がいるとは到底考えられない。

「まさか…核?」

ギメルが映像の惨状から誰にともなくそう呟く。

「そんな…いえ、あり得ない、アレはまだ──」

サエコが映像から目を放す事もできず震える声で何かを言おうとする。

アベルはそんな彼女の肩に後ろから手を置いた。

「サエコ大尉、落ち着いて下さい」

耳元でそう呟くとサエコが振り返り二人の視線が交差する。

 

―反物質―


アベルは彼女が何を考えているかを確信した。

「あー、静かに」

グラハムがタイミングを見計らい周囲に静粛を求める。

「大破壊の原因は調査中です」

セイゴが続ける。

「残ったシドニー02はその…以前からアヴァロン共生派の拠点だったわけですが、今回の大破壊に関して次の声明を発信しています」

映像が消え「音声のみ」「短波」の文字と共に音声とそれをテキストに起こしたものが流れる。

『我々はアヴァロン共生組織メディエイター。我々はアヴァロンとのコンタクトに成功、ともに人類の新しい歴史を作っていくという点で合意に至った』

旧式のAIが発するような機械的な音声が響く。

室内が再びどよめく。

『我々の要求は統合軍の武装解除と投降、そして残った人々が皆アヴァロンの管理下に入ることである』

「正気かよ」

「いかれてやがる」

戸惑いや怒号の声が飛び交う。

『今後、我々とアヴァロンに敵対する者には武力を行使しこれを排除する』

「まさか?」

アベルは嫌な予感がした。

『統合軍の拠点であるシドニー01及び03を、我々の指示のもとアヴァロンが新兵器を使用し壊滅させたのがその証明である』

「ふざけるな!」

ベスが立ち上がって怒りをあらわにする。

「落ち着いて下さい。ベス少尉!」

ギメルがベスをなだめる

『人類の新たな繁栄は、アヴァロンの管理下にあってこそ約束されるのだ』

これでメディエイターを名乗る者の声明は終了だった。

室内はどよめきが続いている。

「ごほん。…諸君、まずは落ち着いてくれ」

グラハムがジェスチャーを交えながら続ける。

「シドニーの状況は調査中、今のところEAUC内で大きな混乱などは無く、本部からは作戦続行との指示だ」

作戦とは第11次アヴァロン攻略作戦の事だ。

シースワロー2の主要乗組員たちは全員、何らかの形でこの作戦に関わっている。

「あの忌々しいアヴァロンを、今度こそ叩き潰そう!我々の手で!」

そう言って3次元ディスプレイの盤上に拳を叩きつける。

「うおおおおーッ!!」

発令所内が叫び声と拍手で熱狂的な空気に包まれ、誰もがそれに酔いしれる。

ただアベルとサエコ、二人だけは神妙な面持ちで繰り返される映像を見つめていた。

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