第3話 人を超えし者
「ごめんなさいアベル中尉。これが決まりなの」
マリーはそう言って彼に銃口を向ける。
「…遺書は書きましたからね」
そう言ったアベルの顏に表情はない。
瞳は真っすぐにマリーの構える拳銃を見つめている。
ここはアルチョム地下コロニー第5区画にある駐留軍所有の射撃場だ。
直径約300メートルの巨大なドーム状の空間、その中央にアベルは立たされている。
20メートルほど離れた場所に立つ4歳年下の上官、マリーに銃口を向けられて。
マリーの背後50メートルには他の軍関係者数名が立っておりその中にはベスとギメルの姿も見える。
ベスは無表情を装ってはいるが脈が通常より少し早い。
ギメルは後ろに組んだ手に力を込め、普段より一層険しい表情を作っている。
二人ともアベルの姿を見据え微動だにしない。
「いきます!」
マリーが叫び拳銃の引き金を引いた。
その瞬間アベルの中で「スイッチ」が入った。
バン!
1発の銃声が射撃場内に響く。
弾道は間違いなくアベルの体の中心を貫いていた。
「…!」
アベルが片膝を付く。
「アベル中尉!」
マリーが駆け寄る。
「…ダメじゃないですか大尉。ちゃんと頭を狙わないと」
そう言って少しだけ微笑みながらアベルはマリーに右手の握り拳を差し出した。
「も、もしもの事を考えるとどうしても急所は狙えないですよ。要件上は問題ありませんし…」
アベルから差し出された拳が開かれ、握られていた小さな物体をマリーは両手ですくう様に受け取る。
マリーが発射した拳銃の弾丸だ。
アベルはマリーの撃った銃弾の弾道を見切り素手で弾丸を掴んで止めたのだ。
銃弾を受け取ったマリーの手が微かに震えていることにアベルは気付いたが特に何も言わなかった。
パン、パン、パン。
「これで3人ともテストはクリアね」
ベスがゆっくり芝居がかった拍手をしながら歩み寄る。
そう、これはサイボーグ化後の性能テストのひとつなのだ。
「自分は中尉なら大丈夫だと信じておりました!」
ベスから半歩遅れて来たギメルがアベルに握手を求める。
「…ありがとう」
握手に応じながらアベルがマリーに提案する。
「マリー大尉。せっかくなのでこのままもう少し別のテストをしたいと思うのですが」
「え?」
「いいねー。せっかくテトラボーグが3人も揃ってる訳だし…格闘戦とかどう?」
ベスの目が細くなる。
何か良からぬことを考えている証拠だ。
「戦闘能力AAA(トルプルエー)のアベル中尉殿に戦闘能力AA(ダブルエー)の私たちが何処まで通用するか、確かめてみたいですし」
ベスは遠回しに自分とギメル対アベル、2対1の戦いを申し込む。
「そ、そんな事──!」
不穏な空気を察知し必死に止めようとするマリーを遮りアベルが応じる。
「別に構いませんよ。自分はこの二人が相手でも遅れを取ることはありませんから」
この言葉にベスが一気に沸点を超える。
「…っ!言ってくれますね中尉殿」
「で、でもまだ制御系の微調整とかいろいろ…」
うろたえるマリーにアベルが妥協案を提示する。
「分かってます。現状戦闘モードの連続稼働時間は最大90秒。ですので安全を考慮して60秒だけお願いします」
「うう…でもそれで収まりますか?」
マリーが憤怒状態のベスをチラ見しながらアベルに小声で確認する。
「やるだけやってみます。もし時間切れになったら大尉殿の方で自分たちの戦闘モードを強制解除して下さい」
「それは可能ですが…わかりました。許可します」
マリーはもし今無理に止めてもベスは納得しないだろうと判断し、アベルの裁量に任せることにした。
「しゃあっ!早速始めましょうか!」
ベスが言い終わると同時に3人が戦闘モードへ移行し、常人では目視も困難な超速度格闘が開始される。
『大尉、危険ですから下がってください!』
あっという間に100メートル以上離れた場所で戦闘しているアベル、その彼からインカムにフォローが入る。
「あ…どうか、気を付けて!」
自分でも驚くほど大きな声が出てしまった事に戸惑いながらもマリーは射撃場の外延へ向けて走り出す。
STジャマー破壊による1日だけの謹慎を解かれてから更に3日後。
3人は万が一に備えて正式な手続きを踏まえた遺書を記し、その後半日もの大手術を経て「テトラボーグ」となったのだ。
ちなみに2年以内であればもとの普通の体に戻る事も可能である。
その間オリジナルのボディは丁重にハイパースリープ(人工冬眠)状態で専門の施設に保存される。
施術は成功し術後の経過も良好、その後2日間にわたって行われた各種性能試験の結果も上々だった。
銃弾掌握テストはその仕上げである。
テトラボーグのボディを構成するのは99%が遺伝子サイズのナノマシン郡である。
ナノマシン郡は脳幹に埋め込まれた「ダイモン」と呼ばれる対話も可能なAIシステムによってリアルタイム制御され人体を完璧に模倣する。
骨や筋肉や血管はもちろん各臓器、呼吸や心臓の鼓動に発汗や唾液といった生体現象も再現し皮下には疑似血液も流れている。
電力供給と生身の部分の維持に必要な数種類の栄養素の摂取によって活動エネルギーを得るが食事による補給も可能だ。
その場合は排尿・排便などの生理現象も再現される。
非効率的だが定期的に普通の食事をした方が将来もとの体に戻る際に脳への負担が軽くなるとのマリーの意見である。
素材が有機物ベースの為、マイクロサイズのレベルでは通常の人体と見分けがつかない。
ただしそれらは「通常モード」と呼ばれる状態の話であり他のモードになればボディの状態は激変する。
例えば「戦闘モード」となれば皮膚は金属の様に硬化し筋肉繊維は数倍に増大、エネルギー流路も強化。
生身の部分である脳の視覚野を調整、時速400キロの弾丸を見切り、高速で手を動かし気圧差で空気の壁を作り弾丸の運動エネルギーを相殺、掴み取る。
重機並のパワーで拳を繰り出し、重二輪車両並の速度で移動し、迫撃砲並の瞬発力で十数メートルの壁を飛び越える事も可能である。
まさに究極のサイボーグ兵士というわけだ。
マリーが射撃場のモニター室に入ったとき他の研究員たちはすでに戦闘データの取得を行っていた。
「3人のダイモンを呼び出して、緊急停止コードの準備を!」
モニター室内にマリーの指示が反響する。
既に約束のタイムリミットまで残り数秒となっていた。
アベルとそのダイモン「ベルゼ」
ベスとそのダイモン「ザゼル」
ギメルとそのダイモン「ベリル」
3人のボディと共にそれぞれのダイモンの状態がモニターに映し出される。
「こ、これは!?」
モニターを確認したマリーが驚愕する。
全員の戦闘モードが既に解かれていたのだ。
そればかりかベスとギメルの二人は地面に倒れているのが光学カメラの映像から確認できる。
倒れている二人のバイタルデータでは脳波異常が表れており、それは意識が朦朧状態で起き上がれない事を示していた。
「アベル中尉!他のお二人に何をしたんですか?」
マリーがおそるおそるインカムで問いかける。
「大尉…二人には軽く脳震とうを起こしてもらいました」
マリーは戦闘の映像記録をプレイバックする。
「…なるほど。そういう事ですか」
アベルが二人の顎に短時間の間に複数回のダメージを与えている場面が確認できる。
どんなに強力なサイボーグでも脳は生身、アベルはその弱点を突いたのだ。
「しかし二人相手はちょっと厳しかった。というわけで大尉、あとを頼みま…す」
そういうとアベルもまたその場に倒れこんだ。
「中尉?アベル中尉!…医療班を回して!早く!!」
~3時間後~
「ほんとに無茶ばかりするんですから」
士官食堂の隅でマリーは部下である3人に文句を言いながら配膳を行う。
「あの…お手伝いしましょうか?」
ベスが申し訳なさそうに進言する。
「ありがとうベス准尉。でも大丈夫、もう終わりましたから」
そういってマリーも席に着く。
各々の前には具沢山の野菜スープとパン、それに子羊のソテーが並んでいる。
「それでは、いただきます!」
「いただきます」
3人の声が重なる。
射撃場でダウンした3人だったが、液化栄養剤の補給ですぐに回復、検査でも異常はまったく見られなかった。
アベルがダウンしたのは初のテトラボーグ同士の近接格闘でカロリー消費の加減を見誤り、エネルギー切れを起こしたのが原因だった。
一度ダウンし冷静になった3人はマリーに謝罪、マリーは文句を言いながらも謝罪を受け入れ夕食に招待した。
「4人揃っての食事は…遺書を書いた日以来ですね」
アベルが誰にともなく言う。
「あの日は最後の晩餐になるかもと思いましたが」
ギメルが思ったことをそのまま述べる。
「そう言えばあの日とほとんど同じメニューじゃないですか?」
ベスが気付いたことをそのまま言葉にする。
「ふふふ、ようやく気づきましたね」
マリーが不敵な笑みを浮かべながら答える。
「…やはりそういう事ですか」
アベルが何かを察したように言う。
「中尉殿、どういう事でしょうか?」
ギメルが食事の手を止めて首を傾ける。
「大尉、自分から説明してよろしいですか?」
アベルが上官に許可を求める。
「ええ、お願いします」
マリーが微笑みながら許可を出す。
「一言で言えば、これはテトラボーグ化した感覚器官、主に味覚のテストなんだ」
ギメルがようやく気づく。
「なるほど!サイボーグ化前と後の味の違いを確かめてるわけですか!」
マリーが頷く。
「その通り。もちろん日頃の皆さんの感謝をねぎらう意味もありますけれど」
ここでアベルが極秘情報を漏らす。
「この野菜スープの材料、大尉が先週コロニーの外で収穫したものですね」
マリーが驚いて何かを言おうとするがそれより早くギメルが叫ぶ。
「なんと!我々の為に大尉殿がレーザーに撃たれるかもしれない危険を冒して材料を確保して下さっていたのですか!?」
アベルが更に情報を追加する。
「もうひとつ言うと、大尉殿が自らが仕込み段階から調理されている」
ギメルの涙腺が崩壊する。
「くっ…小生、感動いたしましたっ!!」
そう言ってギメルは流れ落ちた自分の涙が混じったスープをスプーンですくって飲んでいる。
「あーもうだらしないなぁ」
見かねたベスがハンカチを出しギメルの目元を拭く。
はたして涙の成分は先ほど摂取した栄養剤だろうか?
「ふむ。これでは味覚のテストにならないですね」
アベルが少しだけ表情をほころばせながら呟く。
「困りましたね。ところで中尉、私がスープを作っている事をどこから?」
マリーが不思議そうに先ほど言いそびれた問いを投げかける。
「こう見えても厨房のおばちゃん達と仲がいいのですよ。食材調達は作戦局でも手伝ってますし」
言い終わるとアベルはスープを口に入れる。
「なるほど。…ところでお味の方はどうですか?」
マリーが少し緊張しながら問いかける。
「美味しいです。前回よりコクがあるように感じますが?」
その答えを聞いたマリーの表情が一気に明るくなる。
「分かりますか?実はスープだけ前回と少し味付けを変えたんです。料理長さんに教わってですね──」
ささやかながら楽しい時間が過ぎる。
生きてる間にあと何回、こういう楽しい場面を体験できるだろうか?
アベルは心の隅でそんなことを考えていた。
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