第4話 かまどの火

 エリナが指差した家は板張りの壁に茅葺の屋根で俺の鍛冶小屋とあまり変わらない。違うところは小さな中庭を挟んで納屋とつながっているくらいだ。


 家の前まで来ると戸は無残に外れ、中が丸見えになっていた。そのまま中に入ってみると、ほとんどの物が持ち去られてしまったのか、やけにがらんとしている。


 家具の扉は開け放たれ、そこに何が入っていたのかはもう分からない。

 エリナは……家の中に入れないのか外れた戸の前で立ちすくんでいた。


「エリナ……」


 俺が名前を呼ぶとエリナはフラリと家の中へ入り、胸に両手を当て呆然としていた。家からは物と一緒に生活感も奪われ、まるでずっと空き家だったよう景色に変わっている。

 きっと思い出のあった物も全部消えてしまったんだろう。


 今夜はここに泊まらなきゃいけないが……本当に何もない。


 真っ暗闇になる前に明かりが欲しいが、使えそうなのはかまどだけだ。煉瓦の小さなかまどを見ると、火打石や綿、おがくずが一まとめにされてそのまま置いてある。

 さすがにこれまで持って行く奴はいなかったらしい。薪は納屋にあったので火は大丈夫だ。中庭には井戸もあった。


 俺はかまどに火を入れた。一応念のために窓の板を閉め、外れた戸を立てかける。次は食べ物だ。あまり食欲は無いが少しでも食べておかなきゃいけない。野菜だけは畑にいくらでもある。


 エリナを家に残して近くの畑を回ると玉ねぎと人参、キャベツを手に入れることが出来た。ただ、かまどには鍋が無かった。何か使えそうなものを求めて納屋を見に行くと、柄の外れた大きな鍬だけが残されていた。これを使うしかないようだ……。


 かまどに柄の外れた鍬を乗せ収穫した野菜を並べる。ただ焼いただけの野菜だが、食べられるだけありがたい。野菜に火が通った頃を見計らって、鍬をかまどの火から遠ざける。


 エリナは一言も話さないまま、かまどの火だけを見ていた。


「エリナ……焼けたよ」


 表面の焦げた人参を手渡しても表情は変わらず放心したままだ。大切な人を失った空虚感は過ぎてゆく時間に癒されるしかない。それは俺もよく知っている。でも、今は立ち止まって悲しんでいる場合じゃない。


「エリナ、明日は早くここを出る。この先満足に食事ができるか分からないから食べてくれないか?」


 俺はエリナが持ったままの人参を手にとると、焦げてしまった部分を丁寧にはがす。


「ほら、きれいになった」


 人参を手渡すとエリナはゆっくり口へ運んだ。きっと味なんて分からないだろう。


 二人で揺れるかまどの火を見つめながら、明日も食べられるよう野菜を焼き続ける。見事に育った野菜たちは焼いただけでも旨い……でも、気分の湿った今はどうしても味気なく感じてしまう。


 ────静かだ。


 この村には俺達しかいないんだから当然だ。たまに薪が小さくはぜる音を聞きながら、この先どうしたらいいのかひたすら考える。まず、彼女に危険が及ばない場所……なんてあるのかな。


 人生のほとんどを村の中だけで過ごしてきた俺には分からないけれど、普通の人間も魔女も平和に暮らせる町や国があるんだろうか。他の国の事も詳しかったオイローなら知ってるかもしれない……もし知らなかったらその時は、俺の鍛冶小屋へ連れて行こう……。


 今日は本当に疲れた。いろいろな事がありすぎて人生で一番疲れた日だ。

 もう、明日に備えて休もうか……。

 納屋に残った藁を床に敷けば即席ベッドの完成だ。


「あの、私……横で寝てもいいですか?」


「ああ、いいよ」


 藁を広げ、二人で寝られる場所を作って横になる。昨日まで隣に両親が寝ていた自分のベッドには行きたくないんだろう。


「あの、お願いがあります」


 藁の上で横になったエリナが俺を見て口を開いた。


「ん、どうしたんだ?」


「ここを出るの一日だけ待ってくれませんか? もしかしたらパパとママが帰ってくるかもしれない……」


 困った──。


 可能性はほとんど無いと分かっていても、気持ちの整理をつける為に待っていたいのは分かる。ただ、畑の野菜はまだほとんど残っていた。明日になればまた大勢の人がやってくるはずだ。


 でも、ここに戻る事はもう無いかもしれない。そう思うと、心残りになる事は無くしてやりたい。


「それじゃ、一日待とう。明後日の朝出発な」


「ありが……とう」


 エリナがかすれた声で囁いたあと、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。




「──さん、アーウィンさん」


 俺の名前を呼ぶ声で目が覚めるなんてどれだけぶりだろう。うっすら目を開けると上半身を起こして俺を見るエリナ、戸の隙間からは眩しい朝の光が差し込んでいる。


 眩しい朝の光……まずい、寝すごした! 慌てて飛び起き畑を覗きに行くと、10人程があちこちで野菜を収穫し荷車に積み込んでいる。


 仕方ない。野菜を盗りに来た奴のふりをして今日一日やり過ごすか……。


 少しの罪悪感に後ろ髪をひかれながら、昨日と同じ野菜を抱えられるだけ持ってエリナの家へ戻ると、急いで昨日焼いた野菜を食べ、エリナを奥の寝室に隠れさせた。

 

 早速今日一日を過ごす準備だ。


 家の戸を外して、よく見える場所に長椅子を置く。寝たフリをして横に野菜があれば、野菜を盗りに来た奴が昼寝しているようにしか見えないだろう。



 長椅子で横になり、煤で歴史が刻まれた天井をぼんやり眺めていると、遠くから足音が聞こえる。

 寝たフリで薄目を開けていると、開いた戸から背が低く顎髭を伸ばした老人が顔を出した。

 何もかも持ち去られた家の中は昼寝をしている男と野菜が少しだけだ。わざわざ入ってくる理由はない。

 老人は家の中をちらりと見回すとそのまま去っていった。予想通りの反応だ。


 俺は夕方までのほとんどを寝たフリで過ごした。その間、8人の男が家の中を覗いたが、はじめに来た老人と同じ反応で声をかけられることもなかった。


 イーリアへ来て二度目の夕暮れ。


 念のため、家の周りと畑を見に行くが、もう誰もいない。あれだけ実っていた野菜は全て消え、茶色の土と千切れた葉が広がる景色に変わっていた。これでもう当分ここへ来る人間はいないだろう……。


 日が落ちてもエリナの両親は戻らなかった──。


 かまどに火を入れ昨日と同じように野菜を焼く。

 そういえば、俺達はまだお互いの名前しか知らない。これから一緒にいる時間も長くなるだろうし、もっとお互いのことを知っておかないとな。


「エリナ、君の歳は?」


「……13歳です……アーウィンさんは?」


「俺は18、鍛冶屋なんだ。いろんな農具を作ってるんだぜ」


 かまどの火を見ながら俺は生い立ちや、エリナと出会った場所へ飛ばされてきた出来事を話す。


 エリナの事も少し知ることができた。生まれてからずっと両親とイーリアで暮らし、農作業を手伝いながら読み書きや計算を母親に教えてもらったそうだ。


 辛いと思うが、思い出の詰まったここから離れた土地へ行った方が、エリナの心の傷も早く癒えるかもしれない……。


 その時、突然かまどから小さな火が俺の顔めがけて飛び出した!


「うわーっ!」


 俺は驚きのあまりのけぞり大声で叫んだ。かまどから出た火は頭をくるりと一周して消えた。普通の火じゃない! まるで意思を持ってるような動きだ。


「アーウィンさん! 今の見えたんですか!?」


 いきなりエリナが興奮した様子で俺の両肩を掴み、顔を近付けた。


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