第11話 セトラ神父

 賑やかなラトリーの朝がやってきた。


 食事を済ませてこれから向かうのは、オトール村の鍛冶小屋だ。とりあえず旅に必要な道具や金を取りに戻らなければならない。ここから歩いて半日もかからないので、順調に行けば昼には着くだろう。

 ウィンリスに行くためにはもう一度この町を通るので、オイローへの挨拶はほどほどに俺達は出発した。


 オトールへ続く踏み固められた土の道を、エリナと並んで進んでゆくと、カゴや袋を持った町の人々が行き来している。その理由はすぐに分かった。

 前を歩いていた2人が途中で道を外れると、草むらをかき分け林の中へ入ってゆく。目当ては山菜だろう。そのさらに先でも首を振りながらよたよたと雑木林を歩く老女を見た。これも全て黒胡麻虫のせいだ。普段見慣れない光景に飢饉がゆっくりと近付く気配を感じる……。


 道を進むにつれ人の姿は減り、まばらな木の向こうにぽつんとオトールで一番高い教会の塔が顔を出す。久しぶりに戻ったオトールは今日も変わらずのどかな空気が流れていた。


 まぶしい青空の下、広い間隔で建てられた家々の間を行く。

 

「おーい……」


 遠くから男の声が聞こえる。


「おーい、アーウィン君……」


 教会の前で俺を呼ぶのは、長身の男性。額の半分しかない短い茶色の髪と細い顔、長い亜麻色のローブを纏っている。特徴的な細い垂れ目はセトラ神父か。


 この教会は俺達が暮らす国、クローナを中心として、他国にも信者の多いスール教の教会だ。ここで毎週開かれている教会学校には幼い頃から15歳まで通っていた。あまり熱心な信者とは言えないが、今でも週に一度の礼拝には顔を出して、穏やかなセトラ神父の話を楽しむのが俺の習慣になっている。


「こんにちは、セトラ神父」


 大きな声で返事をして、村で唯一の石造りの建物へ足を進めると、大きなドアの前に笑顔の神父が待っていた。


「今日は可愛いお嬢さんと一緒なんですね」


「神父さまこんにちは、エリナ・ベネットです……」


 俺の後ろから少し恥ずかしそうにエリナが挨拶をする。


「アーウィン君、こちらのお嬢さんは?」


「エリナは……身寄りを無くしてしまって、とりあえずウィンリスの近くまで一緒に行きます。遠縁の人がいるかもしれないので……」


 神父の表情が驚きから同情に変わってゆく。


「そうですか……そうだ! ちょっと待っていて下さい」


 突然何か思いついたように神父は教会の奥へ姿を消すと、朱色の布を抱えて戻ってきた。


「旅に出るならこれが役立つでしょう。持っていきなさい」


 手渡された布を広げてみると、これは……フードの付いたマントだ。背中の部分にスール教のシンボルである円の中央にV字の逆三角形が白い刺繍で小さく入っている。とにかく派手だという感想しか無い……。エリナはこれが気に入ったのか表と裏を交互に翻して見ている。


「ありがとうございます。派手ですね……」


「これは巡礼用にと思って試作してもらったのですが……思ったより派手に出来上がってしまって、使いたいという人がいなかったんです。ちょうどよかった」


 試しにマントを羽織ってみると、俺もエリナもくるぶしあたりの丈だ。サイズはちょうどいい。


「それと、これを……」


 神父が俺とエリナに手渡してきたのはスール教のペンダントだった。


「これを付けていれば、巡礼者と同じように各地の教会でもてなしてもらえるでしょう。ウィンリスまで行くのなら、ラスカの丘へ行ってみるといいですよ」


 今まで何も言わず落ち着かない様子だったエリナがやっと口を開いた。


「あの……神父さま……私もスール教について教えていただきたいのですが……」


「そうですか、それでは中へどうぞ」


 神父はエリナに微笑むと、教会の奥へと案内した。


 大きなドアをくぐると高い天井いっぱいに描かれた鮮やかな天使達のフレスコ画と、正面に取り付けられた七色のステンドグラスが目に飛び込む。俺にとっては見慣れた景色だけれど、エリナの足取りはだんだんと重くなり、教会の中央まで来ると、天井を見上げたまま止まってしまった。


 エリナは目を大きく見開いたまま、ほとんど動かない。動かないというより動けないのかもしれない。そんなエリナを俺と神父は静かに眺める。


「なんて……美しいの」


「フフ、では天使の話から始めましょうか」


 頭上に描かれた天使の話をエリナは目を輝かせながら聞き入っている。


「天使は人の体を借りて奇跡を見せる事もあるんですよ」


「奇跡……ですか、あの……もし神父さまが奇跡を起こす力を持っていたらどうしますか?」


「そうですね……そんな力がもしあれば困っている沢山の人を助けたいですね。幸せな人が増える事が私の幸せですから」


「人を助ける幸せ……?」


「人は気持ちを共有出来ますから、誰かの力になる事で自分も救われます。奇跡の力が無くても、人々が助け合えば世の中は良くなってゆくでしょう」


「はい!」


 熱心に話を聞くエリナに神父の話は止まらず、いつの間にか夕方になっていた。


「エリナさん、またいつかオトールヘ来たら寄ってくださいね。アーウィン君も気をつけて行くんですよ」


「神父さまありがとうございました。今日の事は私……一生忘れません」


「セトラ神父、いろいろ……ありがとうございます」


 神父の見送りを受けながら教会を出て少し荒れた道を進むと、程なくして俺達は鍛冶小屋へ着いた。



「これ、アーウィンが作ったの!? すごいね」


 小屋の隅に積まれた農具を試すようにエリナが振り上げている。それを見ながら俺はファラエの力を借りてかまどに火をつけ、残っていたパンとチーズを分けた。


「さあ、エリナ食べよう」

 

「うんっ」


 何だかエリナの表情が明るくなった気がする。多分、セトラ神父のおかげかな。予定外だったけれど、今日は教会へ行って良かった。


「アーウィン、私ね……精霊の力を借りて困ってる人や苦しんでる人を助けたい!……どう思う?」


 思ってもいない言葉に驚いた。精霊の力は奇跡のようなものだ。迂闊に使うとどんな事態になるのか想像もつかない……でも、この力で救える人がいたらきっと見過ごせないだろう。


「……目立たないように時と場合は選ぼうな」


「うん!」


 大きな声で返事をしたエリナにはもう憂いの表情は無かった。

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