二一三二年四月六日(月)夜

 リムジンに乗せられた。運転手のいる車。さすが重役。新小岩から<<FAMUSES>>のある江戸川区の松江に向かう。十分も掛からなかった。タクシーならワンメーターの距離。平和橋通りを南へ進み、京葉道路を左折。そうすればそこから先は、三条桜重工が整備し直した学園都市が広がる。

 上級生はいない。俺たちが『蝕依の子』第一世代だから、栄えある一期生だ。無言で車から降りた。

「俺が作ったんだ。お前らの為に」

 校舎の裏にある駐車場。車は俺たちを乗せてきたリムジンが一台だけ。親父の声は届いている。届いているが、返事はしない。

 俺が小さいときから、<<FAMUSES>>のある松江には重機と作業員しかいなかった。年を重ねるごとに建物が増えていき、いつか空のほとんどがビルの影で埋められていった。学園都市を作ってるんだ、と親父から聞いたのは五年くらい前だったか。

 その時だ。自分が戦争に行くことになると聞かされたのも。

「寮に案内するよ」

 歩き出した。俺は親父の後についていくだけだ。暗証番号と網膜認証でセキュティを解く親父。扉が開く。中に入った。「職員用の出入り口だ」

 匂いが新しい建物だ。校舎の中は足音がどこまでも響く。今は俺と親父しかいない空間。窓の外には作られた模造の学園都市。ビル、マンション、アパート、ビル、ビル、ビル。そこには誰もいないし、何もない。訓練用に作られた無尽の街。エレベーターを上る。向かうは十三階。カウントアップしていく数字。

 チーン。という音で十三階に到着。エレベーターの外に出る。


   


 ウーウーウー。ウーウーウー。ウーウーウー。


   


 街から警報が聞こえた。


   


――RH2。RH2。警戒レベル3。警戒レベル3。これより五分間。惑星クリーゼからの断続的微分生物攻撃が予想されます。国家従業員の皆様は速やかに屋内へ避難し、防衛マスクを着用して下さい。


――RH2。RH2。警戒レベル3。警戒レベル3。これより五分間。惑星クリーゼからの断続的微分生物攻撃が予想されます。国家従業員の皆様は速やかに屋内へ避難し、防衛マスクを着用して下さい。


   


 惑星クリーゼからの攻撃を知らせるアナウンス。

「マスクは?」と俺は親父に聞いた。俺は左手を顔に翳し、既に仮面を被っている。これで微生物攻撃は安心だ。

「この中にいれば必要ない」

「そうなんだ」

「最新鋭だよ。全ての有機生物攻撃を遮断できる」

 親父は得意そうにって感じじゃない。ただ淡々と事実を述べた、そんな感じだった。「寮は遠いの?」

 仮面を剥がした。

「そこだよ。職員住居と繋がってる。管理しなくちゃいけないからな」

「クソじゃん。変えてよ。学長でしょ」

「学長たっての希望だ」

 また網膜認証。扉が開く。遠くの街が橙に染まっていた。微生物攻撃だ。現在のところ、人類は惑星クリーゼからの攻撃に対して、傍観し受け入れる。また攻撃を受けて、遺伝子が組み替えられて、人が死ぬんだ。

 免疫不全。奇形。記憶障害。認識障害。昏睡状態。終わりのない苦痛。人が人じゃなくなっていく。自分で自分を攻撃して命を消し去る作業。

 クリーゼ星人の侵攻は、静かで残酷だ。そしてそれをただただ傍観してしまう星間戦争という状況に慣れてしまった俺たちも同罪かもしれない。

「ここが寮」

 職員用住居から渡り廊下を通った先。ガラス張りの渡り廊下。まだ遠くの町は橙に輝いている。激しく、強く、燃えるように輝いている。どこだろう。葛西かもしれない。遠くでよかった。叫び声を聞かないで済む。「お前の部屋はB棟の一三二五号室。 番号は誕生日にしてある」

 鍵を渡された。暗証番号と物理キーの二重か。

「網膜認証はないの?」

「不安なのか。そんなもんつけたら不純行為できないだろ。学長からの思いやりだよ」

 お礼を言えなかった。

「じゃこの学校は無法地帯ってことでいい?」

「この街から出なけりゃいいよっていうのはあくまで学長個人の見解」

「街から出るな、か」

 三年間もこんな薄気味悪いところにいるのかよ。

「じゃまた明日」

「わかった」

「あと、セキュティ掛けるから部屋から出るなよ。廊下に出ると警報鳴るから」

「監禁かよ」

「監禁だよ。お前が来たいって言ったんだから駄々捏ねるな」

 あぁもあっさり認められると反応のしようがない。背中が見えなくなるまでの見送りなんて出来なかった。暗証番号を打ち込み、物理キーを差し込んだ。鍵が開き部屋に入る。標準的なワンルーム。ユニットバスなのが気に食わないが、贅沢を言うところでもないし、今さら何を言っても遅いか。

 ベッドに寝転がる。カーテンが半分開いていた。まだ遠くの街は攻撃を受けていた。橙の光が、何もない俺の部屋を照らす。五分間の攻撃のはずなのに随分長引いている。


   


 結局、一晩中、遠くの街は攻撃を受け続けていた。


   二一三二年四月七日(火)昼


   


 目覚めは悪い。俺は冷たい対応を繰り返すのに、親父は何でも好きにさせてくれる、その優しさのせいだ。

 九時半からの入学式。十一時に教室でオリエンテーション。入寮は十二時を過ぎてから。テーブルの上にある入学の手引きを読んだ。

 で、現在、午後十三時。しょうがないよ。目覚ましを忘れたんだ。枕元の携帯を取る。理奈からの着信履歴が十三件。留守番電話も十三件。

「耕平、どこにいんの? もう入学式終わっちゃったよ!」

「ごめん。ごめん」

「もう。どうせサボったんでしょ」

 掛けるなり説教。「先生に目つけられても知らないよ。で、どこにいるの?」

「寮。B棟の一三二五号室」

「じゃ今から下に行くから待ってて!」

 一方的に告げられて通話を切られた。怒ってるんだか嬉しいんだかわからないような感じだな。立ち上がり伸び。洗面所で顔を洗ってから、クローゼットを開く。ブレザーなんだ。とりあえず制服に着替えて、外に出た。

 そういえば昨日からずっと血だらけの服を着ていたのか。我ながら狂ってる。

 部屋を出る。寮の廊下にはもっと人がいるかと思ったけど、誰もいない。二百戸くらいありそうな建物なのに俺以外は誰も入寮してないのか。

 エレベーターも途中で止まることなく、スーッと下まで降りていく。十三階の渡り廊下から来たから、エントランスに降りたのは初めてだ。

「あ、いた。耕平だ」

「そっちはセーラー服なんだ」

「いいでしょ?」

 ばっちりミニスカートに決めてる。ここで、パンツ見せてとか言ったら、また流血騒動になる。そんな欲求は心に留めるだけにして、流れに身を任せよう。

「もう来てるなら入学式に来ればよかったのに。お父さん、格好良かったよ」

「あ、そう」

 またわざと俺に親父の話題を伝えて反応を窺ってる。無表情、無反応っと。

「食事した?」

「まだ。理奈は?」

「まだ。どっか外に食べに行こうよ、授業は明日からだし、食堂はなんか美味しくなさそうだった」

「元生徒会長の癖に」

「今は生徒会長じゃないってことでしょ」

 だからミニスカートなんだよな。

「行こうか」

 親父に言われのに早速脱出を計る孝行息子とは俺のこと。

「罰則ってなんだと思う? 拷問とかかな?」と理奈。

「関係ないよ。不死身だもん」

 俺たちは走り出す。

 やばい。なんかすごい青春してる。超、青春してる感じがするじゃん。


   


「パスタを食べたい」

 理奈はお洒落なカフェに行きたいとか言い出す。やっぱりそういう所は女子高生だなとか思う。かくいう俺も健全な男子高校生なので、人気のない空き地とかに行きたいんだけど、まぁそういう欲望に直結したことを口出せるはずもなく、理奈に従うだけだ。

「新小岩まで行く?」

「あったけ? お洒落なカフェ」

 民家と民家の間。猫くらいしか通れない道を進んだ。実際、二匹の猫も見かけた。

「チェーンの喫茶店があったじゃん」

「え? あそこ?」

「脱走だしあんまり遠くにも行けないでしょ」

「三年後には連れて行って」

「三年後には戦場だろ、俺たち」

 そもそも俺と親父はこの街に住んでいた。ずっと小さい時、まだ母さんが生きていた頃の話だ。東京都江戸川区松江は俺の故郷で、親父がこの土地を再開発して学園都市にしたのは、たぶんそういう理由があっただと思う。

「昨日の攻撃のとき何してた?」

 細い道を抜け、歩道に出る。赤い歩道。

「私は寝てた」

「俺も」

「耕平、待って」

「え?」

「ここから先は外。赤い歩道の内側が学園都市の敷地なんだって」

「ちゃんとオリエンテーション受けたんだ」

「耕平、知らないと思うけど、私たち一期生全員で十三人しかいないんだよ。だからサボれないの。しかも耕平が居なかったから、オリエンテーションは十二人だったし」

「全部で十三人? あんなにデカイ寮があるのに?」

「あれは二期生とか三期生の分だから。昨日の微生物攻撃でまた遺伝子組み換えられて能力者だって増えたはずだし」

「ふざけんなよ」

「簡単にはサボれないよ。さ、向こうに行こ」

 手を掴まれ、赤い歩道を超えた。もう俺たちは学園都市の外にいる。

「何も起きないね」

「何か期待したの?」

「え。ほら、知らない内に身体に爆弾とか仕込まれて爆発とかするかなって思って」

「ありえるかもしれない」

 とはいえ、俺たちの身体には何の異変も起きない。外の世界と学園都市の境界、赤い歩道を渡っても、一切の変化なし。

「駆け落ちみたい」

「そのままする?」

「まだしない。辛くなったらしよ」

「わかった」

 会話はまるで恋人同士。会話の語尾に花が咲き乱れてもおかしくないし、実際俺の目には二人の間に咲き誇る愛の薔薇が見えている。

「ねぇ、昔のこと覚えてる?」

「昔のこと?」

「臨海公園のこと」

「あぁ。憶えてるよ」


   二一二六年 八月二十六日(日)


    


 葛西臨海公園。橋の向こうにある人工なぎさ。照りつける太陽光が強い夏日だった。濁った東京湾と星間戦争が続く東京に観光者の姿なんてない。そこにいたのは十歳の俺と理奈。

 瓶に詰めたメッセージを海に投げるから着いて来て、そう言われて俺は付いてきた。自分からこんな場所に来ようなんて思わない。

「えい」

 瓶に何を書いたかは聞けなかった。その前日、俺と理奈は十五歳になったら、兵士としての育成機関に入れられると親父に聞かされたばかりだったから。

 理奈が瓶を海に何度投げても、打ち寄せる波がそれを押し戻した。

 正午を過ぎた頃だった。夏休みなので学校の心配は要らない。太陽は空の頂点で輝いている。

 ペットボトルの炭酸ジュース。もうぬるくなっている。それでもあるのはありがたい。残り半分をゆっくり飲む。

「えい」

 俺は灰色の砂浜に座って、クソみたいな投球フォームの理奈を見つめていた。スカートだから投げる度に何度もパンチラを拝めるのも良かった。特等席に違いない。

「えい」

「えい」

「えい」

 寄せては返す。波は偉大だ。本当に遠くまでメッセージを入れた瓶を飛ばせない限り、そいつをこの灰色の浜辺に戻してしまう。

「えい」

「えい」

「えい」

 後半は声色が変わっていた。泣いているんだ。パンチラを続いていたけど、理奈は泣いているんだ。

「えい」

「えい」

「えい」

 どうして泣いているのかはわかった。

「えい」

「えい」

「えい」

 理奈は押し戻される瓶を何度も何度も拾い上げて、クソみたいなフォームで投げ続けた。何度失敗しても彼女は諦めなかった。

 いつしか炭酸ジュースがなくなった。

「どうして声、掛けてくれないの! バカ耕平!」

「ごめん」

 振り返った理奈は顔を真っ赤にしていた。やっぱり泣いてる。 

「優しい言葉、掛けてよ! 耕平は私のこと好きなんでしょ?」

「うん。ごめん」

「ごめんじゃなーーい!」

「ごめん」

「私、兵士になんてなりたくないのに! 普通の女子高生になって普通に恋愛して、それで十七歳くらいで処女捨てて、大学に行って合コンに行って、一回くらいお持ち帰りとかされて何か自分のランクが落ちたみたいな感覚になったとか友達に語ったりして、それでお洒落雑誌の出版社とかに就職して、素敵なライフタイルを提案する記事をバンバン作るOLライフを満喫してから、お父さんが三条桜重工の取締役で、そのコネで三条桜重工で働いてる耕平と結婚して、幸せな家庭を築くのが夢だったのに!」


   


「私、兵士になんてなりたくない!」


   


 叫びは願いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る