第3話 亀井と卒業

 ひとつ、面白い話をしよう。

 過疎化の波が押し寄せてこようとしている、田舎一歩手前みたいな都市かぶれの町。そしてそこに古くからある図書館。そこに一人の美人女子高生がいた。

 彼女の名は亀井。後に『エキセントリック・タートル』というペンネームで世間を席巻する稀代の小説家だ。成功者の多くが大器晩成型という夢追い人の言い訳を撃ち砕かないため、彼女はいまだその牙を隠しているが、本気を出せば芥川賞などチョチョイのチョイとかっさらえるほどの実力を持っていた。

 さて、そんな彼女にもお気に入りの場所がある。

 古ぼけた図書館の一角、保護色のように壁と同化した本棚が奇跡的に隠してしまったスペース。彼女はここを『聖域』と呼び、日々の執筆活動の大半をここで行っていた。

 あくる日、彼女はとても疲れていた。日直などという非生産的この上ない業務をこなし、かつ担任である教師に『お前もっとちゃんと喋れるようになったほうがいいぞ』などと自分勝手極まるアドヴァイスを受け、唯一いた友達にさえ『そうだね、私以外ともちゃんと話せるようになったほうがいいと思うよ』と、真顔で忠告されたのだ。精神的にも肉体的にも、かなりの疲労がたまっていたことは明白だった。

 こんなときは執筆にも影響が出る。主人公はとんちんかんな推理をし、ヒロインは簡単にチャラ男になびき、サブキャラは特に面白みもなく死ぬ。

 まぁ俗にいうスランプの状態に、彼女は陥りつつあった。

 だが諸君、思い出してほしい。彼女はそんじょそこらの物書きではない。自己の体調を把握し、より効率的に執筆をするための自己管理も怠らない。賢明な彼女はこういう時にどうするか、あらかじめ考えていた。

 その流麗な目を閉じ、ただただ自分の中に意識を向ける……瞑想である。

 長いような短いような、不思議な時間の流れを感じながら、自らの中に溺れていく。

 どれほど経っただろうか、不意に彼女はその綺麗な瞳を露わにした。

 精神的な健康を取り戻し、かつ体を休めることによって肉体的な疲労も軽減する。まさに一石二鳥のこの瞑想。だがしかし、一つだけ欠点と呼ぶべきものがあった。

 口元に違和感。何事かと思い、指先で触れてみる。ねちょり。

 これは……ヨダレ……?

 続いて異変に気付く、図書館が……暗い。

 反射的に時計を探す。あった。壁掛け時計。月明かりに照らされて見える。現在の時刻は……

 午前二時。

 瞑想による欠点。それは、ついつい途中で寝てしまうことであった。

 これが普通の女子高生であったなら、慌てふためき、泣きじゃくっているところだろう。だがしかし…………




 いや、どうすりゃいいんだよ。

 月明かりに照らされた深夜の図書館で私はひとりごちる。

 もう何もできないから暇つぶしに現状を文章に書き起こしているが、この先はもう停滞しかない。

 窓は全て錆び付いてガタガタで、私一人の力では到底動かせそうにない。正面入り口は当然カギによって閉められていた。一応、中から外すことは出来たのだが、なぜかこのクソぼろっちい図書館は二重のセキュリティを採用しているらしく、扉に外付けで南京錠が追加してあり、泣く泣く諦めた。

 家族に連絡して助けを呼ぼうと考えたが、片っ端から電話をしても誰も出ず、クソッタレなことに家族全員グッスリすやすや眠っているようだった。娘が心配ではないのか。

 ていうか職員は!? あの職員はここの存在知ってたはずだろ!? 最後に確認位してくれよ! あわよくば起こしてくれよ!

 とまぁそんな悪態もつき終わると、今度は急に冷静になってきた。

 あー……これ明日の朝までこのままなのかなぁ……まぁ一日くらい食べなくても生きられるし、トイレも建物内にあるし、あんまり危機的状況ってわけでもないよね。うん。前向き前向き。明日の何時位に開館するのかなぁここ。

 キョロキョロと周りを見回すと、予定の書いたカレンダーらしきものが目に入る。スマホの明かりで照らしながら明日の予定を確認する。休館日。


休館日。


繰り返さなくともいい、私の中の亀井よ。わかっている。つまり今宵、私は卒業するしかないのだ。この夜の図書館を。







翌朝、弟のエルボーで目が覚めた。

起き抜けに裏拳。躱される。悔しかったので「オラァ!」と威嚇しておく。

眠たい目をこすりながら洗面所へ。しかし、父がヒゲをそっていたので撤退。先に朝ご飯を食べることとする。

 リビングに到着。朝のローカル番組では、ありきたりのないニュースを、つまらなそうに男性キャスターが並べ立てていた。

「今朝未明、町立図書館の窓ガラスが割られていたと、警察に通報がありました。職員によりますと、昨夜施錠した時、中には誰も残っていなかったということで、何者かが内部に侵入しようとしたのではないか、との疑いが……」

 母の入れてくれたコーヒーを飲みながら私は考える。

 物騒な事件もあったものだなぁと。

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