第8話 温かいスープ

「それって、裸に……?」


「何馬鹿な事言ってるんだいほらっ! これ着な」


 この家の女性は脇に抱えていた服をまとめて俺に押し付けてきた。上着やパンツ、ワンピース、下着まで揃っている。


「あの、これは?」


「あたしの旦那と娘が昔着ていた服だけど、もういらないから……あんたらにやるよ。あと、体も拭いておきな。今、水と布もってきてやるから」


「あ、ありがとうございます」


 女性は一度家に戻り、水の入った桶と布切れを持ってきてくれた。親切な人だ……俺は初めにちょっと冷たそうな人だと思ってしまった事を反省した。


「じゃあ後でまた来るから、脱いだもんは纏めておきな。水とトイレは裏だよ」


 そう言い残し納屋から出ていった女性から、受け取った服へと視線を移す。俺の服は灰色のシャツとひざ下丈の深緑色のパンツ、エリナの服は濃い青のワンピース、それとそれぞれの下着。


 とりあえず、エリナとまとめて受け取った服を分ける。まさか乾いた服に着替えられるなんて思っていなかったので、とても助かった。


「俺こっち見てるから、先に体を拭いて着替えて」


「うん、ありがとう」


 俺は納屋の壁を見ながらエリナが着替え終わるのを待つ。


「アーウィン、今度は私が向こう向いてるから……」


「ああ」


 青いワンピースに着替えたエリナが反対側の壁を見ている間、俺も体を拭き服を着替えた。水を吸って重くなった服から解放されて、体が楽になったような気がする。


「もう着替えたかい?」


 着替えが終わってしばらくすると、女性がやってきて濡れた服を持って行った。


 雨音しか聞こえない納屋で、俺達はまた藁の上で横になる。そういえば朝見せてもらった母さんの事で分からないことがいくつか気になっていた。中でも一番気になるのは、ファラエの他につぶやいたソーナ、カノリ、トレアの名前と契約の意味だ。


「エリナ、あのさ、いろいろ教えてほしいんだけど……」


「うん……どんな事?」


「母さんが最後に言ってた精霊の名前って……」


「ファラエは火の精霊、ソーナは風の精霊、カノリは大地の精霊、トレアは水の精霊。4体の精霊添いはイーリアじゃ並外れたオドを持ってたアーウィンのお母さんだけだったんだって」


 並外れたオドに4体の精霊か……どの程度凄いのかがよく分からないけれど、炎の竜巻の威力は凄まじかった。あんな力が俺の中にも……いくらかあるのかな。


「4体の精霊って凄いのか?」


「うん、凄い……精霊添いの人は1体の精霊が普通。精霊は何もしていなくても少しずつ精霊添いのオドをもらってるから精霊が多いと足りなくなっちゃう。それに、元々その人のオドの量に見合った精霊しか現れないの」


「へぇ、俺の中のオドの量ってどのくらいなのかな」


「アーウィンはほとんど空っぽだったから、一杯がどのくらいかまだ分からない。マナの濃いイーリアにしばらく居たらオドが溜まっていくんだけど……でも、今はアーウィンのオドをはっきり感じる」


 イーリアに3日居ただけで俺の中にもオドが結構溜まってるのか。今は集中しないと何も感じないけど、オドが一杯になったら何か変わるのかな。


「あと、契約ってどういうものなんだ?」


「契約っていうのは、莫大なオドと引き換えに精霊へ使命を与えること。使命を与えられた精霊は役目が終わるまで自分で行動して、一緒にいた精霊添いの命が終わっても消えないの」


 それじゃ、今でも母さんと契約したファラエの他にソーナとカノリ、トレアが近くにいて俺を護ってくれてるのか……。


「エリナはどうして俺の母さんの事そんなに知ってるんだ?」


「ママがよく話してたの。いつも妹みたいに可愛がってくれて素敵な人だったって。多分ね、ママはアーウィンのお母さんに憧れてたんだと思う」


「そうか……」


 それ以上言葉にならなかったけれど、エリナが昔の母さんを知っていると分かって、胸の奥が温かくなるのを感じた。



 ずいぶん時間が過ぎても雨の勢いは全く衰えない。思い通りにならない天気のせいで気分は重くなり、自然に長いため息が漏れる。

 今日はここに泊まらせてもらうしかないか……参ったな……。



 

 ギシギシと戸の軋む音で俺は目を開けた。いつの間にか眠ってしまったようだ。エリナも目を閉じたままゆっくり体を起こす。


「今日は泊まってくんだろ?これ使いな」

 

 入ってきた女性はいきなりこっちに丸めたシーツと毛布を放り投げ、俺は咄嗟にそれを受け止めた。


「あと、ちょっと待ってな」


 そう言い残し、一旦出ていった女性が木のボウルを二つ持って戻ってきた。

 

「これ食べな」


 差し出されたのはスープだった。キャベツと人参、玉ねぎが煮込まれ湯気を上げている。


「え、こんな……ありがとうございます」


「あんたらの野菜で作ったんだから礼はいらないよ」


 女性は表情を変えないまま出ていこうとしていたが、俺は名前くらいは名乗っておくのが礼儀だろうと思い呼び止めた。


「あの、本当に良くしてもらってありがとうございます。まだ名前も言っていなかったんですが、俺の名前は」


「待った!」

 

 いきなり俺の言葉を女性が止めた。


「名前を知ったら情が湧くだろ、あたしはただのおばさん、あんたは妹想いの優しい兄ちゃん、その子は可愛い妹、それだけでいいんだよ。あんたらも人には簡単に心を許しちゃいけないよ」


 それ以上何も言わず、女性は出ていった。笑顔は全く見せてくれないけれど優しい人だ。


「おいしい……」


 手渡したスープを口にしたエリナの表情が少しほころんだ。確かに煮込まれた野菜の甘みがよく出ていてとても旨い。


 偶然訪ねた家がここで良かった……。



 明かりのない納屋は日が暮れると、自分の手も見えないほどの暗闇に包まれた。

 藁の上に敷いた一枚のシーツに二人並んで毛布をかけるが、暗闇で出来ることは話すことしかない。


 村から出た事が無いと言うエリナは、鍛冶小屋での暮らしを興味深そうに聞く。

 俺の話はだんだん時を遡って、教会学校に通っていた頃、じいちゃんの鍛冶仕事を手伝っていた子供の頃、父さんがいた頃の一番古い思い出まで辿り着く。


 その頃にはずいぶん時間が経ち、ゆっくりと眠気がやってきた。

 

 「そろそろ寝ようか……おやすみ。エリナ」


「うん、おやすみ……アーウィン」


 俺はエリナの寝息を聞きながら心地いい眠りについた。

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