第11話 恋人

 活は、人見知りが激しい。

 善次郎以外の人には姿を見せない。

 会社が倒産した時に、善次郎の交友関係のほとんどが切れてしまった。

 だから、善次郎の部屋に客が訪ねて来ることは滅多にないが、たまに誰か来ると、ベッドの下に潜り込んでしまう。

 チャイムが鳴った瞬間、それまで遊んでいようと、寝ていようと、ぼうっとして外の景色を眺めていようと、脱兎のごとく駆け出して、ベッドの下に潜り込む。

 善次郎ひとりの時は、わがもの顔に振る舞っている活も、この時ばかりは、人が、いや、猫が違ったようになる。

 一度、こんなことがあった。

 水道の修理に来た兄ちゃんが猫好きで、家で三匹飼っているという。

 その兄ちゃんが猫じゃらしを見つけて、猫を飼っているのかと聞いてきた。

 善次郎は、問われるままに活のことを話し、ベッドを指さし、今は避難中だということを告げた。

 猫に対して自信を持っていた兄ちゃんは、善次郎の止めるのも聞かず、腹ばいになりベッドの下を覗いて、活に呼びかけた。

 だが、活は返事をしない。

 何度呼びかけても返事もしないので、しまいには兄ちゃんは、しょんぼりした顔をして、ベッドの下から顔を離し、立ち上がった。

 そんな兄ちゃんを見て、少し可哀想になったのと、活を人に見せたいとの欲求から、善次郎はベッドの下に手を入れて、活を引っ張り出そうとした。

 善次郎の手が活を掴んだ瞬間、フーという声がして、善次郎の指が噛まれた。

 それでもめげずに活を引っ張り出した善次郎は、活を抱いて兄ちゃんに見せようとした。

 活の両の前脚が激しく動き、善次郎の胸から脱出して、再びベッドの下へと潜り込んでしまった。

 後に残ったのは、もう着れなくなった、ずたずたに裂けたTシャツと、無残に掻き毟られた善次郎の胸の傷跡だけだった。

 兄ちゃんはすまなさそうに詫びて、そそくさと帰っていった。

 猫の警戒心が強いのは善次郎にもわかっているが、活の警戒心が特別強いのかどうかはわからない。

 巷に猫カフェなんかがあるように、見知らぬ人間を見ても、物怖じしない猫もたくさんいるようだが、そこの猫がすべてペットショップで買われたものなのか、野良も混じっているのかわからないが、活にはとても無理だろう。

 毎日大勢の人を見ていれば、慣れてくるものなんだろうか?

 善次郎は、活の人見知りをなんとかしたかった。

 それには、訳がある。

 最近、善次郎に恋人が出来たのだ。会社の事務をしている女性だ。

 善次郎は、見た目は悪くない。会社を経営していただけあって、それなりに落ち着きもあるし、会話もできる。

 彼女も、善次郎と同じくバツ一だった。

 会社の飲み会でふとしたことからお互いの身の上を知った二人は、共に親近感を抱き、交際へと発展していった。

 いくら活がいるとはいえ、独り身の寂しさを募らせていた善次郎には願ってもないことだった。

 その彼女が、善次郎の家へ来ると言う。

 彼女も猫が好きらしい。活の話を聞き、彼女は目を輝かせた。

 むさくるしい男やもめの部屋を、交際間もない女性に見せたくはなかったが、どうしても活を見たいという彼女の頼みを、善次郎は断りきれなかった。

 人見知りのことを言っても、「絶対大丈夫、猫は動物が好きな人は見分けられる。私も、前は猫を飼っていたので、私がいけば必ず懐くはずだ」と言って譲らなかった。

 水道屋の兄ちゃんの話をしても、「それは本当の猫好きじゃない」そう、ばっさりと切り捨てた。

 そこまで言われては、善次郎には断る理由がなかった。

 彼女の来訪をしぶしぶながら承諾したが、善次郎の不安は拭えなかった。

 猫の警戒心のことを、ネットで色々調べてみたが、やはり個体によるらしい。

 いわゆる、性格というやつだ。

 活の場合、環境も若干は影響していると思われるが、それでも、生まれ持ってのものが強いみたいだ。

 考えてみれば、人間にも色々いる。

 人前の出るのが苦手な奴もいれば、大勢の前で平気で歌う奴だっているのだ。

 何も、猫に限ったことではない。

 善次郎の見解は、そこに落ち着いた。

 確かに、人間と猫は違う。だからといって、猫というだけで一括りに考えるのも問題だ。

 また、ひとつ賢くなった。

 ただ、善次郎には、ひとつだけわからないことがある。

 あれだけ人見知りの激しい活が、なぜ、善次郎の前に姿を見せたのだろうか。

 あの頃の善次郎は、猫なんてまるっきり興味がなかったというのに。

不思議なものだ。

 活が切羽詰まっていたと言ってしまえばそれまでだが、善次郎は、何か運命めいたものを感じていた。

「なあ、活よ。彼女の前では、姿を見せてくれよ」

 今日も元気で走り回る活に、善次郎が話しかける。

 活が脚を止め、善次郎の方を向いてニャアと鳴いた。

 その眼は、「んなこと知らねえよ」と言っているように、善次郎には見えた。


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