第14話 リーシャの怪我

「アーウィンさん、エリナさん、おはようございます。もうすぐ礼拝を始めますので礼拝堂へどうぞ」


 ぐっすり眠っていた俺達は、イズル神父の落ち着いた声で目を覚ました。


 教会の一日は朝の礼拝から始まる。


 俺達がベッドから起き出し礼拝堂へ入ると、左右に10列ほど並べられた長椅子の前の方に30人ほどの村人が座って談笑をしていたので、一番後ろの椅子へ腰を下ろす。


 正面にある祭壇には丸いスール教のシンボルが飾られ、上へ目を移すと丸く鮮やかなステンドグラスから七色の光が差し込んでいる。さらに視線を移して、あちこちに施された細かな装飾を眺めていると、祭壇の前に神父が現れ、人々の声が消えた。


「それでは皆さん、黙祷しましょう」


 神父が手に持ったベルを鳴らし、澄んだ音が何度も響く中、俺は母さんへの感謝と良い未来を願う。


 ベルの音が止まると束の間の静寂は終わりを告げ、集まった人々が物音をたて始めるが、エリナの黙祷は長く続き、神父の声でやっと目を開いた。


「では、本日は経典25章からのお話です……」


 経典のやや難しい言葉を分かりやすく、身近なものになぞらえた話を聞いて朝の礼拝が終わる。



 今日はリーシャの家を探す事からだ。朝食を済ませ、神父にお礼と合わせ僅かな寄付金を手渡して教会を後にする。

 礼拝堂の大きなドアから外へ出ると、空は雲ひとつない青空だ。


 とりあえず行くあてもないままグレナ街道へ繋がる坂道を下ってゆくと、目の前の家から人が現れた。茶色の髪を後ろに縛り、目は大きく、目立つシワ、茶色のワンピースで腰に白いエプロンを巻いた中年女性だ。誰かに聞こうと思っていたのでちょうどよかった。


「こんにちは。すいませんが、リーシャという女の子の家を教えて欲しいのですが」


 女性は俺達の顔から視線を下げ、首から下げたスール教のペンダントを眺めている。


「あの子に祈りでも捧げてあげるの? 何やっても無駄だったんだけどね。ほらあそこ、3件向こうの家だよ」


「わかりました。ありがとうございます」


 女性に礼を言い、言われた家の閉まっている戸をノックしてみると、勢いよく戸が開いた。


「……どなたですか?」


 低い声を発したのは、短い髪に細く鋭い目をした覇気のない中年の男だった。


「突然すいません。リーシャちゃんのあざの話を聞いて伺いました。俺達に治させてもらえませんか?」


「ああ? リーシャのあざを治すだと!? 今まで勧められた薬は何でも買ったし、高い祈祷をしてもらった事もあったが何をやっても無駄だった! もう諦めたんだ。祈りなんて信じねえから帰れ!」


 男は俺の顔を睨みながらそう言い放つと、目の前で力いっぱい戸を閉めた。確かにこの姿じゃ祈りで治すとしか思われないだろう。でも、今まで何を試しても駄目で諦めたといっても、それで納得出来る訳がない。どうすればいいかと考えていたその時、家の陰で物音がした。


 気になって覗いてみると、エリナより明るいブロンドの髪を後ろに編んだ、緑のワンピースの少女と目が合った。緑の目とはっきりした眉、そして顔の右側の額から頬にかけて大きな茶色のあざ……リーシャだ!

 リーシャは俺と目が合った途端、手に持っていた薪を落とし、慌てて両手で顔の右半分を隠した。


「リーシャちゃんこんにちは。私はエリナ、あなたのあざを治したくて来たの」


 エリナが俺の前に出て話しかけたが、リーシャは黙ったまま見ている。


「びっくりさせてごめんね。私、何とかしてあげたいの」


「無理だもん……」


 リーシャは小さな声で答えると、家の裏へ駆け出した。


「リーシャちゃん、待ってお願い」


 後ろから声を掛けてもリーシャは止まらなかった。精霊の力をどう説明したらいいのか上手い言葉も見つからない。とりあえず時間を置いて、もう一度父親の所へ行くしかないのか……。


 時間をつぶそうと、リーシャが走り去っていった方向に歩いてみると、あちこちの畑で葉の枯れてしまった野菜を処分している。中まで茶色く変色してしまったキャベツや豆、短い棒のような人参、どれもほとんど食べることは出来なさそうだ。


「エリナ、この畑なんだけど、大地の精霊の力があれば何とか出来るのかな」


「うん、土に力を与えて作物の成長を早めたり、害虫を駆除したりは出来るけど、広いほどオドをたくさん使うから、限られた場所だけね」


「そっか。カノリが助けてくれたら何とか出来るのか」


 まだ姿を見せてくれないカノリだけど、ソーナの時みたいに強く願えば姿を見せてくれるのかな……その時にならないと分からないけれど。


 道端にしゃがみこんで畑を眺めていると、こっちに駆けてくる沢山の足音に気付いた。遠くに見えるのは昨日見た4人の男の子だ。道を横に広がり競い合うように走ってくる。


「あっちにおばけがいるぞ、やっつけろーはははは」


 おばけ……? この先にリーシャがいるのか?


 俺達は通り過ぎていった男の子達の後を急いで追いかけたが、広々とした間隔の家を7、8軒通り過ぎたあたりでエリナが息を切らしてしまった。それでも何とか急ぎ、家畜小屋の周りを走り回っていた子供達をやっと見つけたが、追いかけられているのはやはりリーシャだ。


「おい、おばけがそっちに行ったぞ! 早く捕まえろよー」


「おい、おばけ!待てよ」


 リーシャは泣きながら怯えた様子で右往左往している。それを楽しむように男の子達が追いかけまわし、小屋の中で転んだリーシャを見て大笑いする。


「よし、退治だ!」


 一番威張っていそうな男の子がそう言うと、うずくまるリーシャに向かって全員で藁の束を投げつけ始めた。


「おい、何してるんだ、やめろ!」


 やっと子供達の所へたどり着き、俺が大声で怒鳴ったところで子供たちは大人しくなったように見えたが、一番威張っていた子が黙ったまま、持っていた棒をリーシャに投げつけると、一斉に逃げ出した。

 

「痛いーっ! ううっ」


 最後に投げつけられた棒がリーシャの頭に当たり、額を押さえている指のすき間から血が見える。

 俺達は急いでリーシャの横へ駆けつけた。


「ひどい、女の子なのに……すぐに治すからちょっと目を閉じてね」


「うっううっ……んぐっ」


 涙を浮かべたエリナは、荒い息で体を震わせるリーシャの体をそっと仰向けにすると、額を抑えていた手をずらした。傷を見ると額の右上が指2本分ほど切れ、そこから血が流れ出している。


 横に座ったエリナは、右手から溢れる水で傷口を洗い流し、そのまま傷口を押さえて目を閉じた。

 しばらくすると、リーシャはだんだんと落ち着きを取り戻し、荒々しかった呼吸も穏やかになってきた。


「もう、大丈夫だよ。きれいに治ったからね」


 額を押さえていた手が離れると、体を起こしたリーシャは、傷口があった場所に何度も手を添える。


「痛くない……どうして?……怪我してない」


 エリナはリーシャの血が付いたままの右手を両手で包むと、手のひらから出した水で洗い流した。それを見ているリーシャは目を見開き、唖然とした表情のまま言葉を出せないようだ。


「はい、手もきれいになった。 お姉ちゃんたちね、リーシャちゃんのあざを治したいの。信じてくれる?」


 やさしく頭を撫で、顔を近付けるエリナをじっと見つめていたリーシャがやっと口を開いた。


「はい……信じます……私、信じます!」


「よかった。それじゃ、もう一度横になって目を閉じてね。あと、アーウィンはこっちに来て」


 興奮した様子で目を輝かせるリーシャを仰向けに寝かせると、俺はエリナの言う通り、リーシャのあざを見下ろす場所に移った。今から俺がこのあざを治すのか……?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る