第3話 真実

『そろそろこの町の秘密に気がつく筈だ』

 そう言って、消えていった佐々部の言葉が離れずにいた。

 昨日、海原橙は現実離れしたものを見て、実感して、眠れずにいた。時刻は二時を指しており、明日の仕事のことを考えると睡眠をそろそろ睡眠を取らないといけなかった。しかし、今までお世話になった上司が昨日突然、目の前で消えた。意味深な言葉も残して。そんな状況で眠れずにいれなかった。

「……」

 海原橙は起き上がり、パソコンを立ち上げた。今夜は徹夜をするつもりだった。

(明日きついだろうな。まあ、最悪の場合見回りのときに秋のところで休むか)

 そんな不真面目なことを考えながらインターネットに接続する。

「やらなきゃ、いけないんだ」

 何故かそう思っていた。このことを解明しないと自分はきっと何か大切なことを知らずに、大切なものを失くしてしまう気がしてならなかった。

 手当たり次第、キーワードを入力していった。肉体の消失、病気、蒸発、あの時の状況を明確に思い出し、それに合うキーワードを一つずづ検索していった。しかし、何も出てこなかった。

「やっぱりネットには載ってないのか」

 元々が秘密企業に近い会社なんだ。そんなありえないことを公に公表する筈がない。

「……」

 海原橙は考えた。

「昇華…」

 そういえば高校の化学で習った。固体から気体へと変わる。人間の肉体を固体と考えると、まるで気化するかのようなあの現象はまさに昇華であった。

 海原橙は打ち込んだ。

「…ビンゴ」

 思わずにやけてしまった。

 検索結果の一番上に表示されたサイト。恐らく個人のブログかなにかであろうが、〝人間の身体がまるで昇華するように…〟と下の方に書いてあった。

 すぐに海原橙はそこにアクセスした。

 表示されたページにはこうあった。

〝今から十年前。それは突然人類に襲い掛かった。どこからきたのか、何からできたのか、正体は不明だが、そのウイルスは瞬く間に世界に広まった。感染した者はどこかしらに身体に痣ができ、その痣は発症者全員に共通で、心臓に向かって広がっていく。そして心臓に辿りついた者は身体が昇華する〟

 ここまで読んで、海原橙は気がついた。

「嘘…だろ…」

 そう、ここに書いてある感染者とは、この街、[ミサキ区]に隔離された『感染者』のことだった。十年前突然ニホンで発生した解析不明の病気が出て、それを研究する為にこの[ミサキ区]ができた。

 そして、いつしかここの住人になった佐々部も右の手の甲に痣があり、それがどんどん広がっているのが海原橙は確認していた。そして、もう一人の住人、薄野秋も同じだった。

「なんだよ、これ…」

 さらに続きにはこうあった。

〝尚、感染が確認されたと同時にできた環境保全センターはその感染者の治療法の解明の為、感染者を保護しているが、未だその解決法は見つかっていない。現状では貴重なサンプルとして隔離され、その隔離された場所で死を迎えるという噂も流れている〟

「佐々部さん…」

 漸く佐々部が言っていた言葉の意味が理解できた。

 ただの環境観察区なんて生易しいものではない。あそこは、[ミサキ区]はただの隔離場所で、あそこの住人達は病気解析の実験体として救われることなく生かされているのだった。

「そんな処に俺は…」

 憧れの街で働きたい。そんな気持ちで選んで、そんな気持ちで日々を過ごしていた自分が恥ずかしくなった。自分の様に自由に外に出られない人達もいるというのに、馬鹿なことをしていたんだ。

 海原橙は頬に伝う何かを実感した。

「秋…」

 そう、あそこ住む薄野秋もまた、この国の実験体で、その命がいつ尽きるかを待つ身であることに変わりはない。彼を強い不安が襲う。彼女の病がどれだけ進んでいるのか分からない。もしかしたら今日死んでしまうかもしれない。それか今…。

 海原橙はとうとう我慢できなくなり、声を出しながら泣いた。初めてこんなにも失いたくないと思った人。そんな人がどれだけの不安を抱え、どれだけの恐怖感と隣あわせで生きてきたのか。考えただけで胸が痛かった。そして、彼女がいなくなる、そのことが彼の理性を飛ばした。

 どれだけ泣いただろうか。久々に泣いたものだから喉はからからで、顔はくしゃくしゃになっていた。

 パソコンの電源を落とし、台所へと向かった。

 冷蔵庫から残り僅かのお茶が入ったペットボトルを取り、一気に飲み干した。

「会いたい」

 今はそれだけだった。会って抱きしめたかった。

 思うが早いか、海原橙は家を出て[ミサキ区]へと向かった。夜風がぼうっとしている彼の意識を明確にさせる。

 暫く歩くと、見慣れた看板を目にした。

『この先、環境保護の為一般人の立ち入りを禁ずる   環境保全センター』

 今思えばこの看板の意味も、一般人を感染から遠ざける為のものなんだろう。

 海原橙は、自分の職員カードを読み取らせ、ゲートを開けた。

 [ミサキ区]に入り、真っ先に薄野秋の家に向かった。何度も通いとおしたアパートを目指し町を駆け抜けた。

 アパートに着き、二階の一番右端の部屋を見るとまだ明かりは付いていた。

(まだ起きてたんだ)

 安心し、内部へと入る。

 目指していた部屋の前に着き、チャイムを押す。

「はーい」

 すぐに返事がして扉が開く。

「あれ?橙君?」

 とりあえず上がる?と聞かれたので海原橙は頷いた。

 部屋に上がり、薄野秋は聞いた。

「どうしたの?今日夜勤だったっけ?」

 その質問に答えずに、海原橙は彼女を抱きしめた。

「ちょっ!?」

 いきなりのことで薄野秋は驚いた。

「ホント、どうしたの?」

「ごめん、一時でいい。一時でいいから、このままでいさせて」

 そう言って海原橙は更に強く抱きしめた。

 それに答えるかの様に薄野秋も抱きしめ返した。そして、それから何も聞かなかった。

 生きていると分かって安心した。けれど、失うかもしれないという恐怖感はなくならなかった。

「ごめん」

 暫くして、海原橙は彼女を放した。

「ううん。いきなりでびっくりしたけど」

 そう薄野秋は笑って返した。

「実はね、昨日佐々部さんが消えたんだ」

 消えたという表現に、薄野秋はそれが何を意味しているのか悟った。

「それで、いろいろ調べたんだ。あんな死に方聞いたこともなかったから。それに、佐々部さんがこの町に秘密があるって言っていたから」

「うん」

「で、調べたら凄く、凄く怖いことが出たんだ」

「…うん」

「なあ、秋」

「なに?」

 海原橙は言いかけた言葉を呑み込んだ。もし、自分が今から言うことが本当だったらどうする?そんな感情が湧いてきたからだ。

 そんな彼を見て、薄野秋は相当彼が弱っていることを自覚した。今度は自分から彼を抱きしめた。

「どんなことでもちゃんと聞くから」

 大丈夫だから。そんな彼女の言葉が海原橙を冷静にさせた。

「秋もいつか消えちゃうの?」

 自分の発する声に嗚咽が混ざっているのが分かった。

「…うん。いつかね」

 その言葉に海原橙はやりきれなくなり、遂に泣き出した。

「秋…!」

「知っちゃったんだね。この町のことも、私達のことも」

 秋はゆっくりと彼から離れた。

「こっちにきて」

 そう言って海原橙を寝室へと案内した。二人でベッドに腰掛け、薄野秋はパジャマのボタンを四つ程外した。露になったその肌には釣りあわない醜い黒い痣が左の頬から広がっていた。

「この痣がここにくると私達は消えちゃうの」

 そう言って自分の心臓を指差した。

「やっぱりそうなんだね」

 こくり、と薄野秋は頷いた。

 薄野秋のその痣は、既に左胸にまで達し、心臓のほんの近くまでいっていた。

「この痣を見てもらう通り、私には残りの時間はあまりないの」

「そんな…」

 二人の間に沈黙が続いた。

「…三年前。この病気にかかって私はここに来たの」

 口を開いたのは薄野秋だった。

「最初は凄く抵抗があった。知らない土地で知らない人と生活しなきゃいけないし、常に監視されなきゃいけない。本当に嫌だったの」

 海原橙は彼女の手をとった。

「でも、ここには私と同じで身体のどこかからか痣が広がっている。それが普通のこの町が好きになったのは痣のことで誰も馬鹿にしなかったから。だから、今この町にいることは後悔してない。寧ろ、好きなんだ。この町が」

「うん」

「みんないい人だし、静かだし、自然は多いし。なにより、橙くんに会えたし」

 薄野秋は一旦言葉を区切った。泣きそうになっているのが海原橙には分かり、そっと抱き寄せた。

「だからね、この町で消えるのは全然苦じゃないし、望んでいるくらいなんだ。だから全然悲しくないよ。ただ…」

「ん?」

「欲を言うなら、あなたと一緒になりたかった。橙君の奥さんになりたかった」

 そこまで言うと彼女は海原橙の胸に顔を埋め泣き出した。

「今まで進行してくるのが当たり前で、いつ消えてもいいやって思ってた。だけど…だけど…今はこんなに消えたくない。あなたの側にもっといたい。いたいのに…!」

 泣きじゃくる彼女を抱きしめた。

 薄野秋も海原橙と同じだった。大切な人を失いたくない、側にいたい。ずっと一緒にいたい。一緒に暮らしたい。それが二人の願いだった。もし、彼女が普通だったら、もし、こんな病気がなかったら、彼女は幸せになれたのだろう。そう海原橙は思った。しかし、この現状の中でも彼女を幸せにしたい。そういう気持ちもまた彼の中にあった。

「秋」

 海原橙は彼女を呼んだ。

「結婚しようか」

「え?」

 いきなりのことで薄野秋は驚いた。

「前から思っていたんだ。お前と一緒になりたいって。でも、俺はこんな男だし、正直護れる自信がなかった」

 海原橙は彼女を起き上がらせ、向き合った。

「でも、お前が望むなら俺はいくらでも強くなって護ってやる。俺が幸せにしてやる」

「いいの?子供も産めないし、いつ、いつ消えちゃうか分からないんだよ?」

「いいんだよ。子供がいなくとも幸せになれるし、もし、お前が消えるときが来たとしても、俺がずっと側にいてやる」

「橙君…」

「答えは焦らなくていいから。ゆっくり考えて」

「もう答えは出てるよ。こんな私でよければもらってください」

 そう言って薄野秋は笑った。

「こちらこそ」

 海原橙も、そう笑った。

 二人はどちらともなく、唇を合わせた。

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