第12話 ダリアさん

──俺達は鍛冶小屋で一夜を過ごし、朝を迎えた。


 今日もいい天気だ。


 小屋の中を見回し、これからの旅に必要な物を考えるが、俺の肩掛け袋に入れられるものは少ない。今まで少しずつ貯めた金と、最低限の服、2つのコップにナイフ……もういっぱいだ。エリナは一昨日おばさんにもらった肩掛け袋を抱えて出かけるのを待っている。


「こんなもんかな……それじゃ行こうか」


「うん、行こ」


 昨日、セトラ神父にもらったマントを羽織り、スール教のペンダントを付けてみる。確かに巡礼者に見えるが、朱色のマントはやっぱり派手だ。エリナはマントの裾をパタパタと振りながら俺を見てほほ笑んだ。


 しっかりと戸を閉めて、住み慣れた小屋を外から眺める。ここに今度戻ってくるのはいつだろう……そう思うと少しの寂しさを感じるが、もう行く場所は決まっている。感傷にひたる気持ちを切り替えて、俺達は昨日歩いてきた道をラトリーへ向かった。




「オイロー、ただいま」


「オイローさん、こんにちは!」


 開いた戸から店の中を覗き込むと、奥で座っていたオイローが立ち上がった。


「おお、お帰り。2人ともまあ中へ入れ。さ、エリナちゃん……」


 店の奥の椅子へ先にエリナを通したオイローは、俺にこっそり小声で話しかけてきた。


「エリナちゃんの表情が変わった気がするんだが、何かあったのか?」


「昨日、オトールの教会に寄ったんだけど、セトラ神父の話を聞いて気持ちが落ち着いたんじゃないかな。精霊添いの力を人助けに使いたいって言ってたよ」


「そうか、まあ元気が出たようでよかったなあ」


 嬉しそうに目を細めたオイローは小さな瓶の水を2つのコップに移しテーブルに置いた。今日は大事な話も無いので、他愛もない話題ばかりが続く。


「なぁ、エリナちゃん昨日聞いとったか? アーウィン、責任を持ってエリナちゃんを幸せにしてやるんだぞ」


「よろしくね、アーウィン」


 俺の顔を見たエリナが悪戯っぽく笑った。今までおとなしそうだと思っていたエリナが変わったようで、少し困惑してしまうが、きっと本来は明るく元気な性格だったんだろう。


「それじゃ、そろそろ行くよ。コバル村に入る前に日が暮れちゃうからな」


「ありがとうございました。オイローさん」


「ああ、道中気を付けてな。それと、その力は気を付けて使うんだぞ」


 見送りに店の前まで出てきたオイローに手を振り、俺達はラトリーの町を出た。ここからまたグレナ街道を北へ向かうと半日でコバル村に着くはずだ。


 一昨日とは逆の左側に海を眺めながら石畳の道を歩く。お揃いのマントを着けたエリナと並んでいると、誰が見ても兄妹にしか見えないだろう。海が見えなくなり、しばらく歩くと、一昨日まで泊めてくれたおばさんの家がある。俺達はお礼を言うために、少し寄ることにした。



 グレナ街道を外れておばさんの農家へ向かうと、枯れた葉で覆われた畑の中に男の姿が見えたが、特に気に留めず家まで行き、戸をノックした。……返事がない。


 畑にいる男を見ると、細く彫の深い顔に短いひげを生やした中年の男だった。服は白のシャツにくるぶし丈の黒いパンツだ。この人に聞いてみようか……。


「あの、この家に住んでいる女性なんですが、どこへ行ったか知ってますか?」


「ダリアさんですか? 昨日出ていきましたが」


「えっ? 出て行ったってどういう事ですか?」


「ダリアさんは20年間この土地を借りていたのですが、旦那さんが海で亡くなって、娘さんも病気で亡くして一人暮らしでした。それでも一人で畑仕事をしていたのですが、不作が続いて2年間小作料を滞納していたんです。私が仕えている地主のローグさんとの契約で、2年間小作料を滞納すると、土地と資産が没収されるのですが、その期限が昨日だったんです」


 つまり……一昨日、俺達が泊まらせてもらった次の日には出ていかなければいけなかったって事か?


「それで、どこへ行ったか知っていますか?」


「さあね、前に親戚も無くて頼れる人がいないって言ってましたけど、体一つで出ていったから、仕事が見つからなきゃ行倒れかもしれませんね」


「そう……ですか」


 それ以上の言葉が出ないまま、来た道を引き返す。俺の腕を掴んだエリナの手は細かく震えていた。


「アーウィン……おばさん助けて……人が死ぬのもうやだ……」


「俺だって助けられるなら助けたいけど……探しようが無いだろ?」


「風の精霊の力があれば探せるの。アーウィンの近くにいるはずのソーナが力を貸してくれたら……」


 今、俺を助けてくれるのはファラエしかいない。どうすればソーナが俺を助けてくれるんだ。だって、まずは精霊に気に入られないといけないけど、俺に姿を見せてくれないって事はまだ気に入られていないって事だ。


「うっ…う……」


 エリナの頬を涙が伝う。俺だって何とかしたい。ファラエの時みたいにオドを出して念じたら姿を見せてくれるかもしれない。

 俺は足を止めて、オドに集中する……ソーナお願いだ、力を貸してくれ! 頼む!…………ソーナは姿を見せてくれない。


 俺達が泊まった2日目の晩、麦や豆が入ったボウルいっぱいのスープ出してくれたっけ……もう出ていかなきゃいけないから全部くれたのかな……何も出来ないことが苦しい……力になれたらいいのに……。


「……こっち…………」


 その時、聞いたことの無い声が聞こえた。


 ゆっくり辺りを見渡すと、視界の上からぼんやりと白く光る精霊が目の前に降りてきた。ソーナ……なのか!? 心の中の言葉に精霊が頷いた。


「……こっち…………」


 ソーナは今歩いてきたグレナ街道の方向を指さしていた。


「エリナ、急ごう!」


「うん……ソーナありがとう」


 今来たばかりのグレナ街道をラトリーの方向へ急ぐと、ソーナは途中で街道から外れた海岸の方角を指さした。その先に、砂浜で座るあのおばさんがいた。


「おばさん!」


 俺の声に気付いたおばさんが驚いた顔で振り返った。


「あ、あんたら……何で……」


「さっき家に行ったら出ていったって聞いて……あの、おばさんは精霊って知ってますか?」


「精霊……ねぇ、知ってるよ。うちはイーリアの入り口だから仲のいい魔女の知り合いもいたしね」


「俺達、目は赤くないけど、精霊添い……つまり魔女なんです」


「おばさん、あの……私……あの時まだ目が赤くて、見えないって騙してごめん……なさい……」


 エリナは俯いたまま声を詰まらせた。


「そうかい、精霊添いの生き残りがいたのかい……良かった。妹ちゃんの目は心配したけど、見えてて良かった」


「実は……本当は妹じゃなくて……」


 俺は騙し続けている事に気が引けて、エリナと一緒にいる理由のあらましを打ち明けた。


「へぇ……そんな事があったのかい。誰にも言わないから安心していいよ。もう話す相手もいそうにないしね」


「あの、これからどこか行くあてはあるんですか?」


「もう何にもないさ。ここで海を見続けていようと思ってるよ」


「ダリアさん! そんな悲しいこと言わないで! 」


 エリナが急に大きな声を出した。


「あーあ、名前を知られちゃったのかい。情が湧くって言ったのに……」


「ダリアさん、俺の名前はアーウィン・クーランド、この子はエリナ・ベネット……お願いがあるんですが」


「お願い……?」


「オトール村に俺の鍛冶小屋があって、しばらく留守にしないといけません。そこで留守番をしてもらえませんか? 農具は沢山あるし、小屋の裏で畑も作れます。留守番代も出します」


「あんたら、どんだけお人好しの馬鹿なんだい……そんなんじゃこの世の中渡っていけないよ……」


「俺の頼みを聞いてもらえますか?」


「留守番……しておくよ……アーウィン、エリナ、二人とも優しすぎるね……」


 ダリアさんの目にはうっすら涙が浮かんでいたが、エリナの目からは大粒の涙がこぼれていた。ここからラトリーを通ってオトールへ行き、教会でセトラ神父に聞けば俺の鍛冶小屋を教えてもらえるはずだ。


 笑顔で別れたダリアさんはグレナ街道をラトリーへ向かって歩いてゆく。


「よかったね……アーウィン!」


 いきなり後ろから嬉しそうなエリナが抱きついてきた。

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