第5話 憧れと欲するもの

アベルはマリーの部屋で午前中の出来事を説明し終え、改めて室内を見回した。

執務室と寝室が別室タイプの、本来ならば少佐以上の佐官に与えられる部屋だ。

マリーは大尉のため尉官用のワンルームが妥当なのだが「特別なお客様」なのでこの割り当てなのだろう。

いや、正直これでも足りないくらいだ。

執務室の隅には作業用のテーブル、その上には端末と昨今では珍しい紙の本が数冊。

棚の上にはティーセットと年代物のアナログ式置時計が時を刻んでいる。

14歳の少女の部屋としては寂しい限りだが寝室は歳相応なのだろうか、などと無用な事を考えてしまう。

部屋の中央のティーテーブルでマリーの淹れたハーブティーを楽しみながら二人は向かい合って話を続ける。


「そうですね。何からお話ししましょう…」


そういってマリーは考えるふりをする。

言うべきこと、言わなければならない事はすでに決まっているというのに。

「私が軍人…と言いますかサイボーグ博士になってしまった経緯あたりから行きましょうか」

「それはちょっと興味ありますね」

アベルは本心からそう言った。

「良かった。少し長くなりますから──」

マリーが申し訳なさそうにはにかむ。

どうぞどうぞとアベルが手を広げアクションで返答する。


「私の生まれは西方の都市サンクトペテルブルク。家族は父と母と兄の4人で2102年までそこで生活してました」

2102年といえばアヴァロンレーザーによってほぼ制海権を失い、地上の都市部への攻撃が始まった頃である。

アベルにはその後マリーの一家が地下コロニーに移住を与儀されなくされたのだろうという事が分かった。

「ご存知かもしれませんが父はEAUCの財務部門で働いてまして、家はそれなりに裕福でした」

アベルは頷く。

この辺の情報はマリーが着任する前に上官から聞かされている。

「アルハンゲリスクという町の郊外に白海の見える別荘がありまして。夏は家族でそこで過ごすのが通例になってました」

マリーは当時の情景を思い出すかのようにどこか遠くを見つめながら続ける。

「2102年の夏、私たちの一家は例年通り別荘で過ごしていました。私は近くに遺跡があると聞き好奇心から一人で歩いて見に行ったのです」

「アルハンゲリスクは軍事拠点として有名ですが…古代遺跡は初耳ですね」

アベルは記憶を辿りながらそう答える。

「温暖化による永久凍土の解凍で2070年代に発見されてたそうなんですが…ちゃんとした調査もされず放置されてたようです」

「なるほど」

「その古代遺跡の地下に迷い込んだ私は…アベル大尉、聞いても笑わないで下さいね?」

「え?…わ、わかりました」

そう言ってアベルは身構える。

「遺跡の中で私は…天使さまに会ったんです!」

アベルはあまりに予想外の単語に思考が一瞬真っ白になる。

「ぷッ…天使…ですか?」

笑いを堪えるのに必死だ。

「だから笑わないでって言ったのに~!」

マリーが顔を耳まで真っ赤にして口をとがらせる。

「すみません。あまりにも想定外だったもので…」

アベルはそういって気持ちを落ち着ける為ハーブティーを一口飲む。

「はい、落ち着きました。続きをどうぞお願いします」

「もぉ…わかりました。と言っても天使さまに会ったのはそれきりですし、会った瞬間からその日別荘に帰るまでの記憶は無いんですが」

「大丈夫だったんですか?」

アベルは本気で心配になった。

「ええ。家族に聞いた話では私は夕方一人で戻り疲れたから休むといって部屋に戻って寝てしまったそうです。私が憶えているのは翌日目覚めてからです」

「その間の記憶が大尉にはないと?」

「ええ。…ただその後からなんです、私の才能…みたいな物が発揮され始めたのは」

「…例えば?」

マリーが眼鏡の位置を直す。

そのときアベルは彼女の瞳に中に異質な輝きを垣間見た気がした。

「テトラに使われてるDNAコンピューティングやエマジェネレータなんて──」

「ストップ!大尉ストップです!」

アベルは慌ててマリーの言葉を遮る。

「さらっと機密情報を漏らさないでください。自分にはさっぱりですが…」

テトラボーグ技術に関する情報は言うまでもなく軍の最高機密である。

「そ、そうですね、すみません。とにかくどんな難しい理論も理解できるようになったんです」

アベルは腕組みをしながら次の言葉を思案する。

「うーん。…マリー大尉が本物の天才だというだけの事ではないのですか?」

マリーは首を横に振る。

「いいえ。私のこの能力は天使さまに与えられたものだと確信しています。上手く説明できませんけど」

アベルはマリーの幼少期における心理障害、もしくはストレス性せん妄を懸念する。

しかし心理学は専門外であり、本人が信じ切っているためひとまず彼女の言葉に合わせて話を進める事にした。

「わかりました。それでマリー大尉が天使のおかげで天才になったとして何か不都合があったのですか?」

アベルは少し意地悪かなと思いながらも質問した。

「…周囲の大人たちはとても驚いて褒めてくれました。当時はそれでちょっと良い気にもなったりもしましたけど…」

マリーは視線を横に逸らしながら口ごもる。

そして改めて正面のアベルの目を見ながら言う。

「今は、普通の女の子として生活したいと願ってやみません。普通に恋して、普通に結婚して、普通に子供を産んで…」

そこまで言って急に赤くなり顔を伏せる。

「…なるほど。マリー大尉は普通の女の子としての生活に憧れているのですね」

アベルが微笑みながら彼女の意を代弁する。

「しかし、今やその普通の生活自体がままなりません。アヴァロンを何とかしない限り…」

「そう、なんですよね」

マリーがため息交じりに言う。


「話題を変えましょう。テトラボーグの事を少し」

「どうぞ。でも機密に触れないようにお願いします」

「ええ。テトラボーグのコアを完全に扱える人間は現在私を含め3人だけなんです」

「コアというのは先日、自分たちの脳幹に埋めていただいたナノマシンの制御装置ですね?」

アベルは言いながら無意識に後頭部をさする。

実感は無いが頭部の中心からやや後ろの部分に埋められているというコアを意識する。

「ええ。アメリカのユリシーズ博士、オーストラリアのブラウン教授…ブラウン教授とは昨夜少し話しましたけど」

「す、すごいですね」

どちらも有名な科学者で、国家元首でさえアポなしで話すことが難しいくらいの超VIPだ。

前世紀中ごろまであった「ノーベル賞」という個人評価システムが残っていたら1回や2回の受賞では済まない程の業績を残している。

アベルは改めて目の前の少女が人類の頭脳と称される重要人物だと思い知らされる。


「コアはその、なんというか…現代の人類の水準を超えた技術の塊です。この事を常に頭の隅に置いてて欲しいのです」

マリーの言い方はあまりに抽象的だが機密に触れないよう表現したのだろうとアベルは解釈した。

「研究はEAUCが…正確には前身のロシア時代から進められてきました。ただ成果が出てきたのはここ15年くらいの間です」

15年といえばちょうどノアの造反の頃だ。

「先日説明した通常モード、戦闘モード、休眠モードの3つの他に実は過負荷モードというものが存在します」

アベルはただ頷くばかりだ。

「過負荷モードはリミッターを解除し戦闘モードを長時間使用可能になりますが脳に破滅的なダメージが残りますから絶対使用しないでください」

マリーが語気を強めて言う。

「各々のリミッター解除コードは作戦行動開始前に他の二人にもお伝えしますが…やっぱり絶対に使用しないで下さい」

「教えるのに使うなとは…矛盾してますねぇ」

アベルが苦笑しながら指摘する。

「仕方ありません。決まりですから」

マリーも苦笑しながら初めて自分のハーブティーに口をつける。


しばしの沈黙の後、マリーは眼鏡を外しテーブルの上に置いた。

何か決心したように深呼吸し話し始める。

「最後に…前回のアヴァロン攻略作戦に参加した2人のテトラボーグについてです」

アベルはマリーの声のトーンが落ちた事に気付く。

「2人のうちの1人は…私の兄、カインです」

アベルは驚いたが黙って次の言葉を待つ。

「兄は…当時まだ12歳の私に、自身をテトラボーグ化するように言いました」

うつむきながら続けるマリーの声が震えているのが分かる。

「私は兄の望むことならできる限り沿うようにしようと考えました。実際はブラウン教授のサポートという形で施術に参加しましたが」

言葉に嗚咽が混ざる。

「…マリー大尉?」

アベルは彼女がとても思いつめている事にようやく気付き声を掛ける。

これは懺悔だ。

「そして結局私は…兄を失ってしまった!」

彼女は音を立てて両手をテーブルにつき立ち上がる。

しかし顔は俯いたままで表情は分からない。

「…酷い妹ですよね。実の兄を改造して、成功する可能性の殆どない作戦に送り出すなんて」

「マリー大尉!」

アベルは彼女の言葉を遮らなければならなかった。

作戦成功を不用意に否定する発言は査問の対象となり下手をすると反逆罪を問われかねない。

「私は…また同じ過ちを犯そうとしているんです!あなたたちに!」

マリーがようやく顔を上げる。

髪を振り乱し悲痛の表情で瞳には涙を浮かべている。

「そ、そんなことは──」

アベルが気圧され言葉に詰まる。

「仮に貴方や他の人たちが許してくれても、例え命令であったとしても!」

マリーが普段の彼女からは想像もできない声量で言い放つ。

「自分で…酷いことしてる自分が、許せない」

そう言って力なく椅子に座り、両手で顔を覆ってしまう。


しばらくの間、マリーの嗚咽とアナログ式置時計の音だけが部屋を支配する。

秒針が一周したころ、アベルは呼吸を整え、ハーブティーを一口含み飲み込んだ。


「…美味しい。とても美味しいお茶ですね」

アベルはずっと自分を責め続けていたマリーがとても愛おしく思えた。

「大丈夫です。マリー大尉は…君は普通の女の子です」

彼女の心を救わなければならない、絶対に、何があっても、自分が。

「勉強熱心で、仲間思いで、料理が上手で…」

自分でも不思議と、言葉があふれてくる。

「将来明るい家庭を夢見る、心の優しい14歳の女の子です。自分が保証します」

ここでようやくマリーが顔を上げ、アベルと視線が合う。

「誰が何と言おうと、どんな結果になろうと、自分も、ベス少尉も、ギメル中尉も、絶対にマリー大尉を恨んだりしません。命令を下した上層部は恨みますが…おっと、今のは聞かなかった事にして下さい?まだ出世を諦めてはいないので」

さっきのマリーの失言とおあいこ、というわけだ。

「…あ、ありがとうございます、アベル大尉」

そう言いながら自分でポケットからハンカチを出し涙を拭く。

「…落ち着きましたか?」

「はい。ごめんなさい、取り乱してしまって」

ハンカチをテーブルの上に置き、代わりに眼鏡を手に取り掛けなおす。

「誰かに、自分の気持ちを知ってほしかっただけもしれません」

「大尉はまだ14歳ですからね。大人を頼ってくれてかまいません。自分が大人なのかと言われるとちょっと自信ありませんが」

マリーがクスリと笑みをこぼす。

「大尉は自分が14歳だった頃なんかより全然大人で、よくやっています」

「アベル大尉の14歳の頃ですか…ちょっと見てみたかったですね」

マリーはアベルに聞こえないように小声で呟きニヤけそうになる。

「何か言いましたか?」

「いえ!べ、別になんでもありませんよ!」

焦って語尾ががおかしくなる。

アベルはマリーの復調を確認し兼ねてから考えていた事を言うことにした。

「そうだ、忘れないうちに。立ち直ったばかりのところ申しわけありませんがマリー大尉に言っておきたい事があります」

「なんでしょう?」

「先日、モスクワのEAUC本部に私たちの謹慎を早期に解くよう依頼したのは…攻略作戦の為ですか?」

「え…と、そうですね。第11次攻略作戦のスケジュールが送られてきたんですがテトラボーグ化の事を考慮すると時間が足りなくて…やむを得ず」

「そうでしたか」

「…もしかして私がわがままで強権を振るったとでも思いました?」

図星だった。

「最初はそう思いました。まぁ仮にそうだったとしても東方方面軍トップ周辺の面子の問題なので。ただ先の事考えると大尉の仕事に支障が出るかもと思いまして」

「心配して下さっていたのですね。ありがとうございます」

「いえいえ。では心配ついでにもう1つ」

「何でしょう?」

「銃を撃つのもままならないなら銃弾掌握テストなど他の者にまかせた方が良いと思います」

「あ…もしかして、震えてたのに気付きました?」

「はい。大尉に現場仕事は向いていないと思います」

「はぁ…まいりました。降参です」

そういってはにかみながら力なく両手を上げてみせる。

「できれば研究者として後方で奮闘していただいた方が…いや、そもそもノアの造反がすべての元凶なのか」

アベルは眉間にしわを寄せ斜め上を見上げる。

見えるはずもない遥か上空のアヴァロンを睨み付けるように。

「そうですね。テトラボーグの研究も面白いですが…もともと量子トランスポーターの研究をしてたんですよ、以前は」

「量子トランスポーター?」

アベルは聞き覚えが無い言葉に首を傾ける。

「簡単に言えば…物質転送装置です。今でも1センチ四方の無機物なら可能なんですよ!アルゴノーム式送信アンテナとB型レセプターで地球から月への転送も1度成功してますし!」

マリーが笑顔で揚々と続ける。

「ただエネルギー消費がものすごいので実験も簡単にはできませんけど…」

あっという間に笑顔から消沈モードになる。

「エネルギーですか。今回の作戦を成功させてアヴァロンを排除…というより、ノアからアヴァロンを奪還できればエネルギーも確保できますからね」

アベルが握りこぶしを作りながら言う。

「作戦が成功して皆さんが無事戻ってきたら何かご褒美をあげないといけませんね」

マリーの顔に笑顔が戻る。

「ご褒美ですか。自分ひとつ欲しいものがあります」

「一応聞いておきましょうか」

「マリー大尉、今回の作戦が成功し無事に帰還できたなら、自分とお付き合いしていただきたい」

「はぁ…はひぇ?」

マリーはアベルの発言を処理しきれず奇妙な返答をする。

「ですから結婚を前提にお付き合いしていただきたいと思います。あ、結婚はもちろん大尉が成人してからですから」

マリーの顔がみるみる赤くなる。

「あ、え、うぁ…アベル大尉、かかからかってるんですか!?」

マリーはショックのためか呂律が回らない。

「いいえ本気です。確かに一兵卒の自分と人類の頭脳と呼ばれるマリー大尉とは釣り合わないかもしれまが」

アベルも気持ちが高揚してくる。

「そんな事は!気持ちは嬉しい、です。少し、考えさせて…いえ!前向きに検討したいと…」

マリーはそう言って顔を伏せってしまった。

しばしの沈黙、そして──

「…出てって下さい」

「は?」

「返事は…保留です!ちょっと一人でいろいろと考えたいので!」

そう言って立ち上がり顔を上げないままアベルも強引に立たせ部屋から追い出す。

バタンとドアを閉められアベルは廊下でひとりとなる。


アベルは「保留」ということは希望はあるのかな、と自分を納得させ大人しく部屋に戻る事にした。


数分後、マリーの部屋から狂喜の声と食器の割れる音がした。

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