第2話 魔女を追う男
土砂降りの中、気を失った少女を放っておく訳にはいかない。
ぐったりと力が抜けた少女の背中に手を回し抱きかかえると、遠くから近付く枝を踏む足音に気付いた。さっきの声の主だろうか?
森の奥から姿を現したのは四角い顔に短い髪、鋭い目つきをした大柄な中年の男だった。地味な灰色のシャツにくるぶし丈の茶色のパンツ、腰には農民が使う鎌の入ったホルダーを携えている。
「オイ! お前! 何をしている!」
肩で息をしている男が遠くから大声で怒鳴り、険しい表情で俺を睨みつける。冷静に会話が出来そうな雰囲気じゃないが、少女を追ってきたのは間違いない。
「あんたこそ何なんだよ」
「そいつを追ってきたんだ。そいつは魔女だぞ!」
男は大声を上げ、俺が抱き上げた少女を指差し血走った目で睨みつける。
「そいつを下ろせ! ぶっ殺してやる」
男は鎌の柄に手をかけ俺達の方へ近付いてくる。その目からは殺意しか感じられず、とても説得なんて出来そうにないが、この異常な光景を傍観している訳にはいかない。何か無いか……焦りながら足下に目を配ると俺の背丈の3倍はある枝が落ちているのに気付いた。
俺は濡れた草の上に一旦少女を下ろし、枝を両手で拾い上げると男に向かって突き出した。
「止まれ! 一体この子が何をしたって言うんだ」
枝を振り回しながら威嚇するが、男は少女を睨みながら足を止める事無く近付いてくる。
「そんなもん役に立つか! そこをどけ!」
俺が振り下ろした枝を男は片手で軽々と受け止め、取り上げようと両手で引っ張る。この枝を取られたらもう成すすべがない! 力の限り握りしめるが、枝はずるずると男の方へ滑り、手のひらが切れていく。
「おい、ちょっと待てよ! 殺す必要なんてないだろ!」
「魔女はみんなぶっ殺す!生き残りはいちゃ駄目だ!魔女の味方ならお前もぶっ殺すぞ!」
男に掴まれた枝は俺の手をすっぽ抜け、引っ張り合いはあっけなく終わった。
急いで他に何か無いか周りを見ても一面草しかない……いよいよ万事休すだ。男は俺から奪った枝を真上に振り上げた。
……それはあっという間の出来事だった。
枝を持った男が閃光に包まれた瞬間、爆発したような轟音が響き、俺は吹き飛ばされたように後ろへひっくり返った。
「うっ……いたた……」
地面に横たわった体を起こすと耳鳴りがひどく、足に少し痺れを感じる。
そうだ……男は……。
力の入らない足で立ち上がると、さっきまで引っ張りあっていた枝は黒く焦げ、大の字に横たわった男の横に落ちている。男の服も所々焦げ、顔は目を見開いたまま空を仰いでいた。
息はもう……していなかった。
「あんたが枝を振り上げたから悪いんだぜ……」
ほんの少し前まで殺すと興奮していた男はあっけなく屍に変わった。まさか雷が落ちるなんて運が無いとしか言いようが無いが、あの時雷が落ちなければ俺たちが死んでいたかもしれない。
草の上に下ろした彼女はまだ気を失ったままだ。俺は足と背中の下に腕を入れ抱きかかえると、雨を凌げそうな大きな木の根元に運び、しばらく雨宿りをする事にした。遠くの空が明るくなってきたのでそう長くは降らないだろう。
昼過ぎまでは平和な一日だと思っていたのに、いきなり知らない場所へ飛ばされて大男から魔女を助けるなんてな……男は俺が殺した訳じゃないけれど、目の前で人が死ぬのは気分が悪い。
今日は嵐のような一日だ……。
木にもたれかかり眠っているような少女は多分12、3歳位か。輪郭の丸い顔に細く長い眉、細く小さな鼻と薄い唇。その顔はまだ幼さを残している。
首から下げた緑色の小袋には、お守りでも入っているのだろうか。
「ん……」
小さな声を出した少女の目がゆっくりと開いた。深紅の瞳が自分のいる場所を確認するように大きく動く。
「おい、大丈夫か?」
まだ意識がはっきりしていないのか動き回っていた少女の瞳は俺の顔に焦点を合わせた。
「ママ……」
初めて少女が発した言葉は意外なものだった。ママって何だろうと思いつつ、俺は少女が怯えないよう小さな声でゆっくり話す。
「こんにちは。俺はアーウィン・クーランド。何もしないから怖がらなくていいよ。君の名前は?」
「クーランド……」
「え?」
「いえ……何でも。私は、エリナ・ベネット……助けていただいてありがとうございました。あと……あなたは怖いと思いません……」
「そうか、良かった」
とりあえず、これからどうするべきか。エリナを追ってきたあの男の様子は普通じゃなかったけれどあの鎌は……農民だ。もしかして……。
だめだ、考えたくない事しか想像できない。
「エリナ、どうして君はあの男に追われてたんだ?」
「村に見たこともないくらい大勢の人が来て……みんな棒や刃物を持ってて……いきなり村のみんなをこ、ころ…殺して……蹴られる家の戸を押さえながら……マ、ママが窓から森へ逃げろって……」
「分かった、もういいから……」
エリナは言葉を詰まらせ、指先を震わせていた。言葉には出来ないほどの光景を見てしまったんだろう。エリナだけ逃したという事は、家族はまだ村にいるんだろうか。しかし、村が襲われてからかなりの時間が経っているはずだ……。
俯いていたエリナが急に顔を上げ、俺の顔をじっと見る。
「あの……追ってきた男はどうしたんですか?」
「ああ、俺達が絶体絶命のタイミングで突然雷が落ちて死んじまったんだ」
「そうですか……私はアーウィンさんの力のような気がします」
「いや、俺は何の力もない普通の人間だぜ? 確かに強運だけは普通じゃないと思うけどな」
騒がしかった雨音はいつしか静かになり、木々の隙間から空を見上げると、重苦しい雲に変わって穏やかな青空が顔を出そうとしていた。
「よし! イーリアへ一緒に行こうか」
「……いいんですか?」
「ああ、俺も知らない場所に来て困ってたところなんだ」
立ち上がった俺は、膝を抱えたままのエリナへ右手を差し出した。
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