魔女の隠し子は精霊と星を見る
仁和 英介
第1話 オトール村の鍛冶小屋
オトール村のはずれにある俺の鍛冶小屋では、今日も真っ赤に焼けた鉄の塊がハンマーを振り下ろす度に薄く伸び、弧を描き、固有の名称を持つ姿へと変化してゆく。板の上に整然と並べられた鍬20本、それに斧と鎌がそれぞれ25丁。出来上がった農具を眺めていると一月分の達成感がじわじわとこみ上げてくる。
じいちゃんが死んでから2年、後を継いで続けている鍛冶屋の仕事は、誰にも急かされず程々の生活を送りたい俺には合っていると思う。
父さんも鍛冶屋をしていたが、俺が5歳の時、東から村の近くまで迫ったネルトリコ軍との戦いへ行き、そのまま戻らなかった。
母さんは俺が赤ん坊の頃に死んだので、顔も覚えていないし思い出も無い。じいちゃんは美しく優しい人だったとよく言っていたけれど、美しく優しいという言葉だけじゃその姿を想像する事も出来なかった。
そんな訳で今は天涯孤独の身だけど、村の人は良い人ばかりだし、寂しさを感じることも無く気楽に暮らしている。
一仕事終えて窓の外を眺めると、とうに太陽は南を過ぎ、俺の胃は思い出したように空腹を訴えてきた。ほとんど空っぽの食料棚から薄く切った硬いパンとチーズを持って、小屋裏の日陰へ腰を下ろすとのどかな時間が過ぎてゆく。
青い空に浮かぶいくつもの雲がゆったりと流れ、時折吹く風がさわさわと草を揺らす。座ったまま壁にもたれかかり、景色の一部になりそうになっていると、様子をうかがう様に足下へ近付く小鳥に気付いて、一つまみ残ったパンを投げる。今日も平和だ。
腹も落ち着いたところで小屋に戻り、鍛冶道具を片付けていると、遠くから響く聞きなれた音に気付いた。オイローの荷車だ。
オイローは40年前、じいちゃんがここに鍛冶小屋を作った頃から買い付けに来ている農具屋だ。なので、俺も生まれた時から18年の付き合いになる。
「おーい、アーウィンおるかー! ちっとは男前になったか? ワハハハ」
また今日も挨拶はこれだ。教会学校に通っていた頃、彫が浅くてまつ毛の長い顔が女っぽいとよくからかわれた。俺の顔は母さん似で綺麗な顔立ちをしているとじいちゃんは言っていたが、この話を聞いたオイローは今でも子供のようにからかってくる。
やれやれと呆れながら戸を開けると、ロングブーツにひざ下丈の黒いパンツ、赤銅色の上着を着た大柄の老人が立っている。タレ目に口髭、くたびれたチューリップハットを被ったいつものオイローだ。
「前に会ったの一月前だぞ? 何も変わってる訳ないだろ」
「ほう……」
オイローは俺の頭のてっぺんから足下までちらりと眺めた。額を除け目尻から耳にかかる茶色のゆるやかなくせ毛、濃い茶色の大きな目、細めの鼻、横一文字に結んだ口、胸元にボタンの付いた白い亜麻のシャツ、膝丈の黒いパンツにショートブーツ。いつもの俺だ。
「何も変わりないな。ハハハ」
オイローはずかずかと小屋の中に入ってくると、長椅子にどすんと腰を下ろした。帽子を取ると歳と共に広がったつやつやの頭皮が顔を出す。
「水しか無いけどいいかい?」
「水でいい、ここの井戸水は腹を下す心配が無くて旨いからな。あとフーラ にも1杯飲ませてやってくれないか?」
「ああ、働き者の美女に挨拶してくるよ」
「彼女もお前に会いたがっとったぞ」
フーラは荷車を引き、25年間オイローの相棒を務めている雌の黒ロバだ。子供の頃はよく背中に乗せてもらい遊んでもらった。
ここへ来るといつも俺に頬ずりで挨拶をしてくるので、俺も首を撫でて挨拶をする習慣は昔からずっと変わらない。オイローがいつも自慢している通り、大人しくて賢く頼りになる相棒だ。
フーラの足下へ水の桶を置き、小屋へ戻るといよいよ肝心な話が待っている。
水を注いだ木のコップをテーブルの上に置くと、オイローはそれを一気に飲み干した。
「はぁ、やっぱりここの水は旨いな。それで今日なんだが……鍬3本と斧と鎌は2本ずつもらおうか」
「ええっ、たったそれだけ? これ見てくれよ! これだけ作ったんだぜ」
俺は慌てて小屋の隅に積まれた農具の山を指差した。
「たくさん買ってやりたい気持ちはあるんだがなぁ……今、農民達は農具を買うどころじゃないんだ。お前、最近近くの畑を見たことがあるか?」
「いや、ここのところずっと小屋に籠ってたから……何かあったのか?」
「どこも黒胡麻虫だらけだ。この辺りだけじゃない、国中どこも同じらしい」
黒胡麻虫に養分を吸われると作物はだんだん弱り枯れてしまう。こいつが厄介なのは作物の種類に関係なく養分を吸い、襲われた場所は災厄が過ぎ去るのを待つしかないことだ。
ただ、今まで聞いたことがあるのはせいぜい村単位の話だった。国中がそんな状況じゃ農民達はこれからどう生活するかで頭がいっぱいだろう。
ここはオイローが少しでも農具を買ってくれる事に感謝しなきゃな……。
「はぁ…………そうか。売れないもんは仕方ないもんな」
あてにしていた収入が無いのは辛いが、自然の災厄じゃ諦めるしかない。だが、早く状況が落ち着いてくれなきゃ俺の生活も今まで通りにいかなくなる……。
ショックが表情に表れている俺を気遣うように、オイローがポケットに入れた袋から代金を取り出す。
「すまんな……少ないが代金、金3枚と銀5枚な」
「ありがとう。これでとりあえず明日久しぶりにラトリーの町へ行って、パン20個と」
「アーウィン……」
俺が話しているところへオイローが急に言葉を挟んだ。
「お前は最近町へ行っていないから知らんだろうが、それだけの金じゃパン10個も買う事は出来んぞ。前は銀1枚で買えたパンが今は銀5枚だ。野菜もチーズも何もかもべらぼうに値上がりしとる」
「そんな、パンが銀5枚だって!? ありえない!」
「ああ、満足に食事が出来ない者も最近増えとる。ここに来る途中の道端でも野草を採りに来た町の人間を何人も見たぞ」
何て事だ……俺が何も知らず鍛冶小屋に籠っているうちに、畑も町も大変なことになっていたなんて。しかし、十分な食料を買えないとはいえもう小屋の食料棚は空っぽだ。買えるだけでも買っておかないと食べるものが無い。
「とりあえず俺は明日ラトリーの町へ行くよ。そんな事なら尚更早く買わなきゃいけないだろ?」
「そうだな。ただ、買うものを買ったらすぐ町から出たほうがいいぞ。少し前から不穏な噂が流れているから何かが起きるかもしれない」
「不穏な……噂って?」
「黒胡麻虫は疫病の魔女焼きの復讐だとさ。前からそんな噂はあったんだが、魔女の生き残りが住むイーリア村へ行った者が、畑に青々とした葉が茂っているのを見たらしい。その話が広まり、多くの者が魔女の復讐と言い出した。また17年前のような事にならなきゃいいんだが……」
疫病の魔女焼き──俺が生まれてすぐの事だ。
体調を崩した翌日には死に至る謎の疫病が、国の北部一帯で猛威をふるった。子供と老人から次々と命を落とし、明日は自分の番かと誰もが恐怖に震えた。
そして誰かが言い始めた。こんな聞いたこともない恐ろしい病は魔女のせいだと。得体のしれない病と得体のしれない力を持つ者、恐怖で理性を失った者たちは疫病の魔女のせいだと信じ始めた。
そして恐怖が限界に達した時、ラトリーの町と近隣の村々からイーリア村へ人が押し寄せ次々と魔女を殺し、最後に死闘の末疫病の魔女を倒した。
魔女の亡骸は町の広場へ運ばれた後火にくべられ、その火は町の人々が投げ込む薪によって10日以上消えなかったそうだ。
疫病で家族を失った者、イーリア村で人を殺した者、疫病の魔女を焼く火に薪をくべた者、何もせず見ていた者……時間が経つにつれてこの出来事は人々の心に影を落とし、その話をする者はいなくなった。
これが疫病の魔女焼きの話だ。
イーリア村では今、生き残った魔女達30人程が暮らしているというが、子供の頃からイーリア村へは近づくなとじいちゃんに言われていたので、俺は行った事が無いし魔女を見た事も無い。
魔女は鮮やかな深紅の瞳を持ち一目で見分けがつくらしい。魔法がどんなものかは知らないけれど、まだ一度も見た事の無い深紅の瞳にはなぜか心が惹かれる。
「オイローは魔女を見た事……あるのか?」
「ああ、話したこともあるぞ。昔は魔女もよくラトリーへ来ていたからな。まあ、目の色以外は他の人間と何も変わらんな」
「そっか……」
イーリア村の魔女達はきっと今も他の人間への恨みを忘れていないだろう。疫病の魔女焼きの話を知っている誰もがきっとそう思ってる……。
「ピーッ! ピーッ!」
突然重苦しい空気を吹き飛ばすように小鳥の声が響いた。声の主はさっきのやつだ。開いたままの戸の向こうからチラチラとこっちの様子を伺っている。
「アーウィン、お前の友達が呼びに来たぞ」
「ハハ、さっき友達になったばかりなんだけどな」
小屋の外には午後の穏やかな景色が広がっている。湿っぽい話はこのくらいにしておこう。
そうだ、今度オイローが来たら見せようと思っていたアレを忘れちゃだめだ。
「オイロー、ちょっと見せたいものがあるんだけど」
「ああ、また役に立たん発明品でも作ったんだな?」
「見る前から役に立たんなんて決めつけないでくれよ……」
アレは離れの倉庫にある。かなり大きいので間口の広いここにしか入らない。オイロー何と言うのか楽しみにしながら倉庫へ案内すると思った通りの反応が帰ってきた。
「なんだこりゃ?」
軽くて強いナムブの木で大きな四角い枠を作り、帆を枠の四隅に結ぶ。さらに四隅からロープを伸ばして両肩に背負えるようになっている。帆船からヒントを得た高い場所から降りられる道具だ。
帆の為に大きな生地はとてもじゃないが買えないので、腐敗させて丁寧に洗うと強靭な繊維が残るキコルの大葉を縫い合わせ、乾燥すると丈夫な膜を作るリタゴムの樹液を塗った特製の帆を作った。
「これさえあれば……崖から飛び降りても死なないんだぜ!」
「崖から飛び降りる時ってどんな時だ?」
オイローは少し呆れたような顔で俺に尋ねる。
「敵に追われた時……とか?」
「それじゃ崖の近くに準備しておかなきゃ使えんだろ。まあ、俺ならロープを使って安全に降りるがなハハハ」
「こ、これで飛び降りるのはきっと楽しいぞ」
3ヵ月もかかって作り上げた傑作を鼻で笑われるのはどうしても納得がいかない。もしかしたらこいつが国中で流行ってあちこちの崖が人で溢れるかもしれないじゃないか。
「オイロー、ちょっとそっちの端を持ってくれないか?原っぱに移動してしっかり見せるから」
面倒くさそうなオイローに手伝ってもらい小屋から少し離れた原っぱに場所を移すと、実際に装着してみせる。両肩にかけたロープから体が抜け落ちないよう、背中を通ったロープを胸の前で縛れば安全だ。
「アーウィン……いくらお前が強運の持ち主でもいつか本当に大けがするぞ」
そう、俺は昔から強運を持っている。小さかった頃、馬の足を掴もうとして蹴り飛ばされたり、オイローを驚かそうと小屋の屋根に登って頭から落ちたり、死んでもおかしくないような状況でもかすり傷だけだった。
初めての海で溺れた時も、気がついたら浜に打ち上げられていた。流石にたまたまツイていただけじゃ説明できない運の強さだ。
この画期的な道具にあまり興味が無さそうなオイローに様々な工夫を解説していると、一吹きの涼しい風が髪をなびかせた。
「なあ、そろそろ片付けた方がいいんじゃないか?ほれ、向こう見てみろ。こりゃ、一雨来るぞ」
オイローが指差した北の空には真っ黒な雲が広がり、ゆっくりとこちらに向かっているようだ。頭上の青空もいつの間にか姿を消している。
髪を乱す風はだんだん強くなり、ぽつぽつと雫が頬に当たりだした。
「もたもたしてる場合じゃないな……うわっ、わーっ!」
大きな帆が風をはらみ両足で踏ん張ってもすごい力で後ろへずるずると引きずられる。
「おいっ、早く縛ったロープを解け!飛ばされるぞ!」
オイローが俺の両肩に食い込むロープを掴み力いっぱい引っ張るが、二人の全力でも風の力には勝てない。胸のロープの結び目は引っ張られて強く締まり、急いで解こうとしてもびくともしない。
「あっ、あっ、あれ!?」
急に体重が軽くなったように大地を蹴る足が空を切り、振り返ると上を向いた帆が俺を釣り上げようとしている。
そして、とうとう風の力に抵抗しようと足掻く俺の足は地上を離れた。
オイローは掴んだロープを逃し、勢い余って尻餅をついたまま空へ巻き上げられる俺を呆然と眺めていた。
空へ向かう風は俺を無理やり釣り上げ、ぐるぐると振り回しながら弄ぶのを止めない。下に見える俺の鍛冶小屋は豆粒のような大きさになり、本降りの雨の中見えなくなった。
助かることを祈るしかない心細さに胸が締め付けられ手足が冷たくなってゆく……。
どれだけ経ったろうか……。
釣り上げられるような感覚は無くなり、風に流されながら降りている。雨はさらに激しくなり、時折稲妻が雲の中を走る。
低いもやの様な雲を抜けるとぼんやり下の景色が見えてきた。まずい、森だ! このまま森に突っ込んだら無傷じゃすまない。
勢いよく通り過ぎる木々の枝が足下に迫り、体をまるめて身構えていると、急に鬱蒼とした森は途切れ眼下には草原が広がった。
帆に引っ張られ転びながらなんとか着地すると、慌てて胸のロープの結び目を確認する。固い結び目の隙間に無理やり指先を入れ必死に引っ張ると、ずるりと結び目が緩んでやっと長い束縛から解放された。
「どこだ?……ここ……」
周りは膝丈の草が茂る草原と森。人の気配を感じるものが何も無い。天気は変わらずひどい雨。稲妻が眩しく光るとほぼ同時に破裂するような大きな音が空気を震わせる。
とりあえず、近くの村を見つけないと最悪、野垂れ死にだ……。
激しい雨と雷の中、草をかき分けながら重い足取りで進む。方向は全く分からないが、周りは三方を森に囲まれているので開けた方へとにかく歩き続ける。
「……ん?」
激しい雨音に混じって別の音が聞こえた気がした。
その場で足を止め耳を澄ますと遥か遠くで男が大声を上げている。周りをゆっくり見回して声のする方を確認すると、声の主は右の森の中のようだ。人さえいれば村へ出られる!
俺は右の森へ向かって駆け出した。
森の近くまで行くと、奥の方からパキパキと枝を踏む足音がこちらに近付いてくる。俺は足を止め、声の主が森から現れるのを待つことにした。
枝を踏む足音が近付き、どんな男が出てくるのだろうと森の奥へ目を凝らす。
だんだん人影が見えてきた──。
森から出てきたのは男……ではなく少女だ! しかし、様子がおかしい。
肩の下まで伸びたブロンドの髪はめちゃくちゃに乱れ、汚れた朱色の長いワンピースは裾が幾筋も裂けている。満身創痍の様子でフラフラと真っ直ぐ歩く事が出来ず、立っているのがやっとだ。
「おいっ、どうしたんだ!」
慌てて俺は今にも倒れそうな少女に駆け寄り、両肩を掴んで体を支える。
「あ……」
顔を上げ俺の顔を見た少女は一瞬安心したような表情を見せると、そのままひざを落としぐったりと気を失った。
俺の目を見たその瞳は美しい深紅だった。
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