第6話 出 発
「マリー大尉に告白した」
「ブフォーッ」
ベスが飲みかけのビールを盛大に吹き出した。
正面にいたギメルがベスの吹き出したビールをもろに浴びフリーズしている。
いや、アベルの発言を頭の中で処理しきれずに固まっているのだろうか?
少しだけ時間を遡る。
身辺整理2日目の夜。
アベルは通りかかったパブでベスとギメルの姿を見つけ声を掛けた。
整理作業の進捗を確認したところ最終日である明日は各自予定が入っている事が分かった。
つまり作戦前に3人だけでゆっくり話ができるのは今夜が最後かもしれないという事だ。
加えてアルコール(EAUC内では18歳から飲酒可能)も入った為か、いつの間にか「日頃の不満暴露大会」となっていた。
ちなみにテトラボーグはアルコールを短時間で強制的に分解する事も可能だが、あえて処理能力を落とし酔いを楽しんでいる。
不満の言い合いがひと段落したころで色恋沙汰の話になり、アベルは午後マリーに告白したことを伝えたのだ。
「アベル大尉、あんた…ロリコンだったんですか?」
ベスがそう言いながらクロスでテーブルを拭きつつ軽蔑の眼差しを向ける。
「ロリコン?…ああ、ロリータコンプレックスというヤツか。でも大尉はもう14歳だよ?」
「そういえばロリコンは13歳以下に欲情するんだったっけ?いやでもさぁ…」
ベスが不服そうに口をとがらせる。
「それに今までマリー大尉に劣情を抱いた事は無い。ただ彼女が成人したら是非とも一緒になりたいと思ってる」
「大尉殿は…てっきりサエコ大尉と付き合ってるものと思っておりましたが」
フリーズから回復したギメルがハンカチで顔を拭いながら言う。
「そういえばそんな噂を聞いたわね。ちょくちょく部屋に出入りしてるとか何とか」
「それは事実だが…彼女にはちゃんと故郷に婚約者がいるよ。しかし参ったな、噂になってるのか」
アベルはうんざりした表情で噂がマリーの耳に届かない事を願った。
「まぁそれはいいとして。マリーちゃんからの返事は?」
ベスが瞳を輝かせアベルに問い詰める。
「…保留、と言われた」
誤魔化す必要もないだろうとアベルは正直に答える。
「保留?保留ねぇ…」
ベスが神妙な面持ちで考え込む。
「その気がないのなら保留などと言わないでしょう」
ギメルが一応フォローのつもりなのか、そんな意見を述べる。
「う~ん、確かにそういう解釈もあるけど…明後日には一旦お別れじゃん?この局面で返事を持ち越すかなぁ」
ベスは状況分析と女性視点から本気でマリーの真意を考察しているようだ。
「出発前にもう一度だけ聞いて見るつもりだ。…そろそろお開きにしようか」
閉店時間を確認しながらアベルはそう言った。
「そうね。隊長に心残りのある状態で指揮とかされたくないし。まぁ今夜は楽しかったわ」
「明日もお互い忙しいですからね。そうしましょう」
そういって3人は並んで帰路に着いた。
宿舎に到着しまずベスが女性用区画へと一人去っていく。
ギメルと二人きりになったわずかの時間、アベルはとある疑問を彼に聞いてみた。
自室に戻ったアベルはシャワーを浴びる準備をしながら体内のアルコール分解作業を行う。
『コード:S498374 アベル、テトラAIベルゼ コマンド 通常モード下における特殊機能利用 限定解除申請』
『コード承認、アベル大尉、申請内容の詳細をどうぞ』
表層意識に無機質な女性の音声が返答する。
テトラボーグのナノマシン郡を制御するAIだ。
もちろんこのやり取りはアベルの脳内でのみ行われ他者が認識することはできない。
『血中アルコールの無力化を強制的かつ速やかに行いたい』
『命令受諾。現在の状態では通常生理機能にて12時間、強制作業実行後30秒で無力化できます。強制作業を実行しますか?』
『実行だ』
『了解しました』
アベルは裸でシャワー室に立つ。
体内に意識を集中すると腹部の奥が少し熱を持っている事が分かる。
アルコールが急速に分解されている為か、腹部の熱感とは逆に四肢の末端が冷えていくような感じを覚えた。
『アルコールの分解を完了。完全に無力化されました』
『ありがとう。…ベルゼ、ひとつ質問していいだろうか?』
『どうぞ』
『テトラボーグは通常の異性と性交渉は可能か?』
部屋に戻る前にギメルにしたのと同じ事を聞いてみた。
『質問内容は理解。しかし解答不能。データがありません』
『…分かった』
アベルはやはりと思った。
ギメルにも同じ質問したのだが分からないとの回答だったからだ。
『テトラボーグに関する最新データはマリー博士が保有しています。博士に問う事を推奨します』
『…質問終了、通常 待機モードへ』
『了解』
それっきりAIは沈黙した。
「…聞ければ苦労しないよなぁ」
アベルはそう言ってシャワーを浴び就寝した。
翌日。
身辺整理の為に与えられた3日間の最終日。
アベル朝から持ち物の処分とお世話になった人への挨拶回り追われた。
親しい人たちの普段の同行は把握していたつもりだったのだが、どういうわけか今日に限ってなかなか会えなかった。
それどころかなんとなく避けられてる気配さえあった。
そうしているうちに時間もなくなり、結局予定の半数の人にしか挨拶できなかった。
少々落ち込みながら夕食を軽く宿舎の食堂で済ませ、自室に戻る。
すると部屋の前にマリーが立っていた。
「昨夜から自分なりにいろいろと考えてみました」
部屋の隅に転がるバッグ以外、私物の無くなった室内に二人は入った。
マリーはデスクの椅子腰に掛け、アベルは少し距離を置いた場所に立ったままで向かい合う。
話はじめたのはマリーの方だった。
「昨日の件の返事ですけれど…一応OKです」
マリーは真っすぐにアベルを見据えてハッキリした口調で言う。
「一応…ということは?」
「条件付き、という事ですね」
アベルにはなんとなくその条件が分かるが確認の為に問い返す。
「条件の内容を教えて下さい」
「今回の作戦を成功させ、無事に戻ってくることです」
「わかりました」
そう言ってアベルは微笑む。
マリーもつられて微笑み、椅子から立ち上がりアベルの前に歩み寄る。
半歩手前で立ち止まり、彼の右手をその小さな両手で持ち上げ包み込む。そして──
「命令です!絶対に生きて帰って来なさい!」
しっかりした口調で言い放つ。
マリーの身長がもう少し高く、上目遣いでなければ様になっていただろう。
アベルは半ば無意識にその場に片膝を付く。
マリーより目線がやや下になった状態から彼女の瞳を見上げる。
「その命令、必ず成し遂げてみせます」
そう言った直後、端末の呼び出し音が室内に響いた。
「あ、忘れてた…っと、いま連れていきます!」
マリーが自身の端末を操作し、相手も確かめずにそう告げてスイッチを切る。
「アベル大尉!皆さんお待ちかねです。行きましょう!」
マリーが手を引いてアベルを部屋から連れ出す。
「大尉、大尉!一体どちらへ?皆さんって?」
アベルが突然の事に混乱する。
「いいから、早く早く!」
二人は先刻までアベルが一人で食事をしていた食堂に走りこむ。
人もまばらだったハズのその空間は、今はよく知る人々で溢れていた。
「アベル大尉達の送迎会ですよ!」
マリーが嬉しそうに叫ぶ。
「…これは、びっくり。サプライズですね」
すぐ後からベスとギメルも部屋に到着し共に驚いている。
どうやらマリーが数日前から秘密裏に準備をしてくれていたらしい。
「日中、妙によそよそしかったり会う予定の人と会えなかったのはこのせいか」
アベルは愚痴をこぼすが始終笑顔だ。
こうしてアルチョム駐留軍第11次アヴァロン攻略作戦参加兵の3名の送迎会が盛大にはじまった。
ただ大半の人々に対し、3人の今回の異動はまったく別の長期作戦参加の為と説明されている。
今回のアヴァロン攻略作戦は友軍内でも神経質なまでに秘匿されているのだ。
そして3人がテトラボーグになった事も同じく秘密とされている。
幸いテトラボーグのナノマシンによる人体模倣は完璧で、誰も気づいた様子はない。
歓迎会の数時間は、3人にとって一生忘れられない楽しい時間となった。
彼らだけではない。
アルチョム駐留軍や関係のある民間の人々にとっても、久しぶりのお祭り騒ぎとなった。
翌日。
3人は定刻通りにアルチョム中央の大深度地下ターミナル、その0番ホームに正装姿で整列していた。
眼前にはウラジオストック行きの専用列車「アルビータ」が出発準備を整え3人が乗り込むのを待っている。
見送りはマリーを含め数名の軍関係者のみだ。
一通り出兵のやりとりを終え、マリーから各々に個体メモリーが手渡される。
「今回の作戦におけるあなた方の打ち上げまでのスケジュールとテトラボーグの過負荷モードへのリミッター解除方法が入っています」
アベルが脱帽し片膝を付く。
「ありがとうございます」
マリーのやや下の目線から礼を言う。
彼女が歩み寄り両手でアベルの顔を包みこように手を添える。
「貴方たちに軍神マルスのご加護があらんことを」
そう言ってアベルの額に口づけをする。
その瞬間、他には聞こえない小声でアベルが何か呟いた。
一瞬マリーが硬直する。
二人が離れる瞬間、マリーも何かを呟いた。
アベルが立ち上がり再び帽子をかぶりなおし定位置に戻る。
「敬礼ッ!」
ホーム内に軍靴の音が反響した。
3人がアルビータに乗り込むと、音もなくドアが閉まりホームのホログラム掲示が切り替わる。
発車を知らせる電子警笛と共に車体が数センチ浮き上がり、音もなく滑らかに走り出す。
ホームではマリーたちが車体が見えなくなるまで敬礼姿のまま見送った。
ウラジオストックまでの距離は約50キロ、通常なら20分程度で到着する。
車内で用意されていた席は2人掛けの向かい合いタイプ、計4人分の座席だった。
アベルは進行方向きに一人で座り隣に3人分の荷物を置き、他の二人は進行方向とは逆向きに並んで着席する形となる。
「アベル大尉。祝福の口づけのあとマリーちゃんと何を話したんです?」
ベスが席に座るなり目ざとく質問する。
「やっぱり気づいてたか」
アベルがやれやれと肩をすくめる。
「行ってきます、と言った。そうしたら"行ってらっしゃい"と答えてくれた」
「このリア充め!夫婦か?新婚さんか!?」
ベスが笑顔でそう言いながら隣のギメルをバシバシ叩く。
「まるで映画のワンシーンのようだ。感動です」
ギメルも笑顔でそう言いながら、ベスの叩く手をそっと抑える。
「次はただいまと言ってやりたいが…お前たち、何かあったのか?」
アベルはベスとギメルのやり取りに今までにない何かを感じ取った。
「いや、別に?」
ベスはきょとんとした表情で返す。
「大尉、早速ですがスケジュールの確認をしましょう」
ギメルは話題を逸らすかのようにそう言って荷物から大型端末を取り出す。
「ん…ああ、そうだな」
アベルは何か腑に落ちないものを感じつつも、マリーから預かった個体メモリーを取り出す。
メモリーの裏に「アベル用」と手書きの小さな印があるのを見つけ、マリーの笑顔が思い浮かんだ。
「絶対にここへ戻って来るんだ」
アベルは心の中で決意を新たにした。
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