第3話 イーリア村へ

 エリナは俺の手を握るとゆっくり立ち上がった。


「歩くの辛くないか?」


「はい、少し休んだので大丈夫です」


「じゃ行こう!だけど……こんな森の中だと方角も分からないな……」


「私、分かります。こっち」


 行く手を阻む深い森の中、俺達は通れそうな場所を探して枝を曲げ、草をかき分けながら歩く。しかし不思議だ。どうしてエリナは村の方角が分かるんだろう、やはり魔女には普通の人間には無い力があるのか……。


「あのさ、エリナ……どうして村の方向が分かるんだ?」


「イーリア村のマナを感じるんです。あ……マナというのは精霊と精霊添いにしか感じ取れない自然界の力のようなものです。イーリア以外の人から私達は魔女と呼ばれることが多いんですが、マナを体に取り込んでオドという精霊の力の源に変えられる人間を、私達は精霊添いと呼んでいます……」


「へぇ、マナにオド、精霊添いか……初めて聞いたよ。不思議なものがあるんだな」


 世の中には俺の知らない事がまだまだ沢山ありそうだ。

 

 二人で薄暗い森の中を歩いて1時間は経ったろうか。枝の隙間から差し込む光が僅かに赤みを帯びて、夕方が迫っているのを感じさせる。

 

「もうすぐイーリアです」


 暗く見通せなかった森の先が明るくなってきたのが分かる。村はどうなっているのか……生き残りはいるんだろうか……不安と焦りが徐々に高まる。


「エリナ!」


 村を目の前にして急に駆け出したエリナの腕を掴んで引き止める。これ以上近付くと村に残っている奴に見つかるかもしれない。可哀想だが俺が様子を見てくる間、この辺で隠れていてもらうしかないか……。


「エリナ、君はこれ以上近付くと危ない。俺が村を見てくるから君はここに隠れて待っててくれないか?」


 エリナは俺の目を見たあと小さく頷いた。この茂みに隠れていれば簡単に見つかる事はないだろう。


 俺はエリナを薄暗い森の中に残して森の出口を目指す。

 周りの景色が明るくなり、木々の間から遠くに見えてきたのは、俺の鍛冶小屋と似たような家がぽつぽつと建つ村だ。30軒ほどの家と青々とした葉を蓄えた広い畑があちこちにあって、遠目からじゃどこにでもある小さな村にしか見えない。

 

 更に目を凝らすと、小さく動く人の姿が見える。70……いや、100人以上いる……思ったとおり大勢残ったままだ。これだけ人がいれば一人くらい知らない奴が紛れ込んでも分からないだろう。俺は森を飛び出し、キャベツ畑の中を全力で走った。


 人の多い村の中央へ来ると、150人はいるだろうか。戸の壊された家から家へと渡り歩きながら物色しているのか、両手に服や鍋、野菜など様々な物を抱えた人が行き来しており、中には戦利品を自慢し合うように談笑してる奴もいる。あまりにも醜い光景に嫌悪感がこみ上げてくる。

 

 足下へ視線を移すと点々と濡れたような土……いや、赤黒い……血だ!この血を流したイーリアの人たちはどこへ……


「どきなどきな! これで最後だぜー!」


 縮れた髪を後ろで縛ったギョロ目の男が荷車を引いてきた。近付いてくる荷車を見ると、積まれているのは物ではなく死体だ!


「おーい、ちょっと止まってくれないか」


 こちらに向かってくる男に向かって叫ぶと、男は素直に俺の横でピタリと荷車を止めた。


「あのさ、この死体は?」


「ああ、これで最後だぜ」


「他の死体は? いや……俺、今来たばかりなんだ」


「はあ? お前今頃来やがったのか。もう全部片付いて魔女の死体を埋めてるとこだ。死んでいても魔女だし何があるか分からないからな」

 

「魔女はみんな殺したのか?」


「ああ、さっきまで400人は集まってたからすぐだったぞ。今度は魔女の生き残りなんていないから安心だな」


 ……たった30人ほどの村を襲ったのが400人じゃ逃げることも出来なかっただろう……。エリナだけでも気付かれず逃げられたのが唯一の救いか……。許せない怒りで胸の中に汚い感情がこみ上げる。


「お前、やる事無いなら手伝ってくれ、後で何か分けてやるからよ。暗くなると魔女の幽霊が出るって言うから俺も帰りてえんだ」


「いや、俺には無理だ」


「何しに来たんだお前、腰抜けかよ」


 男は怪訝な顔をしてそう言い残すと二人の死体を乗せた荷車を引き去って行った。


 幽霊…………か。

 

 日没まであと1時間ほどだ。まだ村にいる奴らはそろそろ帰るだろう。まさかこのまま泊まっていく奴はいないはずだ。

 ここはひとまずエリナの所へ戻って誰もいなくなるのを待とう。


 さっき走ってきたキャベツ畑から森へ戻ると、エリナは座ったまま俺が戻るのを待っていた。上から差し込む陽が無くなった森の中は、村より一足先に夜が近付くのを感じさせる。


 草を踏む音で気付いたのか、エリナが振り向き、俺に向かって慌てて駆け寄ってきた。


「村は、村はどうなっていましたか?」


 不安そうな顔を近付けるエリナにどう説明すべきか……出来るだけ傷つけずになんて無理だけれど、あの胸糞悪い光景だけは俺の胸にしまっておこう。


「イーリアは……400人に襲われて……多分助かったのは君だけだ。まだ襲ってきた奴らは村に残ってる」


「え…………」


 かすれた声を上げた後、みるみる顔が青ざめ茫然自失となったエリナ。

 しばらくすると呼吸は徐々に荒くなり、指先が細かく震えだした。当然だ、こんな状況を理解しようと思っても受け入れられる訳がない。いつもと変わらない一日のはずだったのに、夕方には天涯孤独の身になっているなんて残酷すぎる現実だ。


「パパ……ママ……ヘレナさん……ヨードルトンさん……みんな……そんな……」


 深紅の瞳から溢れた涙が頬を濡らし、俺はやりきれない思いで胸が締め付けられる。


 一人残されたエリナがこの場所で隠れながら生きていくのは無理だ。もし誰かに見つかればきっと殺されてしまうだろう。ただの噂が人を狂わせて誰も幸せになれない悲劇が起きた。

 俺にとっては目の前の出来事が現実だ。それは、理不尽な因縁で親を亡くし、故郷も無くした少女と出会ったこと。そして、彼女の命が狙われる事は絶対に許せないということだ。


 エリナの味方はいない。だから、俺が守る。


 きっと誰もがまともじゃないと言うだろう。だけど、打算的に自分の生き方を変えるなんて俺には出来ない。結局俺には他の選択肢なんて無いんだ。


 片膝をついて、しゃがみ込んだまま体を震わすエリナの両手を握ると、彼女は涙で濡らした顔をゆっくりと上げた。


「俺が君を守るから、君も俺を信じてくれ」


 エリナは俺の目を見たあと小さく頷くと、両手を強く握り返した。


 さっき村にいた奴らは幽霊を恐れてもう帰ったろうか……もうすぐ日が暮れる。東の空からゆっくり夜が近付き、西の空は今日を名残惜しむように太陽が赤く染める。


「行こうか……」


 俺とエリナは立ち上がり、足下へ迫る森の闇から逃げるように会話もないまま村へ向かって歩く。今は何も話す気分になれないし、話したい事もない。きっとエリナも同じだろう。森からキャベツ畑へ抜けたところで立ち止まり、村へ目を凝らすと少し前まで沢山いた人の影はもう無くなっている。もうエリナが村へ戻っても大丈夫そうだ。


 

 俺のすぐ後ろをエリナが無言のままついてくる。遠くまで広がるキャベツ畑には見事なキャベツが並んでいるが、ここまで育てた畑の主はもういない。そう思うとこの景色も寂しげに感じてしまう。

 

 畑を過ぎて暗い静寂につつまれた村へ入ると、ずっと無言だったエリナが口を開いた。

 

「あれが私の家です」

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