第5話 悪女

 活(かつ)は、気儘だ。

 夜中に、突然一人運動会を始める時がある。

 善次郎の楽しみは、次の日が休日や夜勤がない時だ。

 なぜかというと、夜に眠れるからだ。

 当たり前のようだが、夜勤ばかりをしていると、夜に眠るということが無常の贅沢に思える。

 どうも人間は、昼間に起きて、夜眠るように出来ているらしい。

 昼間に寝ても、寝た気がしない。騒音も結構あるし、いくらカーテンを閉めていても明るい。

 だから、善次郎は週に一二度訪れる、夜の眠りをとても楽しみにしている。

 他に楽しみのない彼の、唯一の楽しみといっても良い。

 一風呂浴びてさっぱりした後の、一杯の酒。

 善次郎は、酒はあまり強くないほうなので、ビールなら一本、日本酒なら一合でほろ酔い気分になる。

 夜も更けた頃、ほろ酔い気分でベッドに入る瞬間がたまらない。

 一日の疲れも取れるし、明日への活力も湧いてくる。

(さあ、寝るぞ)

 そう思って眼を閉じる時が、善次郎にとって究極の贅沢の瞬間だ。

 だが活は、そんな善次郎の楽しみを、無残に打ち砕いてくれる。

 昼間はぐうたらしているくせに、夜になると元気になる。

 部屋の中を走り回り、安らかに寝ている善次郎の腹に、いきなり飛び乗ってくる。

 その度に、善次郎の安眠は破られることになる。

 怒っても無駄だ。

 最初は怒っていた善次郎も、それを悟り、今では無視している。

 活は、それをいいことに、何度も善次郎のお腹を踏み台にし、ベッド脇の壁に三角飛びをする。

 そして、善次郎のお腹に着地する。そのくせ、自分が寝ているところを邪魔されると怒る。

 一度、仕返しのつもりで、寝ている活のお腹を叩いたことがある。

 その結果、善次郎の腕には、活の鋭い爪で勲章が刻まれた。

 運動会をしない時でも、善次郎を起こしにくることがある。

 お腹が空いている時だ。

 活は、いつも決まった時間に餌を食べるわけではない。

 最初は決まった時間に与えていたが、空腹を覚えないのか、餌をやっても直ぐに食いつかないことの方が多かった。

 どうやら犬と違って、猫は、与えれば与えたぶんだけ食べるわけではなさそうだ。だから最近は、いつでも食べられるように、ずっと置いておくことにしていた。

 ドライフードなので、一日くらい置いていても問題はない。

 寝る前に確認して、足りないようなら補充し、たっぷり残っているようならそのままにして、万全の備えをして眠りに入る。

 しかし、必ずといっていいほど、明け方に起こしにくる。

 最初は甘えたような声で鳴きながら腕や足を舐めたり、顔に頬を擦り付けてくるのだが、眠気に任せて無視していると、いきなりパンチを浴びせられる。

 いわゆる、猫パンチというやつだ。

 これは、結構強烈だ。眠気など、一瞬にして吹き飛んでしまう。

 最初これをやられた時は、善次郎にはなにが起きたのか理解できなかった。

 善次郎が慌てて起きると、活は何事もなかったようにニャアと鳴き、餌が置いてある方へと誘うように歩きだしので、何事かと思って付いてゆくと、容器が空になっていた。

 あれだけたくさん入れておいた餌がなくなっていた。

 足りなくて、催促に来ていたのだ。

 動き回ってお腹が空くのか、たくさん置いてあった餌を食べ尽くしても足りないようだった。

 夜中に、こんなにがつがつ食べなくても。

 そう思いながら、善次郎は餌を足した。

 そんなことがあってから、何度か容器をふたつにして置いておいたが、そういう時は、あまり減っていなかった。

 偶然かもしれないが、善次郎には、活がわざとやっているようにしか思えなかった。

 餌を食べ尽くすのも、善次郎を起こす口実ではないかと。

 案外寂しがり屋だから、一人で起きているのが嫌なのかもしれない。かといって、何もないのに、善次郎を起こすのは気が引けるのかもしれない。

 もっとも、猫にそんな遠慮があるかどうかは知らないが。

 ともかく、どうも猫の辞書には、我慢という文字が欠けているいるようだ。

 しかし、こんなことも夜中や明け方だけで、夜勤明けで昼間寝ている時は、活も善次郎の傍で一緒に寝ている。

 考えてみれば、ライオンやトラは夜行性なので、同じネコ科としては、活も夜行性なのだろう。

 しかし、運動会といい餌の催促といい、まったく善次郎のことを考えない身勝手な行動に、善次郎には忸怩たる思いがある。

 飼い主を、なんだと思っているのだ。

 そうは思うのだが、なぜか腹は立たない。 

 今日も、無常の楽しみとしている夜の眠りを邪魔された善次郎だが、いそいそと容器に餌を入れていた。

 その時の善次郎の気持ちはこうである。

 仕方がない。悪女に惚れたようなもんだ。

 惚れたほうが負けなのさ。

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